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バルトロメ・エステバン・ムリーリョの「蚤をとる少年」
 
さて、今回は少し趣を変えて少年の絵です。17世紀後半のスペイン・バロック美術の巨匠バルトロメ・エステバン・ムリーリョによる「蚤をとる少年」を観てみましょう。



バルトロメ・エステバン・ムリーリョ作 「蚤をとる少年」1645-50/パリ・ルーヴル美術館



ムリーリョは、スペイン南部の当時スペインの中心都市であったセヴィリアで活躍した、宗教画の大家ですが、同時に、この「蚤をとる少年」のような優れた風俗画の画家としても知られています。この作品は、ムリーリョの一連の風俗画の中でも、いちばん初期に描かれた作品として位置づけられています。

暖かい陽の光の中で、貧しい身なりの少年が下着の縫い目にもぐりこんでいる蚤を、無心につぶしているさまが描かれています。古びた建物の片隅で、独りで生活しているのでしょう。しかしながらみすぼらしい衣服のわりに、悲惨な感じはしません。編上げの籠の中からは、リンゴが転げ出し、足元には食い物の残りかすが散らかっています。左の水瓶もどっしりとしています。貧しくとも平和な日々を過ごしている少年の生活が感じられます。

少年を浮かび上がらせる光と影は、不幸な少年の境遇を劇的に演出するより、温かみのある観察者の視線を優先させているようです。この絵は、当時風俗画の需要が多いフランドル地方の商人が注文したのではといわれています。セヴィリアは、貿易港として隆盛を極めていて物産だけでなく、美術品も輸出されていたのです。事実、この作品はフランス、ほかにアメリカ、ドイツ、イギリスの美術館にムリーリョの子ども絵が収蔵されています。宗教画の多くがスペイン国内に残されているのと対照的です。

ムリーリョの子どもたちに対する温かい眼差しは、彼の幼いころの経験が影響しているといわれています。セヴィリアの医者の家に生まれたムリーリョは、9歳のころに両親を亡くし、兄弟ともども孤児になり、4年後に画家の親戚の家に引きとられたそうです。そのころの孤独な生活経験がムリーリョの精神形成に大きく影響したことは否めません。また1649年には、セヴィリアでペストの大流行があり、多くの人が亡くなり孤児たちが街にあふれていたそうです。当時、幼い子たちの父親であったムリーリョは、自身の過去と重ね合わせて、街の子どもたちを温かい眼差しで見つめていたに違いありません。




バルトロメ・エステバン・ムリーリョ作 「無原罪の御宿り」1660-65/マドリード・プラド美術館


ムリーリョは、1645年ころに28歳で宗教画家としてデビューしましたが、抜群の画力とともに、その人間的な柔らかい表情の描写が評判を呼び、一躍大人気の画家になったそうです。こちらの作品は、現在プラド美術館にありますが、以前はエル・エスコリアルという、王立の宮殿に収蔵されていたそうです。ムリーリョの「無原罪の御宿り」は、とくに人気があり数多く存在します。この作品は、「無原罪の御宿り-エル・コスコリアル」といい、他の「無原罪の御宿り」と区別されています。

聖母マリアは、現代の我々から見ても、穢れのない少女の姿を示しています。足元にまとわりつくように飛翔する天使たちは、無邪気な乳幼児のしぐさそのままです。いずれの「無原罪の御宿り」も同様な描きかたがなされています。神々しさよりは、温かい人間の表情をもったマリアであり天使です。ムリーリョの人気の秘密はこのあたりにありそうです。時代を隔てた異邦人である我々をも魅了する力があるのです。

スペイン国内に数多く残っている、ムリーリョの宗教画。当時の庶民のキリスト教徒たちに熱狂的に愛された宗教画に対して、国外で愛されたムリーリョの子どもたちの風俗画。いずれもムリーリョの絵の本質であると思いますが、350年余り隔たった我々には、後者の方により親近感を持ち、感情移入が容易といわざるをえません。






バルトロメ・エステバン・ムリーリョ(Bartolomé Esteban Perez Murillo)は、1617年にスペイン南部のセヴィリアに生まれた、スペインの17世紀バロック美術を代表する画家です。14人兄弟の末子で、9歳の時に両親を亡くし、一時孤児となりましたが、13歳で親戚の画家に家に引きとられ、絵の修業を重ね、1646年、28歳の時に、画家としてデビューして注目を集めたそうです。前年に結婚し子宝にも恵まれていましたが、1649年にペストの大流行をきっかけに、子どもたちや妻を失います。やむなく孤独生活を強いられますが、絵画の制作に熱心に励んだそうです。セヴィリアを中心に活動して、宮廷画家の招きも断りますが、セヴィリアの民衆に愛され、スペイン最大の画家として評価されていました。1682年に、制作中に足場から転落し、それがもとで命を絶ったそうです。享年65歳。





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