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ディエゴ・ベラスケスの「鏡のヴィーナス」

今回は、ディエゴ・ベラスケスの「鏡のヴィーナス」です。この絵は、2008年4月16日付け「画家の中の画家ベラスケス」に登場していますが、再度採り上げてみました。

 


ディエゴ・ベラスケス作 「鏡のヴィーナス」1647-51/ロンドン・ナショナルギャラリー


360年ほど前の裸婦でありながら、実に現代的な裸婦像ですね。黒髪と細くくびれたウエスト、ほっそりとした身体つきは日本女性をほうふつとさせ、一般的な西洋画に見られる堂々とした体躯の裸婦とは、趣を異にします。背面全体をこちらに見せて、顔まで明らかにしていないことも、西洋画の多くの裸婦と一線を画しているようにも思われます。この作品こそ、スペイン最高の画家といわれるディエゴ・ベラスケスの唯一現存する裸婦像です。

17世紀のスペインは、宗教的に最も厳格な国といわれていました。16世紀の宗教改革に対して興った、カソリック側の対抗宗教改革の一大勢力はスペインで始まり、戒律はより禁欲的な形を求められていました。官能を刺激する裸の女性像は、とくに排除されるべきものでした。近代にいたるまで、スペイン画家による裸婦像は、この作品と後のフランシスコ・デ・ゴヤの手になる「裸のマハ」くらいしか存在しないといわれています。

1623年、23歳のベラスケスはスペイン国王フェリペ4世付きの宮廷画家になり、以降30年以上にわたり国王やその家族のために肖像画や室内装飾画を描きつづけます。1629〜31年と1647〜51年の2度にわたりイタリア旅行をしていますが、2回目の旅行中にこの作品が描かれたという説があります。イタリア・ルネサンスの巨匠ティツィアーノやジョルジョーネの裸婦像に刺激を受けて、描かれたのではと解釈されています。

また、モデルについては、マルタというイタリア滞在時の愛人という説が有力のようです。マルタとの間にはアントニオという子どもまでもうけたとのこと。その説に従うと、神話のヴィーナスにことよせて、愛した女性のリアルな姿を画布にとどめたということになります。鏡の中の顔をぼかして、ベラスケスにしか分からない愛人の肖像といえます。逞しい体躯の多いヴィーナス像のなかにあって、この細身のヴィーナスは、ベラスケスの特別の人の現身といえるわけです。生々しい身体表現も納得できるような気がします。

ベラスケスが“鏡”を登場させたのは何らかの意味が隠されているのでしょうか。“化粧するヴィーナス”を演出する道具立てとして、そして鏡そのものの神性から由来する、寓意的な意味を付加すること、すなわち美の空しさ、生命の儚さを官能的で美しい肉体と対比させることなのでしょう。とここまでは、当時の観賞者との約束事で理解できるように思いますが、あの謎の多い傑作「ラス・メニーナス」を描いたベラスケスです。もう少し深読みしてみましょう。



ディエゴ・ベラスケス作 「ラス・メニーナス」1656/マドリード・プラド美術館


「ラス・メニーナス」では、絵の観賞者の視点とフェリペ4世国王夫妻の視点をダブらせる仕掛けが施されています。夫妻の肖像画を描いているベラスケスとマルガリータ王女、従者たちが観賞者(すなわち国王夫妻)を凝視しています。国王夫妻の姿は、画面奥に掲げられた大きな鏡に映し出されています。この絵の主体は、もちろん画面中央の幼いマルガリータ王女ですが、ベラスケスは王女の可愛い姿を写すだけではなく、彼女の日常生活、両親やまわりの従者、動物たちに篤く、温かく愛されているさまを、画家自らの肖像をも含めて、両親の眼差しを通した形で表現しているのです。

さて「鏡のヴィーナス」で、ベラスケスはどのような想いで鏡をモデルの前に置いたのでしょう。鏡の角度はヴィーナス自身ではなく、観賞者に向いています。ヴィーナスが鏡越しに観賞者、あるいは描く人、ベラスケスを見ていることになります。ベラスケスならば、愛する人が自分を描く様子をずっと見つめているということになります。そのようなベラスケスと愛人との交歓の様子を、観賞者に悟られないためにも、ベラスケスは鏡の中の女性の顔の詳細をぼかしたのでは、と推察できますが、皆さんはいかがでしょうか。





ディエゴ・ベラスケス(Diego Rodríguez de Silva y Velázquez)は、1599年に、スペイン南部のセヴィリアに生まれています。1610年ころ、11歳で後に義父となる画家フランシスコ・パチェーコに弟子入りします。1623年に23歳の若さで、国王フェリペ4世付きの宮廷画家になり、以降30年以上にわたり、国王夫妻や王女始め宮廷の人びとの肖像画や宮殿の装飾画を描きつづけました。1628年にマドリードを外交官として訪れたルーベンスと親交を持ち、画家としての影響を受けています。1629〜31年に第1回のイタリア旅行。1647〜51年に第2回のイタリア旅行中に「鏡のヴィーナス」を制作しています。1656年に傑作「ラス・メニーナス」を制作。サンティアゴ騎士団に加入を許され貴族に叙せられます。1660年に死去します。享年61歳。


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