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ジャン=オーギュスト=ドミニク・アングルの「オダリスク」

今回は、前回のベラスケスの「裸のヴィーナス」に続いて、美しい背中をみせる裸婦像です。ジャン=オーギュスト=ドミニク・アングルが1814年に制作した「オダリスク」です。「裸のヴィーナス」から170年経っています。 



ジャン=オーギュスト=ドミニク・アングル作 「オダリスク」1814/パリ・ルーヴル美術館



存在感のある裸婦像です。首から背中、背中から腰、そして肩から右腕、両脚へ、流れるように柔らかな曲線が続いています。もちろんアングルはモデルの実物の身体を、とくに背中や臀部を誇張して描いています。肢体の曲線が、女性らしさを強調するとともに、臀部を球体状に大きく描き、身体全体の重量感と存在感を出してます。ターバンや装身具、孔雀の羽根の扇などが、オダリスク(オスマン帝国のハレムの女)という画題そのままに、オリエントの妖艶な官能世界を漂わせています。背景の暗闇と、カーテンやベッドカバーのシルキーでダークな光沢が、女性の艶やかな肌合をいっそう浮かび上がらせています。アングルの計算し尽くされた最高傑作ともいえる裸婦像ではないでしょうか。

この作品は、アングルが34歳の時に、皇帝ナポレオン1世の妹でナポリ王国の王妃カロリーヌ・ミュラからの依頼で制作されています。当時アングルは、1806年から1824年までの長期のイタリア滞在中でした。制作途中で帝政の崩壊があり、作品は王妃にわたされることなく、パリのサロンに出品されましたが、不評でした。しかしながら近代に至り、この作品はアングルの代表作として評価されています。別称を「グランド・オダリスク」といい、グランド(grande)は絵のサイズが91×162cmと大きいこともありますが、むしろ最高評価を込めた形容詞ではないでしょうか。

アングルは、師のジャック=ルイ・ダヴィッドの失脚後、新古典主義絵画を継承した19世紀フランス絵画の大家ですが、ダヴィッドが男性の堂々とした身体描写を得意としたのに対して、女性の身体美を追究した画家として知られています。イタリア留学時に、とくにラファエロに心酔し、ラファエロの描く女性像から多くの影響を受けています。この作品では、顔の特徴がラファエロの「小椅子の聖母」のマドンナの顔や「ラ・ヴェラータ」の女性の顔に酷似しているとの指摘があります。

とはいえ身体の描きかたはラファエロとは異なります。全体に均整と調和を重んじたラファエロの女性像に対し、長く伸びた背中をことさらに誇張しています。確かにこの作品では、長く湾曲した女性の背中がポイントになっています。背中はアングルの他の主要作品においても登場します。27歳の若き日の「ヴァルパンソンの浴女」(1808年)や最晩年の「トルコ風呂」(1863年)など、画家の生涯を通じて追求しています。露骨に裸体をみせることなく、女性の隠された美、色気のようなものを表わそうとしたのでしょうか。

この作品では、さらに背中を演出するために、背中だけでなく腕や肩、腰部、臀部にまでデフォルメが施されています。デッサンの天才といわれたアングルが、敢えてデッサンを無視してまで表現したかったものとは、いったい何なのでしょうか。筆者はアングルにおける“理想の女性美”ではないかと思います。客観的な見方で、いわゆる理想“的“な女性美というより、アングルが想像し創造する“理想の女性美”ということです。観る者の心理を見透かすように、女性の視線がこちら側に向けられています。あたかも、アングルが女性を通して、メッセージを送ってきているかのようです。

このような意図的なデフォルメは、その後の画家たちに影響を与え、近代絵画へ導くひとつのきっかけになったといわれています。印象派のドガやルノワール、セザンヌ、ピカソらにも大いなる刺激を与えています。



ジャン=オーギュスト=ドミニク・アングル(Jean-Auguste-Dominique Ingres)は、1780年に、フランス南西部のムースティエという小さな町で、美術装飾の職人を父に生まれ、1867年にパリで亡くなっています。享年86歳でした。幼少時より絵画を学び、12歳でトゥールーズのアカデミーに入学、1797年にパリに出て新古典主義の巨匠ジャック=ルイ・ダヴィッドのアトリエに入門します。1801年にローマ賞を受賞し、5年後にローマに留学、とくにラファエロから大きい影響を受けます。1820年にはフィレンツェに移り、滞在中も母国のサロンに出品しています。「浴女」や「オダリスク」などがあります。1824年にフランスに帰国。レジオン・ドヌール勲章を受賞し、アカデミー会員に推挙され、ダヴィッド失脚後の新古典主義のリーダーとして活躍します。1835年から1841年にかけて再びイタリアに滞在しますが、帰国後はフランス最高の画家として美術界の要職を歴任します。若い画家たちを指導するとともに、80歳を過ぎても創作意欲が衰えず、「泉」「トルコ風呂」などの傑作を数多く制作します。








カテゴリ:新古典主義 | 15:10 | comments(1) | -
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コメント
とても魅力的な記事でした。
また遊びに来ます!!
| 株の初心者 | 2014/07/11 10:15 AM |
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