<< ディエゴ・ベラスケスの「マルガリータ王女」 | main | アンリ・マティスの「赤い部屋(赤のハーモニー)」 >>
スポンサーサイト

一定期間更新がないため広告を表示しています

カテゴリ:- | | - | -
テオドール・ジェリコーの「メデゥーズ号の筏」
 今回は、フランスのロマン主義絵画の先駆者テオドール・ジェリコーの「メデゥーズ号の筏」です。この作品は2007年11月6日にすでに掲載していますが、改めて見直してみましょう。


テオドール・ジェリコー作 「メデゥーズ号の筏」1819/パリ・ルーヴル美術館


大変大きい作品です。縦4・9m、横7.2mあります。新古典主義の大家ジャック=ルイ・ダヴィッドによる「ナポレオンの戴冠式」(縦6.1m、横9.3m)に大きさでは及びませんが、間近で見るとそのダイナミックな構成に圧倒されます。筋肉むき出しの十数人の人物群像に加え、激しく波立つ海原と吹きすさぶ風がさらにその迫力を強め、まるで自分自身も筏で漂流する人びとと混在しているかのような錯覚に陥ります。

この作品が制作されたきっかけは、1816年7月にフランス海軍のフリゲート艦メデゥーズ号が、西アフリカのモロッコ沖で座礁し、乗組員を含めた約400名がボート6艘で岸に向かおうとしたところ、147名がボートに収容できず、やむを得ず手作りの筏で脱出を試み、13日間の漂流の末に救出されるという事件でした。生存者はたった15名という大惨事に終わったということですが、王政復古時の不祥事として政府が隠ぺい工作を図り、市民から批判を浴びた事件でもありました。

当時27歳のジェリコーはいわば義憤に駆られて、事件を告発する意味でこの大作に着手しました。事件の詳細を生存者2名から綿密に取材し、精密な筏の模型をつくったり、スケッチや習作をさまざまに作製しています。完成した作品は、1819年のサロン・ド・パリに出品され、新古典主義が支配する美術界にあって激しい論争を呼び、一躍ジェリコーは国際的に名を馳せ、フランス・ロマン主義絵画の先駆として脚光を浴びることになります。

画面手前の男たちは、おそらくは死に絶えた人物、あるいは死に瀕している人物と思われます。彼らに手をかけながら、茫然自失状態の男たちもいます。中央部では手を挙げたり、指さしたりする人物が数人います。仲間に水平線の彼方の船影を知らせようとしたり、大声で船にむかって叫んだりしているようです。最上部の男とその右隣の男は、シャツか布を振りかざし合図を送っています。

風と大波にもまれた筏、その狭い空間には死と生が交錯しています。この作品に接した当初は、画面下部の絶望から、上部の希望へのダイナミックな表現が、この作品の唯一の主題かと筆者は信じていましたが、実際に起きた海難事件における筏の救出劇の真相によると、ジェリコーはこの場面を、いったん船が近くを横切ったにもかかわらず、筏に気付かずに去っていく場面、すなわち乗員たちが希望から絶望に突き落とされる直前を描いたものだということが分かりました。

漂流という悲惨な状況下で船影を発見し、希望が見えたのもかかわらず、その希望が打ち砕かれることで、いっそう決定的な絶望を生むという、事件の細部を前提にしたリアルな事実をジェリコーは表現しているのです。遠くに現れた希望の後に、絶望のどん底が訪れるわけですから、その絶望感は計り知れないということでしょう。画面上部の乗員は、船影を見つけて歓喜の叫びを上げているのではなく、立ち去る船影を指さしながら絶叫、悲嘆の声を上げていることになるのです。

絵の印象は、その絵の制作された背景、作品に込められた画家の真の制作意図を確かめることで、第一印象から変化することがあります。自分のなかで一定の評価をしている作品でも、作者のもっと深い意図や、制作時の状況を知ることで、また異なる印象を得ることができるが、この作品で改めて感じました。皆さんのそのような経験がありませんか。



テオドール・ジェリコー(Théodore Géricaultは、1791年に北仏ノルマンディー地方のルーアンに資産家の息子として生まれ、1824年に32歳という若さで亡くなっています。1796年5歳のときに一家でパリに移住。1808年に17歳で本格的に画家の修業を始めます。1812年には、「突撃する近衛騎兵仕官」をサロンに出品し金賞を獲得します。1816年から1817年にかけてイタリアに滞在しミケランジェロから多くを学びます。1819年に問題作「メデゥーズ号の筏」をサロンに出品し、賛否両論の物議を巻き起こします。1820年に、「メデゥーズ号の筏」を携えてイギリスでの展示を挙行し成功させます。1822年までイギリスに滞在しますが、その間に「エプソムの競馬」を制作しています。その後フランスに帰国しますが、1823年に落馬がもとで亡くなります。「メデゥーズ号の筏」で前景でうつ伏せの男のモデルをつとめた、後輩画家のウジェーヌ・ドラクロワは、ジェリコーの作品やその制作姿勢から影響を受け、フランス・ロマン主義絵画を隆盛に導きます。


カテゴリ:ロマン主義 | 09:26 | comments(0) | -
スポンサーサイト
カテゴリ:- | 09:26 | - | -
コメント
コメントする