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ジョシャ・レノルズの「ウェヌスの帯を解くクピド」
 前回に続き<大エルミタージュ美術館展>から、ジョシュア・レノルズの「ウェヌスの帯を解くクピド」を観てみましょう。



ジョシュア・レノルズ作 「ウェヌスの帯を解くクピド」1788/サンクトぺテルブルク・エルミタージュ美術館



英国18世紀のロココ期の肖像画家として知られる、ジョシュア・レノルズが描いた神話画ですが、非常に官能的な絵です。白いヴェール状のドレスからはウェヌス(ヴィーナス)の両乳房が露わになっていて、さらにクピドがウェヌスの腰帯の結び目を解こうとしています。ウェヌスは、恥じらうように手で顔半分を隠しながらも、挑発的な視線を観る者に向けています。大きく覆いかぶさるような真っ赤な垂れ幕と、柔らかに波打つベッドに包まれた魅惑的な女性は、当時のブルジョア紳士たちを大いに魅了したことでしょう。

このウェヌスは、当時のロンドン社交界の華といわれたエマ(EMMA)という美女がモデルといわれています。庶民の出であるエマは、絵画のモデルや彼女独自の舞踊やパーフォーマンスで社交界の人気を集めていました。後年、ナポリの英国大使のハミルトン公爵の後妻として結婚しますが、ナポリを訪問したホレーショ・ネルソン艦長と恋におちます。ネルソンはナポレオン戦争の功績でのちに海軍提督になり、トラファルガー海戦で戦死し、英雄として称えられています。

ふたりの不倫ながら悲恋のドラマは、戦前の英国映画「美女ありき」で描かれています。主演のエマ・ハミルトン役はヴィヴィアン・リー、ネルソン役はローレンス・オリヴィエが演じています。NHK・BSで放映していましたが、エマはまさにヴィヴィアン・リーのはまり役だったように思います。この映画を制作のころは、ふたりともそれぞれのパートナーと離婚し、晴れて恋人役を堂々と演じていたそうです。



映画「美女ありき」(1941/英国)より


官能的な「ウェヌスの帯を解くクピド」を美術展で実際に鑑賞すると、さすがに多少気恥かしい思いに駆られます。しかしモデルになったエマ・ハミルトン、そして映画でそのエマを演じたヴィヴィアン・リー、エマの生涯と映画「美女ありき」のストーリィ、それらを重ね合わせると、絵の奥に生き生きとした人間ドラマが浮かび上がってきます。






ジョシュア・レノルズ(Sir Joshua Reynolds)は、1723年にイングランド南東部ディヴォン州プリンプトンに牧師の子として生まれ、1792年にロンドンで亡くなっています。享年68歳でした。少年のころに、肖像画家に弟子入りして技法を学びます。25歳から3年間イタリアで古典絵画を研究します。帰国後は肖像画家として人気を博し、1768年にロイヤル・アカデミーが創設されると初代の会長に推されます。イタリア古典画のような様式を重んじ、歴史画を最重要視します。肖像画においても、宗教的あるいは歴史的なしつらえを凝らして、理想化した肖像画を制作しています。ルーヴル美術館の「マスター・ヘア」のような愛らしい子どもの肖像画を描いた作品が有名です。






カテゴリ:ロココ | 22:47 | comments(0) | -
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