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レンブラント・ファン・レインの「ミネルヴァ」
レンブラントには名作が多く、「ミネルヴァ」はそれほど一般には知られていないのですが、レンブラントの傑作といってもよい作品のひとつです。 “ベルリン国立美術館展”では前回のフェルメールの名作「真珠の首飾りの少女」とともに、ひときわ光を放っていました。



レンブラント・ファン・レイン作 「ミネルヴァ」1631頃/ベルリン・国立美術館


いうまでもなく、レンブラントはヨーロッパ美術史上最高の画家のひとりで、オランダ屈指の巨匠として知られています。ただ最近は、フェルメールの人気が沸騰気味で、人によってはオランダの画家といえば、レンブラントよりフェルメールの名が挙がるほどです。今回の“ベルリン国立美術館展”のポスターや大看板においても、フェルメール作品と他の出品作とのペアの組み合わせでデザインされています。フェルメールの人気に頼った主催者の気持ちほどが察せられます。

たしかにレンブラント作品としてはあまり知られていない「ミネルヴァ」ですので、フェルメールの最高傑作といわれる「真珠の首飾りの少女」を、展示会の目玉作品にするのも無理からぬことだと思います。しかし実際に会場で鑑賞したときのそれぞれの印象では、このレンブラントの「ミネルヴァ」のほうが、はるかに強い光彩を放っていたように思われました。もちろんふたつの作品の光の効果については、異種の演出が施され、どちらの作品もそれぞれに評価されるべきですが、筆者は「ミネルヴァ」のほうに強く惹かれてしまいました。

「ミネルヴァ」は、レンブラントが25歳の頃の作品です。レンブラントが名声を獲得し始めたころです。背景の暗部の中から、女性が上部からの光を浴びて浮かび上がっています。纏っているマントは、深い暗赤色の質量感のある布地で、縁飾りが金糸で刺繍され、きらきら輝く宝石が縫い付けられ、合わせの部分には豪奢な毛皮が施されています。ミネルヴァという学問や技芸あるいは戦いの女神を、神々しい光に照らされた姿で描いていますが、観る者は、舞台でスポット照明を浴びているモデルの実在感、とくに纏っているマントの光る輝く質感、に圧倒されてしまいます。

このような集中する光に照らし出される人物像を巧み描いたレンブラントは、群像画ではそれぞれの個性的な人間を描き分け、集団の人間関係すらも描こうとしています。また単独の人物画では、その人物の人間性を深く追求し、年齢、身分、職業、性格、精神をも描き出そうとしています。この「ミネルヴァ」は、レンブラントの約50年におよぶ画業の初期の作品ながら、レンブラント芸術を代表する作品のひとつといえるのではないでしょうか。



レンブラント・ハルメンス・ファン・レイン(Rembrandt Harmensz. van Rijn)は、1606年にオランダのライデン(レイデン)で、製粉業の家庭に生まれ、1669年にアムステルダムで亡くなります。享年63歳でした。14歳になると本格的に画家を目指し、有力な歴史画家に入門します。早くから才能を発揮し、22歳で弟子を持つようになります。1631年アムステルダムに移り、代表作「テュルプ博士の解剖学講義」を制作し評判を得ます。1634年にサスキアと結婚し、独立した活動を始めます。工房は隆盛を極め、大量の注文をこなします。1642年には、有名な「夜警」を制作しますが、その翌年に妻サスキアを亡くします。幼い独り息子のために雇った、乳母との愛人関係から、1649年に婚約不履行で裁判沙汰になり、絵の注文が激減します。さらに1652年から始まった英蘭戦争による経済不況のため、ますます財政的に逼迫し、1656年に破産することになります。借金返済のために、美術商の言いなりの、失意の晩年生活を送ります。しかし最後の最後まで、意欲的に創作活動を続け、数々の傑作を残して世を去ります。







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