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アンソニー・ヴァン・ダイクの「マリア・デ・タシスの肖像」
 
今回の作品は、<リヒテンシュタイン 華麗なる侯爵家の秘宝>展(東京会場 2012/10/3〜12/23、高知会場 2013/1/5〜3/7、京都会場 3/19〜6/9)で展示されています。ハプスブルグ家を古くから支えたリヒテンシュタイン侯爵家が収集した美術コレクションを、日本で初めて大規模で公開されたのがこの展示会です。



アンソニー・ヴァン・ダイク作 「マリア・デ・タシスの肖像」1629-30/リヒテンシュタイン家コレクション


リヒテンシュタイン展には、ルネサンス美術の巨匠ラファエロの作品を始めとする世界の名画が40数点展示されていますが、なかでも筆者の眼を惹きつけたのが、この作品でした。華麗で繊細、貴族風の衣装を堂々と着こなした、若くて美しい魅力的な女性の肖像画です。衣装細部の精緻な描写に目を奪われたことも確かですが、女性の視線が魅惑的で印象的です。いわゆる流し目ですね。好奇心をもって人の様子をうかがいながら、自身への関心を喚起しています。

ヴァン・ダイクは若くして画家として独立し、その才能を認められて、あのバロック美術の大家ルーベンスの助手に採用されています。この作品は30歳頃の作で、画家としての評判も大いに上がり、技量的にも円熟期にさしかかった時期の肖像画です。

肖像画は単に人物像を正確に写すだけでなく、ある種の理想化が望まれます。女性であれば実際以上に美しく描くことでしょう。しかもそれは作り物ではなく、リアリティがなくてはなりません。このマリアの魅惑的な視線が、輝くシルクの光沢と精密なレース、豪華な宝飾などとともに、実物以上の魅力、生命感を与えているのではないでしょうか。

マリア・デ・タシスは、アントウェルペンの19歳になる金持ちの娘のようですが、あたかも王侯貴族の子女として描かれています。ヴァン・ダイクの肖像画はヨーロッパ中の上流階級に評判となり、ついにはイングランド王チャールズ1世の宮廷画家として長く仕えることになります。ヴァン・ダイク風の肖像画は、その後の英国の画家たちに影響を与え、後世のジョシュア・レノルズ(1723-92)やトマス・ゲインズボロー(1727-88)ら優れた肖像画家を輩出する原点になったといわれています。

さて、ヴァン・ダイクは美しい自画像でも有名です。もちろん彼自身が美男であったこともあるでしょうが、おそらく理想化が施されているのではないでしょうか。とくに若いころの自画像は、気取ったポーズといい目配せといい、演出が感じられます。肖像画のポイントを自分自身の肖像で試行錯誤していたのでしょう。肖像画の売り込みのためにサンプル画として仕立てたのでは、とも推測されます。



アンソニー・ヴァン・ダイク作 「自画像」1622-23/エルミタージュ美術館


この自画像はなかでも最も知られた自画像です。ヴァン・ダイクが23歳のときの作品ですが、もうすでに肖像画家としての地位が確立していた時期のものです。さらに高みを目指していたのでしょうか、十分に気取ったポーズが特徴的です。演出が過剰気味に思われますが、自画像の注文を獲得しるためにも必要なものだったのでしょう。注文主が自分の立派に仕上がった自画像に、大いなる期待を寄せるのは無理からぬことだと思います。

美男の肖像画家に対して、美人の肖像画家として名をはせた画家がいます。フランスのエリザベト=ルイーズ・ヴィジェ=ルブラン(1755-1842)です。彼女はあのマリー・アントワネットの肖像画家として有名です。詳しくは拙ブログ“エリザベト=ルイーズ・ヴィジェ=ルブランの「自画像」”(2011年11月30日付け)の再見をお願いします。



エリザベート=ルイーズ・ヴィジェ=ルブラン作 「自画像」1790/フィレンツェ・ウフィツィ美術館





アンソニー・ヴァン・ダイク(Anthony van Dyck)は、1599年にフランドルのアントウェルペンで裕福な家庭に生まれ、1641年にロンドンで亡くなっています。享年42歳でした。幼少の頃より画家としての才能を発揮し、16歳で画家として活動、当時ヨーロッパ中で評判だったピーテル・パウル・ルーベンスの工房に入り、ルーベンスの右腕として活躍します。1621年から6年間イタリアに滞在し、ルネサンスの巨匠たちの作品から多くを学びます。1627年にアントウェルペンに戻り、上流階級から数多くの肖像画や祭壇画の注文を受けます。1632年にはイングランド王チャールズ1世の宮廷画家としてロンドンに移住します。1638年にスコットランド貴族の娘メアリーと結婚しますが、イングランド内戦前後から英国を離れることが多く、1641年パリで重病を患いロンドンに帰ってから息を引き取りました。






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