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エル・グレコの「白貂の毛皮をまとう貴婦人」

没後400年のスペイン絵画の巨匠、エル・グレコの回顧展が、東京都美術館で開催されています。1月19日(土)から4月7日(日)までの日程です。スペインはじめ世界各国から集められた油彩画50点以上が展示されています。筆者はその中でも、「白貂の毛皮をまとう貴婦人」に注目しました。




エル・グレコ作 「白貂の毛皮をまとう貴婦人」1577-79/グラスゴー・グラスゴー美術館(ポロックハウス)


エル・グレコは、マニエリスム期のとくに宗教画の巨匠として有名ですが、肖像画でも有名です。今回のエル・グレコ展では、「修道士オルテンシオ・フェリス・パラビシーノの肖像」や「芸術家の肖像」といった肖像画の傑作が多く展示されています。それらのなかで、この「白貂の毛皮をまとう貴婦人」は異色の肖像画と言っていいでしょう。

グレコらしいデフォルメも無く、質感や立体感、動きを出す荒い筆のタッチもそれほど見られません。そこに描かれているのは、実に美形の女性であり、細やかなタッチによるふわっとした毛皮です。本当にグレコの筆なのかと思うほどです。モデルの女性は、へロニマ・デ・ラス・クエバスというグレコの内縁の妻だそうです。トレドに来てすぐに同棲し、正妻と離婚できないままに37年間生活をともにしたといわれています。

クレタ島に生まれたグレコは同島で画家として独立した後、ヴェネツィアでティツィアーノに師事し、イタリア各地でルネサンスの傑作から多くを学びます。30代後半にスペインに移り、トレドを活動拠点にします。宗教画を数多く受注しますが、グレコの独創的な解釈によるキリストはじめ聖人たちの描写や構図によって、教会側とトラブルをしばしば起こしています。しかしながら画家としての圧倒的な実力からか、スペイン中に作品が残っています。

正妻ではないにしろグレコにとってへロニマは最愛の女性で、ふたりの間には息子がいます。受胎告知や聖家族の場面などに描かれる聖母マリアはもちろん、悔悛するマグダラのマリアは、最愛の女性へロニマがモデルになっているようです。というよりへロニマは、理想の女性のイメージに近い、したがって聖母マリアや悔悛したマグダラのマリアを描くと、へロニマに似てくるということでしょうか。グレコの描くマリアはどの作品においても、非常に似通った顔立ちです。

グレコの描くマリアたちが、聖なる女性美、天上における理想の女性を表しているとすれば、この「白貂の毛皮をまとう貴婦人」は最愛の人へロニマの肖像であり、リアルな地上の女性の理想美を追求したものといえます。へロニマの個性に迫った肖像画の傑作といえるのではないですか。




エル・グレコ(El Greco)は、1541年に当時ヴェネツィア共和国支配下のクレタ島の首都カンディア(現イラクリオン)で生まれています。1614年にスペインのトレドで亡くなっています。享年73歳。本名ドメニコス・テオトコプーロスといいますが、ギリシャ人を意味するイタリア語のグレコに、スペイン語の定冠詞エルを付けたエル・グレコが通称になったそうです。クレタ島で画家として活動を始め、20代後半にヴェネツィアでティツィアーノに師事。ローマに移りさらにイタリア・ルネサンスを学びます。30代後半にはスペイン・マドリードに移住し、ほどなくトレドに移り画家としての活動を拡大します。同時に愛人へロニマ・デ・ラス・クエバスと同棲し、亡くなるまでトレドを離れることはありませんでした。後にマニエリスム期の巨匠として知られ、ピカソらの近代絵画に与えた影響は多大なものがあります。







カテゴリ:マニエリスム | 19:36 | comments(1) | -
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コメント
とても魅力的な記事でした。
また遊びに来ます!!
| 履歴書の見本 | 2014/06/07 11:17 AM |
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