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ペーテル・パウル・ルーベンスの「毛皮をまとった婦人像」
渋谷のBunkamuraザ・ミュージアムにて、ルーベンス展(3月9日〜4月21日)が開催されていました。副題を<栄光のアントワープ工房と原点のイタリア>として、ルーベンスが主宰した大規模な工房の様態とイタリア滞在時代の作品の紹介を通じて、ルーベンスの創作活動を多面的に展示していました。

その中で今回は、イタリア時代に研究したティツィアーノ作品の模写を紹介します。 



ペーテル・パウル・ルーベンス作 「毛皮をまとった婦人像」(ティツィアーノ作品の模写)1629-30/ブリスベン・クィーンズランド美術館


前回で紹介しました「グレコ展」もたいへん意欲的な展示会でしたが、このルーベンス展も企画性が際立った展示会です。ルーベンスの創作活動が、どのような絵画史の系譜に位置付けられているか、工房を介して活動の幅をどのように拡げていったか、外交官としていかに平和を強く希求していたか、家族への愛情がどれほど温かく表われているか、さまざまに語られた展示会でした。

今回のこの作品は、ルーベンスが52歳頃の作品です。妻に先立たれたルーベンスが16歳のエレーヌ・フールマンと再婚したのが1630年ですので、エレーヌを描いたものではと思われましたが、ティツィアーノの「毛皮をまとった婦人像」(1535-37)の模写ということでした。しかし顔はエレーヌの面影があります。「毛皮をまとったエレーヌ・フールマン」(2011.02.24付けの拙ブログ)のエレーヌの顔とよく似ています。

顔つきばかりか、身体つきもエレーヌに近いかもしれませんが、他の部分はティツィアーノの作品を忠実に写しています。1627年から1630年にかけて、ルーベンスは英国にたびたび赴き外交官として活動しています。同時期フールマン家と交流していましたから、16歳の少女との結婚話があったのではないでしょうか。イタリア・ルネサンス芸術の巨匠ティツィアーノのこの作品が、当時はロンドンにあったそうですが、模写しながらエレーヌへの想いを画布に反映させたというのが実情のように思います。




ティツィアーノ・ヴェチェッリオ作 「毛皮をまとった婦人像」1535-37/ウィーン・美術史美術館


この作品がティツィアーノの「毛皮をまとった婦人像」です。身体つきはともかく、端正でつつましやかな上流階級の婦人が半裸でポーズをとっています。裸の女性が女神、天上における理想の女性を表し、着衣の女性が俗世の女性の姿を表すとすれば、この半裸の女性は美の化身として表現されているということになります。裸身の女性とくれば愛と美の女神ヴィーナス、あるいは毛皮をまとった純潔の女神ダイアナということにもなります。

ティツィアーノは「ウルビーノのヴィーナス」(1538頃/フィレンツェ・ウフィツィ美術館)に同じモデルを使っているようです。そのモデルは売春婦ということですが、ティツィアーノにとっては、ヴィーナスに最も近い現世の女性だったのでしょう。

ティツィアーノの「毛皮をまとった婦人像」の端正で無垢なイメージに比して、ルーベンスのそれはいかにも人間的な感じです。やはりエレーヌへの想いが強く影響したのでしょうか。ルネサンスとバロックおおよそ100年の隔たり、そしてティツィアーノとルーベンスの人間性の差を微妙に感じさせる両作品です。





ぺーテル・パウル・ルーベンス(Peter Paul Rubens)は、1577年に、両親の亡命先のドイツのジーゲンで生まれ、1640年、現在のベルギーのアントウェルペンで死去します。享年63歳。幼いころは、ラテン語学校に通いますが、父の死による経済事情から、画家への道を志し絵の修業をします。1598年、21歳の頃には独立し画家組合に入り、1600年イタリアへ修業に出ます。幸運にもマントヴァ公の宮廷画家となり、イタリア各地で活躍し、1608年に故郷に戻ります。まもなく当時のスペイン総督のアルブレヒト大公夫妻お抱えの宮廷画家になり、1609年最初の結婚をイザベラ・ブラントとします。以降、有名な祭壇画「キリスト昇架」「キリスト降架」など数多くの傑作を制作し、1622年にはパリでフランス皇太后マリー・ド・メディシスの連作画を3年がかりで完成させます。1626年に妻のイザベラがペストのため死去。1628年には、外交使節としてスペインに派遣され、ベラスケスと会います。1629年には英国へも外交官として派遣され、絵の注文も受けています。1630年、53歳のときに、友人の娘で16歳のエレーヌ・フールマンと2度目の結婚をします。1638年には、平和を希求する大作「戦争の惨禍の寓意」を制作します。これはピカソの「ゲルニカ」などに影響を与えた作品といわれています。なお、ルーベンスはドイツ語読みで、オランダ語の発音ではリューベンスあるいはリュベンスといいます。









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