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ラファエロ・サンティの「自画像」
 前回に引き続き今回は、東京・上野の国立西洋美術館で開催された“ラファエロ展”に出品されていたラファエロの「自画像」です。



ラファエロ・サンティ作 「自画像」1504-06/フィレンツェ・ウフィツィ美術館


虚ろげな目をこちらに向けた青年は、ラファエロの若き日の自画像です。21〜3歳のラファエロと思われます。

すでに徒弟修業を終え画家として独り立ちし、各地の教会から祭壇画の制作を依頼され順調に大画家への道を歩み始めたころのラファエロです。それにしても、才能豊かな青年画家の真の姿を写しているようにも思えません。虚ろな眼付、物憂げな表情が気になります。当時の若き青年の気取りのポ−ズなのでしょうか。

表情はともかく、容貌は端正に整った美しい青年です。芸術家らしい繊細な眼鼻立ちが印象的ではありませんか。いわゆる優男という感じですね。恋多きラファエロという異名がぴったりです。ここらの要素が災いとなったのでしょうか、ラファエロは37歳いう短い生涯で終えた、と後世の美術史家ジョルジュ・ヴァザーリが著していたそうです。

さて、このたびの“ラファエロ展”には、もう一枚のラファエロの自画像が展示されていました。それがこの作品「友人のいる自画像」です。



ラファエロ・サンティ作 「友人のいる自画像」1518-20/パリ・ルーヴル美術館


後方左側の人物がラファエロです。ラファエロが35〜37歳のときに描かれた自画像ということになりますが、ラファエロは37歳の誕生日に亡くなっていますので、彼の最晩年の自画像といえます。

年齢も中年にさしかかり、自信に満ちたラファエロの姿が描かれています。前の自画像が描かれた直後の1504年ごろからフィレンツェに滞在し、レオナルドやミケランジェロたちから多くを学び、1508年にはローマ教皇からの招致を受け、ヴァチカン宮殿での仕事を任されていました。大規模な工房を組織し、実力そして名声ともに頂点を極めていました。

ここに描かれている友人とは、当時のラファエロの愛弟子で、工房の中心人物のジュリオ・ロマーノ(1499-1546)といわれています。画面をみる限りでは、ふたりは相当に親しい間柄に見えます。とくにラファエロを見返すジュリオ・ロマーノが、ラファエロによほど心酔しているのが分かります。

ふたつの肖像画の感想はいかがですか。ラファエロの描く明るくカラフルな画面と異なり、モノトーンで地味な感じがします。観る人びとを魅了するような世界ではなく、画家の記録的な記念写真といった感じですね。ある意味で素の、リアルなラファエロを写しているように思います。



ラファエロ・サンティ (Raffaello Santi  あるいはサンツィオ Sanzioは、1483年に、イタリア・ウルビーノの宮廷画家の息子として生まれ、1520年にローマで37歳で亡くなっています。8歳で母、続いて父を11歳で亡くしていますが、幼くして父から画家の手ほどきを受け、イタリア・ルネサンス絵画の巨匠ぺルジーノの工房に入り、早熟の才能を育みました。20歳になる頃には、師を超越したとされました。21歳にはフィレンツェに移り、レオナルド・ダ・ヴィンチやフラ・バルトロメオの作風を吸収し、1508年に25歳でローマに出て自らの工房を開き、当時の教皇ユリウス2世に雇われます。1509年からヴァチカン宮殿の壁画を手掛け、自らの様式を完成させます。1512年頃には「サン・シストの聖母」やキージ家の別荘の「ガラテイアの勝利」を制作し、1514年からはサン・ピエトロ大聖堂の主任建築家、1517年にはローマ古物監督責任者になっています。1520年37歳の誕生日の4月6日に、高熱治療の不手際から急死しています。墓は古代ローマ時代の建築物パンテオン内に祭られています。レオナルド・ダ・ヴィンチ、ミケランジェロと並び、イタリア・ルネサンスの3大巨匠と称され、盛期ルネサンスの様式を確立した芸術家として、後世の美術、建築に与えた影響は大きいとされています。















カテゴリ:ルネサンス | 11:05 | comments(0) | -
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