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写実主義の巨匠クールベ

ギュスターヴ・クールベ作 「オルナンの埋葬」1849-50/パリ・オルセー美術館


1850年のサロンに出品されたこの巨大な作品(311×668僉砲蓮▲ールベの生まれ故郷オルナンにおける埋葬式を描いています。

大勢の列席者たちが等身大の大きさで、大型の集団肖像画のように表現されています。事実この絵のクールベによるタイトルは《オルナンの埋葬に関する歴史画》となっています。

観るものはまずその巨大さに驚かされますが、描かれている埋葬式が誰か有名な人物のものではなく、単に普通の埋葬式であることがさらに驚きを大きくします。

当時のこの作品に対する評価も、片田舎の無名の歴史的価値のない埋葬式を、仰々しくも歴史画風な大作に仕上げたことへの嘲笑的なものでした。

しかしこれは少壮気鋭のクールベによる既存のアカデミックな価値観への挑戦状だったのです。

自分自身の眼で見た世界を、経験した世界をそのまま描くという熱い信念が、クールベの創作活動の原点にあったのでしょう。

まさにクールベの情熱と気概に圧倒される作品です。





ギュスターヴ・クールベ作 「画家のアトリエ」1855/パリ・オルセー美術館



この作品もたいへん大きな作品(361×598cm)です。

1855年のパリ万国博覧会に出品を拒否され、他の作品とともに万博会場の近くの特設展示場に『ギュターヴ・クールベによるレアリスム。作品40点の展覧会。入場料1フラン』という看板を掲げて一般公開されました。

いわゆる「写実主義のクールベ」の始まりです。

この作品のタイトルをクールベは《画家のアトリエ。7年間のわが芸術的生涯の様相を明らかにする現実的寓意》としています。

クールベ自身である画家を中心に、裸婦と子供と白猫がいます。画家が描いている風景画は故郷の風景を題材にしているようです。

画家の右手には親しい友人たち(右端にはボードレール)、左手には死体や髑髏、短剣、羽飾りの帽子、宗教家、狩猟者、乳飲み子を抱いた貧しい女などが描かれています。

意味するところの細部は判然としませんが、画家として置かれている過去と現在の有様を寓意的に表現したものでしょう。

ドラクロアは「一時間もこの作品をながめ、ここにひとつの傑作を発見した」と日記にしるしているそうですが、巨匠ドラクロアなるがゆえの評価なのでしょう。





ギュスターヴ・クールベ作 「罠にかかった狐」1860/東京・国立西洋美術館


ギュスターヴ・クールベ作 「波」1870頃/東京・国立西洋美術館


上の二つの作品は東京で観ることのできるクールベの作品です。

激しく動く動物あるいは波の一瞬の様子を、迫力にみちた筆致で描いています。

普通の現実世界を画家の眼を通して、画家の描く力によって芸術作品に仕上げる、というクールベの強い信念が感じられます。

そこでは絵画に表現されているものを理解するための教養や知識を必要としません。物語も歴史も宗教もなく、だれにでも理解できる現実の世界の一断面が描かれているのです。

このようなクールベの考え方が次の世代に影響して、印象派などの新しい運動につながっていったのでしょう。



クールベはアカデミーの絶対的な権威に対して挑戦的な姿勢を貫き、自分の信じる生き方を追求していきました。

そういった挑戦的、革新的な生き方からか、1870年にはパリ・コンミューンに参加して、投獄されています。

その後スイスに亡命し、故国に帰ることなく亡命先で亡くなりました。享年58歳でした。







《クールベの生涯》
1819年フランスの小さな村、オルナンに裕福な地主の子として生まれる。
1840年パリ大学法学部に入学するが、本人は画家を目指す。
1844年サロンに入選し、画家としてデビューする。
1855年パリ万国博覧会に『画家のアトリエ』などを出品しようとするが落選し、それらの作品をもって博覧会場近くで「クールベ展」を開く。後に世界初の「個展」といわれている。
1870年パリ・コミューンに参加して投獄されている。
1877年亡命先のスイスで死去。(享年58歳)
カテゴリ:写実主義 | 11:35 | comments(0) | -
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