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叙情画家の名匠コロー

カミーユ・コロー作 「朝、ニンフの踊り」1850頃/パリ・オルセー美術館


すでに十分に実力と名声を勝ち得ていたコローが1851年のサロンに出品した作品です。

サロンでは観客から最も支持され、政府買い上げ作品になりました。

爽やかな空気に満たされた森のなかで、ニンフたちが夜明けの喜びを舞っているのでしょうか、木々のひと枝ひと枝までが表情豊かに画面全体に響きあっています。

自然と人とが理想的に調和する世界を叙情的に描いています。

19世紀に入って風景画が絵画の主導的なジャンルになってきましたが、コローはロマンティックな自然観を持ち、ロマン主義から写実主義への道程の仲立ちをしました。

16世紀のフォンテーヌブロー派が森の中での貴族たちの生活を、とくに貴婦人の裸身を好んで描いていましたが、コローは自然の風景を主役に庶民が喜び遊ぶ光景との融和をリリカルに描きました。

コロー以降の風景画の流れのひとつにバルビゾン派がありますが、彼らバルビゾン派の画家たち、ルソー、ミレー、ドービニーたちは田園の自然と生活をそのままに描きました。

彼らの自然をロマンティックな解釈をせずに描くという姿勢は、さらに印象主義への流れとなっていったのです。






カミーユ・コロー作 「モルトフォンテーヌの想い出」1864/パリ・ルーヴル美術館




コローの最も有名な作品のひとつです。

右の大木と左の細い木、大きな木々と小さく描かれた親子たち、前景の粗いタッチの木々や草地と遠景の静かな水面や霞む森が、それぞれ対照的に描かれています。

全体がコロー特有の霞がかかった銀灰色のトーンに支配されています。

濃褐色から淡灰色の抑えた色調にもかかわらず、地面を覆う草や空に伸びる木々の枝葉に見られる生き生きした筆致によって、画面がみずみずしい生命感に満ちているように感じます。

まさにコローの円熟期に傑作といってよいでしょう。

14年前に制作された前の作品「朝、ニンフの踊り」とはその筆致や細部において相違が見られますが、そのテーマ性や全体の色調において共通するところが多く、変わらないコローの制作姿勢がうかがわれます。

民族衣装を着た人物や樹木の生気に満ちた表現も共通するところです。このような甘美でロマンティックな風景画をコローは数多く残しています。






カミーユ・コロー作 「真珠の女」1868-70/パリ・ルーヴル美術館



数少ないコローの肖像画です。

レオナルド・ダ・ヴィンチの「モナ・リザ」からその構図をとったといわれています。またイタリア風の衣装からもイタリアへの想いから制作されたのではないかといわれています。

タイトルに真珠とありますが、これは髪飾りの小さい葉っぱが額に影を落としているのが真珠に見えたためといわれているようです。

美しい若い女性像ですが、どことなく寂しげで全体にメランコリーな表情です。

「モナ・リザ」が顔をしっかり立て視線をこちらにむけた微笑みの表情をしているのに対して、この作品の女性はややうつむき加減で視線を少しそらしたような、憂いを帯びた表情をしています。

愛しいという感情を感じるとすればこのコローの「真珠の女」の方に感じますが、みなさんはいかがでしょう。

コローが70歳過ぎ晩年期の作品です。






《コローの生涯》
1796年パリの裕福な織物商人の子として生まれる。
1822年26歳にして画家を志す。
1825年に最初のイタリア旅行。以後1834年、1843年にもイタリアに滞在する。
1840年サロンで絶賛され、画家として有名になる。
1846年人物のいない風景画に挑戦した野心作「フォンテーヌブローの森」がサロンに入選する。
1849年サロンの審査員に選出される。
1855年パリ万博美術展に出品しグランプリ受賞。
1864年民主的に再編成されたサロンで再び審査員に推される。
1875年パリにて死去。(享年78歳)
カテゴリ:写実主義 | 22:24 | comments(0) | -
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