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ロマン派の巨匠ドラクロワ

ユジェーヌ・ドラクロワ作 「キオス島の虐殺」1824/パリ・ルーヴル美術館


トルコ軍に対するギリシャの独立戦争は1820年に始まり、ヨーロッパのの若者たちに大きな反響を呼びました。そして1822年、キオス島でトルコ軍による大虐殺事件がおきました。

ドラクロワは奔放な想像力を駆使して、悲劇的な場面をこの作品に表現しました。

生々しい情景が現実の事件であるだけに、いっそう悲惨さが当時の人びとに伝わったことでしょう。

しかしながらあまりにも現実的な事件をテーマにしているために、芸術的な評価としては賛否両論の大論争が起きました。

先輩画家のグロは「これは絵画の虐殺だ」と評したそうです。





ユジェーヌ・ドラクロワ作 「サルダナパールの死」1827-28/パリ・ルーヴル美術館


イギリスのロマン派詩人バイロンが1821年に発表した劇詩「サルダナパールの死」に着想を得た作品です。

古代アッシリアの暴君が民衆の反乱に遭い、滅びていくようすを描いています。

寵愛した女や小姓、犬や馬までを殺すように命じ、自らは従者が捧げる毒盃をあおって死を迎えようとしています。

阿鼻叫喚の情景を呆然とながめる王の冷静な様子、衛兵に腕をつかまれ断末魔の裸の女、すでに息絶えて寝台にうつ伏せる寵妃、首をつる女、死を悟って暴れる愛馬、しっかりと毒薬と盃を支える従者がドラマチックに描かれています。

真っ赤な布が画面の左上から右下に大きく広がり、周りの褐色の陰影部分との境界には白い女の裸身と白い王の衣服、効果的な明暗と色彩はまさにドラクロワの真骨頂です。





ユジェーヌ・ドラクロワ作 「民衆を導く自由の女神」1830/パリ・ルーヴル美術館


1830年7月シャルル10世を倒しブルボン王朝に終止符を打った、いわゆる7月革命を描いています。

自由・平等・博愛の三色旗を掲げた自由の女神が民衆を率い、幾多の犠牲者の屍を乗り越えて革命に突き進んでいる様が分かり易く表現されています。

革命の次の年にこの作品はサロンに出品され、多大な支持を獲得して政府の買い上げ作品となりました。以来フランス人にとっては自由の象徴として長く愛されている作品として知られています。

実際には革命に参加しなかったドラクロワは、この絵を描くことによって革命への熱烈な思いを込めたといわれています。銃を手にしたシルクハットの男はドラクロワともいわれています。

遠い昔の歴史的に周知の事実ではなく、自国の今日的な重大事件をすばやく大作に仕上げたことに驚かざるをえません。

ドラクロワの情熱を感じます。





ユジェーヌ・ドラクロワ作 「ショパン像」1838/パリ・ルーヴル美術館


ユジェーヌ・ドラクロワ作 「ジョルジュ・サンド像」1838/コペンハーゲン・オルドルプ=コレクション


ドラクロワは同時代の文学や音楽を愛好していました。パリで活躍していたショパンとは親しい友人であり、作家のジョルジュ・サンドともまた親しくしていました。

このふたりは恋人同士であり、ドラクロワは年下のふたりの共通の友人でした。

ショパンがピアノを弾き、ジョルジュ・サンドが後ろで聴いている姿のスケッチが残っています。2枚の油絵はもともとは一枚の油絵で、ふたりの仲むつまじい肖像画だったと思われますが、どういう経緯で離ればなれになったのかは判っていないようです。



ドラクロワは生涯独身を通し、弟子もほとんど取らない孤独な人生だったようですが、芸術をひろく愛し、勉強家だったようです。

数多くの評論や作家論を発表し、独力で『美術辞典』を執筆し膨大な日記も残しています。残された数多くの作品だけでなく、これらの文章による資料が後世の画家、作家たちに多大な影響を与えました。

絵画の上でのロマン主義はジェリコーに始まりドラクロワによって最も多くの成果を得たといわれますが、そのドラクロワは印象主義の画家たちの精神的、色彩技術的なバックボーンになっていきました。

ドラクロワが個性的な美を徹底して追求する姿勢は、現代に至るまで普遍的に受け継がれています。






《ドラクロワの生涯》
1798年パリ郊外シャラントン=サン=モーリスで外交官の子として生まれる。
幼い頃から音楽、文学、絵画に才能をみせる。
1815年17歳のときゲランのアトリエに入門。そこでジェリコーに出会い、ロマン主義の影響を受ける。
1822年「ダンテの小舟」でサロンにデヴューする。
1824年「キオス島の虐殺」を発表。賛否両論の話題となるが政府買い上げとなる。
1832年政府外交使節に随行しモロッコを旅する。
以後サロンで絵画作品を発表する一方、政府関係の大建築の装飾を数多く手がける。
1863年パリで死去。(享年65歳)
カテゴリ:ロマン主義 | 16:42 | comments(0) | -
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