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ロマン派の先駆者ジェリコー

テオドール・ジェリコー作 「突撃する近衛騎兵仕官」1812/パリ・ルーヴル美術館


1812年、21歳のジェリコーはこの絵をサロンに出品し、金賞を獲得します。

2年後の1814年にはナポレオンが退けられ、ルイ18世が即位する王政復古の時代でした。ジェリコー自身も近衛騎兵を志願したようです。

激しく立ち上がる軍馬を斜めの構図に大胆に配置し、騎乗の仕官が後ろを振り返り兵士たちに号令する一瞬を捉えています。

当時としては革新的な構図であり、躍動美でした。

若いころから馬を愛し、馬をを描くことに熱心であったジェリコーが馬を中心に描いた作品です。

確かにタイトルのように近衛騎兵士官を描いているですが、画面では迫力のある軍馬の躍動するありさまのほうにに目を奪われてしまいます。






テオドール・ジェリコー作 「メデゥース号の筏」1819/パリ・ルーヴル美術館


この作品は当時の新古典主義に正面きって挑戦し、ロマン主義運動の口火を切った最初の作品といわれています。

作品完成の3年前に実際に起きた遭難事件を題材にしています。

フランス海軍のフリゲート艦メデゥース号がモロッコ沖で座礁し、救命ボートに乗り切れなかった149名が急ごしらえの筏で12日間漂流し、わずか15名のみが救出されるという悲劇的な事件でした。

ジェリコーは徹底的に事件を取材して真実を再現するように最大の努力をしました。結果はこのような大作となってルーヴルに掲げられています。

当時は理想とする美を描くことが画家の使命でしたが、ジェリコーは現実の真実を、見る人が感動する事実を表現したかったのです。

確かにこの事件の悲劇はひとびとの大きな関心を呼びましたが、絶望的な状況から救出され希望が現実になるというドラマチックな瞬間を、ジェリコーが見事に再現することでいっそう話題になったといえます。

このことが政治的な問題となり、この作品の一般公開ができなくなる事態になってしまいました。そこでジェリコーはこの作品をイギリスに持ち出し、有料で公開して多くの観客を集めたそうです。

絵そのものの構図は、前景の悲惨なかずかずの死体と絶望的な表情の数人から始まり、救出をもとめて手を挙げる人、合図の布切れを振る人、そした右奥には遥か沖合いに小さく船の影が描かれています。

絶望から希望へ死から生への流れが、画面の右奥の方向に時間的な経過をともなってダイナミックに表現されています。

ロマン派芸術の最高傑作のひとつです。






テオドール・ジェリコー作 「エプソンの競馬」1821/パリ・ルーヴル美術館


「メデゥース号の筏」をロンドンで公開して、そのままイギリスに滞在したときに描かれたものです。ロンドン郊外のエプソン競馬場での競馬の情景です。

幼いころから馬に親しんでいたジェリコーは、馬を描くことにも熱心でした。サロンにデヴューしたときの作品も馬が主役でした。

ロンドンに滞在した間に数頭の競走馬を購入したほどにイギリスの競走馬にほれ込んだといわれています。

競走馬が疾走するスピード感をとくに描きたかったようです。

実際に疾走する馬が前後に脚を伸ばしたときは、この絵のように宙に浮いたような姿にはならずに、必ずいずれかの脚が地に着いているとのことです。

しかしジェリコーは敢えてスピードを表現するために宙に浮かし、馬の胴も長めに描いたようです。

確かに右から左へ流れるように疾駆する感じがよくでています。

しかし現代のように騎手が腰を上げたスタイルではなく腰を鞍につけたままのせいでしょうか、いまひとつ迫力感が欠けているように思います。

のどかな田舎の草競馬の雰囲気を感じてしまいます。







《ジェリコーの生涯》
1791年北仏ノルマンディー地方ルーアンで裕福な家庭に生まれる。
1796年5歳の時に家族とともにパリに移住する。
1808年17歳になり画家としての修業を始める。
1812年「突撃する近衛竜騎兵仕官」をサロンに出品し金賞を得る。
1816年からイタリアに滞在しミケランジェロの影響を受ける。
1819年代表作「メデゥース号の筏」を発表し賛否両論を巻き起こす。
1820年から2年間イギリスに滞在する。
1824年2度の落馬事故がもとで死去。(享年32歳)
カテゴリ:ロマン主義 | 11:48 | comments(0) | -
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