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新古典主義の大家アングル

ドミニク・アングル作 「ヴァルパンソンの浴女」1808/パリ・ルーヴル美術館



28歳のときのイタリア滞在中の作品です。

アングルは18年間のイタリア滞在で、ルネサンスの巨匠たちの作品を深く研究していました。

オリエント趣味が当時のヨーロッパでは大変流行していたそうです。

この浴女はトルコ風呂でくつろぐ《オダリスク》(オスマンの宮廷女)でしょうか。

背中、肩、腕、腰にかけて実に存在感のある裸婦像が表現されていると思います。

また浴女の頭のターバンの赤い模様、左側の上から垂下がるカーテンの襞と縁模様、そしてシーツの裾模様が精緻な質感をもって描写されています。

若きアングルの情熱を感じさせます。







ドミニク・アングル作 「グランド・オダリスク」1814/パリ・ルーヴル美術館



アングルの最高作であり、美術史においても最高傑作の裸婦像のひとつでしょう。

新古典主義の巨匠としてゆるぎのない地位を築き、かずかずの歴史、宗教、神話に題材をとった大作や肖像画を残したアングルですが、この当時は自分自身の価値観で作品を完成させていたと思われます。

前出の作品もまたしかりで、ここでもオリエント趣味でおおいつくされています。

古典的なポーズの裸婦ですが、腕、背中、脚にわたって長い描線が強調されていて、優雅な裸婦像に艶かしい要素を与えています。

とくに普通の女性に比べて極端に長い背中に特徴があります。浮世絵の誇張にも似て官能的な裸婦になっています。

発表当時は評判が悪く、背骨の骨が三つくらい多いとかの非難を受けたようです。







ドミニク・アングル作 「泉」1856/パリ・オルセー美術館



フランス美術界の重鎮として地位と名声をふたつながらに得ていた、アングル76歳のときの作品です。

血が通った生身の女性が、あたかもギリシャ・ローマ時代の彫像のようにポーズをとっているかのようです。

動を内側に秘めて、目で見える様子はあくまでも静かで固定的な裸婦像です。

肩口の壺から流れ出る水までもが、音もなく流れ出しています。なにか不自然です。

コンコンと永遠に水をあふれ出させる「泉の女神」を演出するために、あえて気泡の乱れのない流れを描いたのでしょう。

身体のラインにしても、ある種の理想的なラインを導き出して描いているようです。

円熟期に達したアングルが、追求した末に到達したひとつの結論が、この作品にこめられているような気がしてなりません。







ドミニク・アングル作 「トルコ風呂」1863/パリ・ルーヴル美術館


アングル最晩年の作品です。

28歳のときに描いた「ヴァルパンソンの浴女」とほとんど同じポーズの浴女が中心に描かれています。

実は、アングルは「ヴァルパンソンの浴女」と同じポーズの作品を、20年後にも制作しています。それは「小浴女」という作品で、背景には入浴する数人の浴女も描かれています。

さらに35年後にこの「トルコ風呂」を描いたわけです。最初の作品から55年の月日を経ています。

背景に浴女たちが2作目、3作目と増えてはいますが、中心の浴女は同じポーズで描かれています。

最晩年のこの作品では、大勢の浴女がさまざまな姿態で登場させるとともに、トルコ風呂全体の空間を構成し、円形の画枠にそれらを収めています。

アングルは若い頃に発想したオリエント趣味の浴女像を、大作として完成度を究めたかったのでしょうか。

アングルの意図を知る由もありません。

しかしその追求心というか執着心には驚かされます。








《アングルの生涯》
1780年フランス南西部モントーバンに生まれる。父は装飾芸術家にして音楽家。
1797年パリに出てダヴィッドのアトリエで修業する。
1801年21歳にしてローマ賞を受賞する。
1806年イタリアに留学。そのままイタリア各地に滞在し絵の勉強を続ける。
1824年44歳のときにサロン出品のために一旦パリにもどる。作品が評判を呼びそのままパリにとどまることになる。
1825年レジョンドヌール勲章を受賞。美術アカデミー会員に推挙される。
1834年自ら希望しローマのフランス・アカデミー館長となる。
1840年再びパリにもどり大いに活躍する。
1855年パリ万国博覧会において大回顧展が開催される。
1867年パリで死去。(享年86歳)
カテゴリ:新古典主義 | 10:21 | comments(0) | -
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