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ロココ美術の天才画家ヴァトー

アントワーヌ・ヴァトー作 「シテール島への船出」1717/パリ・ルーヴル美術館


ギリシャ神話によればシテール(キュテーラ)島はヴィーナスの島、愛の島といわれています。この画は一群の男女がこの島を訪れ、それぞれに愛を得て幸福に満たされて帰国するところが描かれています。

同じ題名のヴァトーの作品が、パリのこの作品の他にベルリンにもあります。

パリ・ルーヴル美術館にあるこの作品は1717年王立アカデミーに提出され、ヴァトーがアカデミーの正会員になるきっかけになった作品です。



「シテール島への船出」(部分)

中央の男女(部分)から右に3組、左方に5組そして頭部だけの1組の男女が左端から右奥へ流れるように配置されています。いずれも幸せそうに仲良く談笑しています。

右端には愛の象徴のヴィーナスの胸像が彼らを見送り、左上空にはキューピッドたちが彼らを海辺へ先導しています。

当時の上流階級の理想的な男女の愛の交流図を、ヴァトーは自然の風景の中に融合させて、みやびやかな情景として描いたのです。

このような形の絵画を“雅宴画(フェート・ギャラント)”といい、ヴァトーの独創といわれています。

上流階級の人たちは自分たちの憧れの世界を、ヴァトーが今までにない詩的で優雅で芸術的な形で表現してくれたのに驚き、大喜びしたのでしょう。

樹木や地の草、空や大気といった自然の情景が全体に繊細に描かれ、一群の人物も大げさではないが豪奢な衣服の貴族たちが、優雅に神話の世界に遊んでいるさまが描かれているのです。

このような雅宴画はしばらく流行しロココ美術の中核をなしました。






アントワーヌ・ヴァトー作 「シテール島への船出」1717-18/ベルリン・シャルロッテンブルク宮殿

この画は前作から1、2年後に、あるパトロンから一種のレプリカを要請されて描いたとされています。

それが後にプロイセン王フリードリヒ2世の手に渡り、現在はベルリンのシャルロッテン宮殿に所蔵されています。

主題、構図はほとんど同じですが、画趣は相当に異なります。

前作に比して色彩が明るく鮮やかになり、人物やキューピッドの数が多くなっています。また左上空には舟のマストよ帆が描かれ、全体の主題が分かり易く表現されています。

どちらの作が上出来かは、議論のあるところでしょうが、評価の多くは前作の自然と一体化した典雅さに軍配をあげています。

ロココ的といえばこちらの作品のほうが、その名にふさわしいと思いますがいかがでしょう。







アントワーヌ・ヴァトー作 「ジル」1719/パリ・ルーヴル美術館


ほぼ等身大のジル(この頃の喜劇やオペラなどに出てくる道化役)が正面に大きく描かれています。

実際に正面でこの画に相対すると、その存在感に圧倒されます。

しかしながらよく観るとその哀しげな眼差しが気になります。

どうしてこんなに大きく描かれたのでしょうか。足もとのロバや人物は、おそらくは芝居に出てくる役者たちでしょうが、どうして脚下に詰めているのでしょうか。不思議な絵です。

なにかの芝居の宣伝のために描かれた看板という説もあるそうです。

とにかく奇妙な雰囲気のある絵、印象に残る絵です。近代的な制作視点を感じます。







アントワーヌ・ヴァトー作 「パリスの審判」1720-21/パリ・ルーヴル美術館


この画は小さい作品(47×31cm)ですが、構図的には大胆な画です。

ギリシャ神話の“パリスの審判”の逸話をもとに描かれていますが、歴史上多くの画家がこの主題で数多くの作品を残しています。

三人の女神(ヘラ・アプロディテ・アテナ)の中でだれが最も美しい女神であるかを判定する役割を、イリアス王の息子パリスに託し、三人の女神がパリスを前にその美しさを争っている場面です。

結局はアプロディテが勝ちを得た話ですので、左のパリスから黄金の林檎を差し出されている裸婦が、美神アプロディテ(ヴィナス)ということになります。

神話に登場する他の神々や小道具などが描き入れられてはいますが、あくまでも脇役として抑えた表現です。

女神が画の中心で大きく描かれ、背を向けて髪を布で拭くようなポーズをとっています。光を浴びた裸体が、大胆でなまなましく感じられます。

神話の裸婦のこのような描き方は、従来の画家にはないヴァトー特有の発想といわれています。



36歳で夭折した天才画家ヴァトーは、ロココ美術をリードしたばかりでなく、後世の画家たちのために表現形式上のお手本を数多く残したのではないでしょうか。










《ヴァトーの生涯》
1684年フランドル地方、フランス領の町ヴァランシエンヌで屋根葺き職人の二男として生まれる。
1702年18歳でパリに出る。やがて画家クロード・ジローの知己を得て、助手となりジローの得意とする“芝居絵”を始める。さらに室内装飾家の助手となり数多くの宮殿装飾をてがける。リュクサンブール宮殿ではルーべンスの絵に大いに影響を受ける。
1709年ローマ賞コンクールで2位になり、故郷ヴァランシエンヌに帰るが翌年にはパリにもどる。
1710年以降画の実力が徐々に認められ、王立アカデミー準会員になる。
1715年には有力なパトロンを得て、数々の芝居絵や雅宴画を描く。
1717年代表作「シテール島への船出」を完成し、これにより王立アカデミー正会員となる。
1719年ロンドンに滞在。翌年パリにもどるが肺結核が悪化する。
1721年療養先の修道院で死去。(享年36歳)



カテゴリ:ロココ | 18:03 | comments(0) | -
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