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理想の風景画家クロード・ロラン

クロード・ロラン作 「聖パウラが船出するオスティアの港」1637-39/マドリード・プラド美術館


この絵は時のスペイン国王・フェリペ4世の発注により制作された8点の作品のひとつです。

クロード・ロランはここでローマ時代のキリスト教の逸話を、理想的風景画に作り上げました。

ローマ時代の建造物が左右に堂々と並び立ち、奥行きのある画面を構成しています。朝靄に煙る帆船、空の大気と波止場の波立ちを光が柔らかく映し出しています。小さく描かれた人びとはまるで脇役です。

そうなのです。クロードの作品には神話や宗教話を題材にした絵画が数多くありますが、主役は風景、それもギリシャ・ローマ時代の荘厳な光景と自然が調和した理想の風景として描き出されています。

クロードが真実描きたかったのは、太陽の光と大気、そしてそれらの中で息づく自然の姿だったのでしょう。

当時のローマでは、古典的な題材でしか絵が描けなかったようです。クロードはそれら古典的な題材をテーマにしながらも、大気や波や光といった個々の自然を注意深く観察し、精密に描き出して、それらだけで十分魅力的な世界を描いたのです。

30代でクロードが創り出したこのスタイルの風景画は、当時のローマの富裕層の評判となり、やがて各国から絵の注文を受けることになったのです。






クロード・ロラン作 「クレオパトラの上陸」1642/パリ・ルーヴル美術館



港に上陸したエジプト女王クレオパトラが、ローマの軍人・政治家マルクス・アントニウスに出迎えられる場面です。

右下に供を連れた女王クレオパトラ、さらに右にアントニウスがいます。

右側の古代建築や左側の帆船の緻密な描写と、靄に包まれた夕陽と大気、そして波立つ海面が情感に満ちた画面を作り出しています。

歴史的な場面がこんなに美しい光景であったかどうか分かりませんが、理想的に美化すればこのような情景になるのでしょう。






クロード・ロラン作 「シバの女王の乗船」1648/ロンドン・ナショナルギャラリー



旧約聖書に記述のある話を題材にしています。ソロモン王に会うためにシバの女王が乗船するところを描いてます。

前出の作品と同じように、クロード独特の金色のトーンが中心を支配しています。そして周りに拡がる柔らかいこの色調は、建物や帆船、地面や人びとにまで及んでいます。

この手法が観る人を、ある種の陶酔に導くのではないでしょうか。

クロードの作品は連作あるいは対画をなしている場合が多く、この作品にもロンドン・ナショナルギャラリーに対画作品「イサクとレベッカの結婚」があります。

これらは当時のローマ法王イノセント10世の甥、パミロ・パンフィーリ枢機卿が注文したそうです。

しかしながら絵が完成した頃には、枢機卿は教会から追放されていました。さる婦人との恋のために聖職を辞したためといわれています。






クロード・ロラン作 「アイネイアスのいるデロス島の風景」1672/ロンドン・ナショナルギャラリー


クロードの晩年期の作品です。

クロードはこの作品から始めて、古代ローマの叙事詩人ウェルギリウスの叙事詩「アエネイス」から6つの場面を描いています。

この詩はギリシャ・ローマ伝説に登場するトロイアの英雄アイネイアスがローマの基礎を築くまでの物語です。

それまでの作品に比べてここでは叙事詩の内容をより重視して、自然の風景全体も叙事詩の雄大な荘厳な雰囲気を表しているかのようです。




理想の風景画を極めたクロードの絵は死後もその人気は衰えることなく、とくにイギリスには多くの作品が残り、イギリスの風景画家ターナーに大きな影響を与えたました。そのターナーはまた光や大気の描き方で印象派の画家たちに影響を及ぼしました。

2007年11月15日付け「光と大気の風景画家ターナー」の最初に掲載された絵をご覧いただくと、まさにクロードの正当な継承者としてターナーの名を挙げたくなります。








《クロード・ロランの生涯》
1600年フランス北東部ロレーヌ地方に生まれる。本名はクロード・ジュレだが出身地にちなんで「ロラン」と呼ばれた。
1613年13歳でロレーヌからローマに移り住み、画家の下働きをしながら絵の修業をする。
1626年いったん故郷ロレーヌに帰るが、翌年再びローマに移り二度と故郷には帰らなかった。
1630年代から画家活動を本格的に始め、各国の王侯貴族から名声を得て数多くの注文を受ける。あまりの人気で多くの贋作が出回ったため、作品のスケッチを記録した「真実の書」という作品目録を画家自身が作成した。この記録は晩年まで続き、およそ50年の間の約200点の絵の記録が収録されている。(大英博物館蔵)
1682年ローマで死去。(享年82歳)
カテゴリ:古典主義 | 10:39 | comments(1) | -
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コメント
すばらしい!!!!
BEUTIFULL!!!!
| ken | 2009/08/18 7:13 PM |
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