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フランス古典主義の巨匠プッサン

ニコラ・プッサン作 「サビニの女たちの掠奪」1634-35/ニューヨーク・メトロポリタン美術館


古代ローマ建国時代の伝説的な事件が主題の作品です。

ローマ建国の父ロムルスの提唱により、近隣の部族サビニの人びとをローマの祭りに招いて、女性が不足していたローマ人が女性を掠奪して強制的な婚姻関係を持った事件です。

のちにサビニ族が軍事力をつけて女性たちを取り戻しに来たときには、すでにローマ人と家族をつくっていた女性たちが仲立ちをして友好関係を結んだという伝説があります。

作品では、サビニの女性たちが掠奪されているさまが群像としてダイナミックに描かれているとともに、画面右側には大きい古代ローマの建造物が、左上には赤い衣装のロムルスが指揮する姿が配置されています。

いわゆるバロック美術に特徴的な激しい動きが、構図的に古典的な建造物と強い印象の人物像に抑えられる形になり、安定した画面構成になっています。

プッサンはバロック全盛のイタリアで活動していながら、バロックに抗するような静的な視覚の効果をますます求めていくようになります。






ニコラ・プッサン作 「サビニの女たちの掠奪」1637-38/パリ・ルーヴル美術館


前掲の作品の同テーマの作品です。2〜3年後に制作されたものと思われます。

主だった人物像は前作とにていますが、後景の建造物がさらに大きく表現されていることと、前景に目立っていた子どもたちがいなくなったことに気がつきます。

子どもたちの消失はその母親たちを掠奪から除き、“未婚”女性たちの掠奪に表現を改めたことを意味するのでしょうか。

画面上半分にも達した建造物は、激しい事件の様子をさらに抑える効果を期待したのでしょうか。

何故、同じような絵を後から制作したのか、また表現を修正したのか分かりませんが、ふたつの作品を比べていろいろ想像する楽しみを残してくれています。







ニコラ・プッサン作 「アルカディアの牧人」1638-40/パリ・ルーヴル美術館


プッサンの最も有名な絵です。

古代ギリシャの理想郷アルカディアで羊飼いたちが、石碑(石棺)の碑文を読み解いています。

その碑文とはラテン語で“ET IN ARCADIA EGO”とあり、「我もまた、アルカディアに存在する」と訳せます。

“我”を“死人”すなわち“死”と置き換えれば、楽園アルカディアといえども“死”は存在するという、いわゆる「死を忘れるべからず」“MEMENTO MORI”に通ずる意味を持っています。

これは古代ローマ時代の言葉ですが、当時は現世の富のむなしさを説く言葉として教養人の間で使われていたようです。

読書家で知識教養を重要視していたプッサンは、このような哲学的な意味を持つ言葉を、絵画という表現形式で表そうとしたのでしょう。

3人の羊飼いたちと女神が石碑を囲んで形作る画面中央のしっかりした構図、背景の空と木々の繊細な自然、そして衣服の黄、赤、青と転調する色彩は、プッサンの考える理想的な秩序、すなわち厳格ではない優しい調和的な秩序を感じさせます。

フランス古典主義絵画の典型がこの絵で実現されているといわれてます。

プッサンのこのような絵画形式はのちのフランス美術アカデミーの根幹を成し、後世の新古典主義のダヴィッドやアングルに引き継がれます。

そして自然の精妙な描き方はセザンヌや印象派の画家たちにも大きな影響を与えました。







ニコラ・プッサン作 「オルフェウスとエウリディケのいる風景」1650頃/パリ・ルーヴル美術館


ギリシャ神話から題材をとっています。

オルフェウスの竪琴の音に、エウリディケをはじめ周りの人びとが聴き入っている平和な情景が、田園風景のなかで描かれています。

この年代になるとプッサンは、神話を主題としながらも風景の比率の高い絵が多くなります。

オルフェウスの神話では、この幸せな状況の後にエウリディケが死ぬ事件があり、さらには黄泉の世界からエウリディケを連れ戻そうとして失敗する話があり、最後にはオルフェウスが手足、頭部をばらばらにされて、川に投げ込まれるといった悲惨なことになります。

プッサンは、鑑賞者が神話の展開をじゅうぶんに知っていることを前提に、敢えてのどやかな自然の風景のなかで幸せに過ごすふたりを描き出しています。

穏やかで静かな場面の奥には、いくつもの激しい悲劇的な場面が隠されているわけです。

あらためて作品を見直すと、自然風景とその中で遊ぶ人びとの情景がよりいっそう意味深いものに感じられます。

このように絵画の表面的な表現を通して、奥深い内容をも表現する狙いがプッサンにはあったのでしょう。

ただ遠くの城の2ヶ所から煙があがっていますが、これはいったい何を意味するのでしょうか。少々気にかかります。








《プッサンの生涯》
1594年フランス、ノルマンディー地方の町レザントレーに生まれる。
地元やパリで絵の修業をしたらいが、詳しくは不明。
1624年30歳のときローマに行く。
1628年サン・ピエトロ大聖堂より絵の注文を受け、「聖エラスムスの殉教」を制作する。
1640年時のフランス宰相リシュリューの招きでフランスに帰るが、2年後には再びイタリアに戻る。その後死ぬまでフランスには帰らなかった。
古典古代への憧れを表した作品を描き続け、プッサン独自の様式を完成させる。
1650年頃からは風景が画面の重要な要素を占める作品が多くなり、古典的風景画の祖ともいわれる。
1665年ローマで死去。(享年71歳)
カテゴリ:古典主義 | 21:12 | comments(1) | -
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コメント
わかりやすくていいですね!
| すくふ | 2012/05/13 10:53 PM |
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