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夜の画家ジョルジュ・ド・ラ・トゥール

ジョルジュ・ド・ラ・トゥール作 「悔い改めるマグラダのマリア」1625-33/パリ・ルーヴル美術館


「夜の画家」といわれるラ・トゥールの代表作のひとつです。

娼婦であったマグラダのマリアはキリストに出会い改悛し、キリストの死と復活を見届けたという伝説があり、カソリックや正教会では聖人に列せられています。

作品では、マリアが蝋燭の炎を見つめながら、深くもの思いに沈んでいるようすが描かれています。

長い髪の毛や死の象徴であるドクロがこの女性が、マグラダのマリアであることを説明しています。

当時の宗教画の題材としては大変ポピュラーで、多くの画家が描いていますが、このように一本の蝋燭の光で画面全体を描いたのはおそらくこの画家が初めてでしょう。

静謐で神秘的な雰囲気が伝わってきます。

画枠いっぱいに描かれたマリアの肢体と、蝋燭の炎から発せられる光が作り出す明暗のコントラストが、シンプルで迫力のある画面を構成しています。

よほどこの絵が好評であったのか、画家自身がよほど気に入ったテーマだったのか、この絵と同じテーマで似た構図の絵が数枚残っています。






ジョルジュ・ド・ラ・トゥール作 「悔い改めるマグラダのマリア」不明/ニューヨーク・メトロポリタン美術館


前掲の作品とほとんど同じ絵が、アメリカ・ロサンぜルスのカウンティ美術館にありますが、ここでは鏡に映し出されてふたつの蝋燭の光がマリアを照らしている絵を紹介します。

同じテーマの「悔い改めるマグラダのマリア」の中で、最も技巧的で洗練された作品といえます。

鏡に蝋燭を映すことによって光の量を倍加させ、多くのものを描き出してます。

マリアの白い上着のしなやかな襞、スカートの絹の質感、鏡の銀の装飾がこまかに観察できます。

また机の上に置かれた真珠の首飾り、床に投げ出された宝飾類は、マリアが虚飾を捨てたことを暗示しています。

マリアは前掲の作のように眼差しを光に向けてもの思いに沈んでいるのではなく、壁に大きく投影された鏡の影の闇に向けて、すでに悔い改めたようすを見せています。

分かり易い表現になった代償として、神秘的な雰囲気が少なからず減少したのではないでしょうか。







ジョルジュ・ド・ラ・トゥール作 「いかさま師」1635-38/パリ・ルーヴル美術館


「夜の画家」として知られるラ・トゥールはこのような風俗画も残しています。

20世紀初頭に再発見されたラ・トゥールは、当初は17世紀にヨーロッパ中で流行していた「夜の画家」たちのフランスにおける代表的画家として知られていました。

しかし後に昼間の光の風俗画の名画が発見されました。この「いかさま師」やニューヨーク・メトロポリタン美術館にある「女占い師」がそうです。

明るい光に描き出されたこの作品は、高級娼婦が給仕の女と仲間の男とたくらみ、右端の金持ちの若者を出し抜こうしている瞬間を描いています。

高級娼婦の首尾をうかがうような眼は給仕女を見ていますが、給仕女はワイングラスを差し出しながら若者をうかがっています。

ダイヤのエースのを後ろから出そうとしている男も若者をうかがっています。若者だけが自分のカードを思案している様子です。

この絵は賭博、酒、淫蕩を戒める教訓画なのです。

この作品とほとんど同じ絵が、アメリカ・フォートワースのキンベル美術館にあります。

どういうわけか隠しているカードがクラブのエースになってます。






ジョルジュ・ド・ラ・トゥール作 「大工の聖ヨセフ」1640/パリ・ルーヴル美術館


これまたラ・トゥールの傑作のひとつです。

画面の左4分の3をキリストの養父、大工のヨセフがかがんで角材に大錐で穴を空けている姿が占めています。

その姿は逞しく力強さに満ちています。右側の少年キリストは養父ヨセフの力仕事を蝋燭で照らしています。そして蝋燭の炎を左手でかざすことにより、自らの横顔を明るく映し出しています。

当時は聖ヨセフ信仰がひろく流布していて、多くの聖ヨセフ像が残っています。

ラ・トゥールはキリストに光をあてつつも、力強い大きな存在、保護者としての聖ヨセフを中心に描いているように思われます。

非常に印象的で、精神性を感じさせる名画といってよいでしょう。







《ラ・トゥールの生涯》
1593年ロートリンゲン公国(現・フランス領ロレーヌ地方)のパン職人の息子として生まれる。
少年期や画家としての修業時代についての詳細は不明。
1639年パリに出て、ルイ13世から「国王付画家」の称号を得る。
その後ロレーヌ地方に戻り絵画制作の活動を続ける。
1652年当時ヨーロッパで流行していたペストのため妻を失う。自身もまもなく同じ病のため死去(享年58歳)
カテゴリ:古典主義 | 17:35 | comments(0) | -
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