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光と闇の巨匠レンブラント

レンブラント・ファン・レイン作 「トュルプ博士の解剖学講義」1632/ハーグ・マウリッツハイス美術館


この作品はバロック美術の巨匠レンブラントの出世作です。

生地のライデンで画家として頭角を現し、オランダ第一の都市アムステルダムに出てきたのはレンブラント25歳のときでした。そのきっかけになったのが、本作の依頼だといわれています。

完成後、絵はアムステルダムの外科医会館に飾られ、その出来栄えが評判を呼び、アムステルダムの都市貴族や大商人たちから大量の注文を受けました。そしてまもなく画商の親戚で都市貴族の娘サスキアと結婚し、30代前半にしてレンブラントは人生の絶頂期を迎えます。

レンブラントはこの作品を集団肖像画として受注しました。トュルプ博士を中心に外科医たちが資金を出して注文したものです。博士が腕の筋をカンシではさみ上げて説明しています。画面右下の暗部には医学書が開かれています。書物と実際を見比べながらの講義情景です。

17世紀イタリアの鬼才カラバッジオの影響下で、オランダのバロック美術は開花しましたが、レンブラントもその明暗手法と写実主義を取り入れていました。

しかしレンブラントは単に外科医たちを、記念写真的に並べて描くのではなく、緊迫した人体解剖の場面を設定して描きました。当時としては異色のもので、その後の集団肖像画に大きな影響を与えたといわれています。

医学の専門家からは、腕と手の指の骨と筋の付き方が、解剖学的にみておかしいという指摘があります。そのあたりの詮索は専門家にお任せしますが、描かれた人物の視線で腑に落ちないところがあります。

それはトュルプ博士の視線です。他の人物の視線はそれなりに合点がいきますが、博士はいったい何を見つめているのでしょう。医学書を見るか、カンシの先を見るか、それこそ絵を観るこちら側を見つめるか、どうしてレンブラントはそのような視線を選んだのでしょう。どなたかご教示くだれば幸いです。








レンブラント・ファン・レイン作 「夜警」1642/アムステルダム・国立美術館


レンブラントは画家としても生活のうえでも絶頂期にありました。そのような時期に注文をされたのがこの作品です。前掲の作品から10年が経過しています。

通称「夜警」、正式な画題は『フランス・バニング・コック隊長の市警団』です。当初依頼を受けたときから完成まで数年を費やした大作です。その後のさまざまな経緯により、完成時の大きさから多少小さくなってますが、363×437cmのまさに大作なのです。

当時のオランダは貿易と産業で大変豊かな国で、アムステルダムにも富裕な市民が多くいました。市警団、正式には“火縄銃手組合”が市民を守っていました。組合の新会館の広間を飾る集団肖像画を分隊別に6人の画家に依頼し、その一枚をレンブラントに依頼したようです。

この「夜警」(夜景と思われそうですが実は昼間で外部からの陽の光が射しています。それに夜回り警護はずっと時代が下ってからです。)は他の作品と大きく作風が異り、劇的な迫力を持った集団肖像画になっています。

とくに気になるのは、メンバー以外の人物がいろいろな身なりで登場していることです。中心に明るくスポットライトを浴びたように描かれている少女がいます。どこの誰で、どのような役割を演じているのかよく分かりません。

しかしレンブラントは、今まさに出動するという場面を、光のあたる部分と暗い部分、静けさと動きでドラマチックに描いています。肖像画の枠を超えたといっていいでしょう。金を出して描かれた当人たちに不満があろうとなかろうと、作品は評判を呼び、絵の注文は絶えなかったようです。

2008年1月にピーター・グリーナウェイ監督『レンブラントの夜警』が公開されました。「夜警」の謎を監督一流の解釈で解き明かしていく映画です。予備知識がないと難しい映画ですが、美しい画面構成で、レンブラントの作品の再現と思われる場面が数多く出てきます。








レンブラント・ファン・レイン作 「バテシバ」1654/パリ・ルーヴル美術館


前掲の作品よりさらに10数年経過して描かれた作品です。円熟期の作品といっていいでしょう。正式な画題は“ダビデ王の手紙を手にしたバテシバの水浴”といい、聖書の物語を題材にした作品です。

古代イスラエルのダビデ王は水浴をする人妻バテシバを一目見て恋に落ち、夫である将軍ウリヤを戦地に送り戦死させ、自らの妻にしてしまいます。神がそのことを善しとせず、ダビデ王の子どもの命を次つぎと奪います。悔い改めたダビデ王は退位し、バテシバとの第2子ソロモンに王位を譲るという話です。

絵はダビデ王からの手紙を手にして哀しみに沈むバテシバを描いています。等身大に描かれたバテシバは画面の多くを占め、非常に迫力のある存在感で観るものを圧倒します。

モデルは2人目の妻となる、20歳年下の召使のヘンドリッキエ・ストッフェルスといわれています。暗い部屋の中で白く浮びあがった健康な若い女性が、少しうつむき加減で視線を下にして、手紙によってもたらされた複雑な心境を思い悩んでいるようすがよく表されています。

絵のエックス線写真によるとレンブラントは、当初は頭部を上向きにして描いていたそうです。内面の深い感情をより強く描きたいという画家の志向が、絵の修正を促したのでしょう。








レンブラント・ファン・レイン作 「自画像」1669/ロンドン・ナショナルギャラリー


レンブラントは自画像をたくさん残しています。作品数は30とも50ともいわれています。20歳前後の自画像から最晩年の63歳のものにまであります。この作品は最晩年の自画像です。

歴代の画家のなかで、このように多くの自画像を残した画家は稀ではないでしょうか。画家自身の姿で描いたものばかりでなく、歴史上の人物、聖人、哲学者に扮した自画像もしばしば見受けられます。

何故多くの自画像を描いたのでしょう。記録のためでしょうか、習作のためでしょうか、それとももっと深い意味がその行為にあるのでしょうか。

この最晩年の作品を観察して、皆さんはどのような感想を持つでしょう。63歳の齢相応の風貌をまず感じると思います。さらにこの人の人生はどんなであったのか想像するでしょう。画家の生涯を知っていれば、その口元に堅い意志を、眼差しに何者をも見通す眼力を、頭髪と顔の皺からは波乱に満ちた人生を感じ取れることでしょう。

人物を描くことがもっとも難しい画技といわれています。それは観るものが必ず描かれた人物を鋭く瞬間的に観察し、善悪、快不快、好き嫌いなどの判断をもつからです。確かに性格や人間性を、ある程度なら顔立ちから判断できるような気がします。とはいえ顔を中心に描くことだけで、その人物の人となりを表現することは至難の技といえます。

レンブラントは自らの精神を表現することを、生涯を通して追求し続けたのでしょうか。見方によれば、最晩年の自画像にある種の満足感を、感じ取れるような気がします。











《レンブラントの生涯》
1606年オランダ、ライデン(レイデン)において製粉業者を父として生まれる。
1620年ライデン大学を中途退学して画家の修業を始める。
1631年画才を認められアムステルダムに移住する。
1634年有力画商の姪サスキアと結婚する。
1639年画家として成功し、豪邸に居住する。
1642年代表作「夜警」が完成する。同年妻サスキアが死ぬ。
1643年頃から版画を手がけはじめ、いっそう人気が高まる。
1656年破産を申請して許可される。
1669年アムステルダムにて死去。(享年63歳)
カテゴリ:バロック | 23:21 | comments(0) | -
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