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画家の中の画家ベラスケス

ディエゴ・ベラスケス作 「ブレダの開城=槍」1634-35/マドリード・プラド美術館



若くして才能を認められたベラスケスは、23歳の若さで国王フェルペ4世の宮廷画家となり、故郷セビーリャからマドリードに活動の拠点を移しました。そして宮廷のかずかずの美術コレクションから、多くを学ぶ機会を得てさらに才能を伸ばしていきました。22歳年上のルーベンスとも親交を結び、大いに刺激を受けたのもこの頃です。

1629年から31年にかけて、1回目のイタリア旅行を行います。ルネッサンスの巨匠たち、とくにティッツィアーノやヴェロネーゼ、ティントレットたちから影響を受けたといわれています。イタリアから帰国して数年後に、ベラスケスの最高傑作のひとつといわれている「ブレダの開城」が制作されています。

この作品はスペインの戦勝記念の歴史画12作品のひとつとして、他の有力画家と競作するかたちで描いたものです。オランダの要塞都市ブレダの陥落に際し、オランダ軍の指揮官がスペイン軍の司令官に城門の鍵を手渡している場面になっています。画面では勝者のスペイン軍司令官は馬から下りて、敗者の指揮官をいたわるようにして鍵を受け取っているようすが描かれ、スペイン騎士道精神が真の勝利者であることを表現したものといわれています。

ベラスケスはバロック美術特有の動きのダイナミックな表現や、誇張された明暗をさけて、軽やかな色彩表現で穏やかな雰囲気の群像表現を実現しています。洗練された歴史画として、動きの少ない静かな画面のように感じられますが、ベラスケスはここでわれわれの視線を画面のすみずみまで導く工夫を講じています。

まず観るものの視線は、中央の敬意を表し合うふたりから始まり、右側の馬の臀部から頭部へ、そして右上の槍の林立から左へ巡り、戦火の煙の上がる戦場と空の拡がりでしばし細部を楽しみます。遠くまで見渡せる広々とした空間が、絵全体を大きく感じさせます。さらに視線は左側の敗軍の兵士たちに移り、最後に左端でこちら側に眼差しを向けている緑色の服の兵士にたどり着きます。ゆっくり視線をまわすだけで、おおらかで満ち足りた気分になれます。

ところで右下の白い紙片は作者のサインが入る場所だそうですが、ベラスケスは名前を入れていません。宮廷画家ゆえに名前を入れないことが多くありますが、ここでは作者自身が画面に登場しているために、空白になっているとのことです。さてどこに登場しているでしょう。おそらく右端の帽子をかぶってこちらを見ている人物がそうではないかと思います。いかがでしょう。










ディエゴ・ベラスケス作 「鏡を見るヴィーナス」1649-51/ロンドン・ナショナルギャラリー



ベラスケスの残存作品のうちの唯一の裸婦像です。カソリックの戒律の厳しい当時のスペインでは、裸婦像が描かれることは非常に稀なことでした。150年後に、フランシスコ・デ・ゴヤが「裸のマハ」を描くまでは、裸婦を題材にした作品は皆無でした。ベラスケス唯一の裸婦像は、ヴィーナスとは名ばかりの実在感のある迫真的な裸婦です。

ベラスケスは1648年から1651年まであしかけ3年間、2回目のイタリア旅行を行いました。30歳のときの1回目のイタリア旅行から20年経ち、画家としての技量と宮廷での安定した地位を得ていたベラスケスは、かの地で思い切った作品を残しました。それがこの「鏡のヴィーナス」です。

白い柔肌が肩から背中、腰から脚先まで、流れるように描かれた官能的な裸婦像です。キューピッドが掲げる鏡の中から、こちらをうかがっているヴィーナスの顔が見られますが、誰とは特定できないようにぼかされています。観るものは、ヴィーナスの後姿を覗き見しているのを、鏡を通して見透かされているような錯覚をおぼえます。

ベラスケス唯一の裸婦が、宮廷生活から離れたイタリア旅行中に描かれたことは、ベラスケスの私的な一面を憶測させます。若いイタリアの女性がヴィーナスのモデルであり、名前は不明ながらベラスケスとは親密な関係であったといわれています。アントニオという私生児までもうけたということです。

この「鏡のヴィーナス」は、1914年に婦人参政権論者の女性により、7ヶ所も傷つけられたそうです。現在は修復されていますが、当時のフェミニストから見ても傷つけずにはおかない真に迫った裸の女性像だったのでしょうか。








ディエゴ・ベラスケス作 「ラス・メニーナス」1656-57/マドリード・プラド美術館



“ラス・メニーナス”とは女官たちという意味です。この名は19世紀になってプラド美術館に収められてからの呼び名だそうで、当初は「フェリペ4世の家族」、あるいは「フェリペ4世の家族とそれを描く画家」という名でした。ベラスケスの最高傑作として知られています。しかし王女を中心とした集団肖像画でありながら、画家が堂々と描かれていたり、王女の両親たる国王夫妻は遠い壁の鏡の中に描かれている、といった不思議な描き方の“傑作”です。

王女マルガリータがお気に入りのお供を従えて、ベラスケスのアトリエを訪問したところでしょうか。画家は国王夫妻の肖像画を制作中といったところです。ここで国王夫妻の肖像が小さく扱われていても、問題無しとするのは、この絵が王女中心の肖像画であり、こちら側からの視野はは国王夫妻のそれと想定されているからです。

前景の王女と従者たちは、明るく柔らかい光によって等しく存在感を持ち、少し奥の画家や右奥の尼僧と司祭たちはやや暗くぼかして描かれ、さらに奥の戸口の男と鏡に映っている国王夫妻はほとんど陰影だけで表現されています。幾何学的な線による遠近感だけでなく、焦点のあわせ具合による描き方で巧みに空間を感じさせて、自然な雰囲気をかもし出しています。

この絵に多くの人が引き込まれる理由は、ベラスケスの高度な描写技法が作り出す、光の饗宴と自然な雰囲気に魅了されたからだけではないのです。他に見られないある種の革新的な考え方によって、絵画そのものが作り上げられているからではないでしょうか。それは王女や前景の小人、そして画家のこちらに向けている“視線”をどう感じるかで分かってきます。

かれらの“視線”は国王夫妻に向けてのものなのです。その“視線”の意味を悟れば、鑑賞するあなた自身が、国王あるいは女王となって画中に参加することになるのです。観るものを、強制的にあるいは自然に画中に引き込むように仕組まれているのです。そうして外側から観るものと、画中の人物たちの親和状態が作られるといっていいと思います。これは不思議な体験です。もちろんこの体験は国王夫妻以外の人たちにとって、さらに不思議な効果を増すことになります。

ところで画家の前の大きなキャンバスには、何が描かれつつあると思いますか。いままでの話の前提では、国王夫妻です。しかしこのような仮設も成り立ちます。これはこの絵を描くときに、素直に画家が全体を見渡して描くには、自分自身と王女たちを背景もふくめて鏡に映して描くことが考えられます。すなわちキャンバスにはこの「ラス・メニーナス」が描かれているという説です。

ということは、この場合は王女たちが集団肖像画のモデルになっているのを、国王夫妻が見ているということになります。この方が自然かもしれません。“視線”については前と同様です。画家の利き腕は、画家が修正しているということになります。ここでこの説の信憑性の有力な証左として、王女の顔の向き方向があります。ベラスケスは王女が小さいころから肖像画を描いていますが、斜め左向きの肖像画はありません。全て斜め右向きなのです。従ってこの「ラス・メニーナス」は、鏡に映った王女たちを描いたと思われるわけです。









ディエゴ・ベラスケス作 「マルガリータ王女」1660/マドリード・プラド美術館



ベラスケスによる王女マルガリータの肖像画は「ラス・メニーナス」をふくめて6点が残存しているようですが、これが最後の肖像画です。“赤いドレスのマルガリータ王女”と呼ばれています。マルガリータが10歳のときのものです。

王女マルガリータは、スペイン国王フェリペ4世と2番目の王妃マリアナとの間に生まれました。フェリペ4世には先妻イザベル王妃との間に、王女マリア・テレサがいました。マリア・テレサはフランス王ルイ14世の后となりましたが、持参金の不払いがスペイン継承戦争のもとになっています。マルガリータは後に13歳で神聖ローマ帝国皇帝レオポルト1世の皇后となりますが、21歳の若さでこの世を去っています。

この作品はベラスケスの絶筆になった作品といわれていますが、王女の顔は娘婿で弟子のマルチネス・デル・マーソが仕上げたという説があります。ところが最近では、ベラスケスの手はほとんど入っていないとういう説があるくらいです。

ベラスケスは王女マルガリータをとくにいとおしみ、丁寧に肖像画を手がけたようです。他に有名な肖像画として残っているのは、マルガリータ8歳のときの、ウィーン国立美術館のいわゆる「青いドレスのマルガリータ王女」があります。これが正真正銘のベラスケス最後の王女マルガリータの肖像画かもしれません。





ディエゴ・ベラスケス作 「マルガリータ王女」1659/ウィーン・国立美術館



こちらのマルガリータが、やはりベラスケスの手になる本物の肖像画なのでしょうか。ベラスケスは、写実的な描き方で有名ですが、王家の肖像画ではさすがにそれぞれが、いい顔、いい表情、の肖像画を心がけています。とくに国王フェリペ4世の肖像画では、加筆や修正による苦労のあとがレントゲン写真でわかっているそうです。

「赤いドレスのマルガリータ王女」に比して、後者の「青いドレスのマルガリータ王女」のほうが、気のせいかもしれませんが、自然で少女らしい表情が出ているように思います。もちろん「赤いドレスのマルガリータ王女」が、たとえ弟子で娘婿のマルチネス・デル・マーソによって全て描かれたものであっても、そのことでベラスケスの価値を、損ねることにはならないでしょう。









《ベラスケスの生涯》
1599年スペイン、セビーリァに生まれる。
1610年頃11歳で当地の有力画家で、後に義父となるバチェーコに弟子入りする。
1623年23歳の若さで、国王フェリペ4世付の宮廷画家となり、マドリッドに移る。
1628年外交官としてマドリッドを訪問したルーベンスと親交を持つ。
1629年〜1631年第1回イタリア旅行を行う。以後数多くの肖像画を手がける。
1635年「ブレダの開城=槍」を制作する。
1648年〜1651年第2回イタリア旅行を行う。滞在中に「鏡を見るヴィーナス」を制作する。
1656年「ラス・メニーナス」を制作する。
1660年死去。(享年61歳)
カテゴリ:バロック | 14:33 | comments(2) | -
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コメント
私は二日前マドリードのプラド美術館でマルガリータ王女1660を見てきました。すごく良かったです。
| nina | 2008/10/25 3:18 PM |
このように絵の側面を解説いただけると、また違った
面白さをもって、絵を観ることができます。
まるで、500円で音声ガイダンスを借りて聞いている
ようです。

絵の描かれた時代背景や構図の解説だけでなく、
たまに解説者の独断とも言える感想などが伺えて
それもまた楽しめる一面です。
| 四葉のクローバー | 2008/04/20 10:33 PM |
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