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バロック最大の巨匠ルーベンス

ピーテル・パウエル・ルーベンス作 「キリスト昇架」1609-10/アントウェルペン・大聖堂


ピーテル・パウエル・ルーベンス作 「キリスト降架」1612-14/アントウェルペン・大聖堂



1608年、満8年にわたるイタリア滞在を終え、ルーベンスはアントウェルペン(アントワープ)に戻りました。南ネーデルランド(フランドル)を統治していたのはスペインの執政で、アルブレヒト大公と后のイサベラでしたが、彼らはルーベンスの画家としての才能に目をつけ、1609年には宮廷画家にします。またその年にルーベンスは18歳の名門の娘イサベラ・ブラントと結婚します。ルーベンスのそのような順調な時期に制作されたのが、このルーベンス最初の大作「キリスト昇架」(上)です。

現在はこの三連祭壇画の部分のみが、アントウェルペンの大聖堂にありますが、当初は、他の教会のためにもっと大規模な祭壇画として制作され、上部と下部に別の絵があったようですが、いまは残っていません。この祭壇画は、キリストがかけられた十字架を、今まさに立てようとしているようすが三連画で構成されています。とくに中心の画では、大勢の筋骨隆々の男たちの動きが、力強いダイナミックな群像として描かれています。イタリア滞在時おけるミケランジェロや古代彫刻の影響が指摘されています。

下の祭壇画は「キリストの降架」です。「キリストの昇架」とまるで一対の作品のように、これもまたルーベンスの傑作「聖母被昇天」をはさんで、左右にわかれてアントウェルペン大聖堂に飾られています。こちらの祭壇画は、「キリストの昇架」がダイナミックに描かれているのに対して、静かで悲しみに満ちた雰囲気の中でのキリスト降架のようすが描かれています。聖母マリア、ヨハネはじめ弟子たち、そして妻のイサベラがモデルといわれる、マグダラのマリアも描かれているそうです。

この「キリストの降架」は“フランダースの犬”というTVアニメで、とくに日本人の間で有名になりました。主人公ネロと犬のパトラッシュが、この絵の前で天国に召されるという場面が、最終回で放映されて、子どもたちの涙を大いに誘ったことでした。その後、アニメの人気のせいか、おおくの日本人観光客がアントウェルペン大聖堂を訪れ、“フランダースの犬”について質問を多発し、教会や観光局がその真相を知ることとなり、教会の広場には記念碑が建てられたとのことです。








ピーテル・パウエル・ルーベンス作 「マリー・ド・メディシスの生涯」1622-25/パリ・ルーヴル美術館



1620年代にはいってすぐに、ルーベンスはフランス国王母のマリー・ド・メディシスから、自分の半生記を描く24枚の連作画の注文を受けました。マリーはイタリアのメディチ家の姫君でフランス王アンリ4世と結婚し、アンリ4世が暗殺されてからは、幼いルイ13世の摂政となっていました。新居のリュクサンブール宮殿に飾る自分自身の生涯の絵を、20年前にイタリアでの代理結婚式に立ち会った縁もあり、ルーベンスに注文することになったそうです。

現在これらの連作はルーヴル美術館にあります。この作品はマリー・ド・メディシスがイタリアから船でマルセーユに到着したときのようすを絵にしています。結婚相手のアンリ4世とはリヨンで会うことになっていて、ここでは王の出迎えがありません。しかしルーベンスはそこのところを工夫して、フランス国やマルセイユ市の擬人像が恭しくマリーを出迎えるという、華やかなフランス初上陸のようすを演出しました。

生誕から結婚、摂政時代など王室でのさまざまなシーンを、24枚の連作画に仕立てたルーベンスは、ギリシャ・ローマの神話の神々から祝福を受けた、栄光に輝く絵物語として表現しました。この連作が制作されたころは、マリー・ド・メディシスと国王ルイ13世との、仲たがいの一時的な和解が成立した時期でした。しかいこの絵の完成後、マリーは再び政治的な画策を企てることになり、1631年にはフランスを追放され、ブリュッセルに亡命し、1642年にはドイツで亡くなることになります。

現在ルーヴル美術館にあるこれらの連作「マリー・ド・メディシスの生涯」は、ルーベンスにとって、ひとつの頂点、絶頂期の傑作といってよいでしょう。壮麗、華麗といった言葉がふさわしい、バロック美術完成の記念碑的な作品といえます。神話時代の神々がマリー・ド・メディシスの半生記の折々に登場して、堂々とした肉体と生き生きした動きをもって、マリーの、そしてフランスの栄光を謳い上げています。

ルーヴル美術館の「マリー・ド・メディシスの生涯」の陳列室に入ったとたん、あまりにも豊麗、絢爛、逞しい肉体の乱舞、光かがやく衣装に、一瞬めまいすら覚えます。われわれの慣れ親しんだ文化と、まさに対極にある光景です。しかしながら個人的な感想は別にして、このルーベンスの連作は西洋美術史上の最高傑作のひとつ、といってまちがいないでしょう。









ピーテル・パウエル・ルーベンス作 「麦わら帽子(シュザンヌ・フールマンの肖像)」1622頃/ロンドン・ナショナルギャラリー



宗教画、歴史画、神話画、肖像画、風俗画、風景画とあらゆるジャンルの絵画の傑作を残したルーベンスですが、この「麦わら帽子(シュザンヌ・フールマンの肖像)」は近代絵画風の女性肖像画として有名な作品です。この作品が印象派の画家の作品だといわれても、素直に信じてしまいそうです。それほどこの肖像画には、若い女性の生き生きした雰囲気と表情が、軽やかな筆のタッチで表現されています。

女性が被っているのは“麦わら帽子”ということですが、実際はフェルト製の帽子だそうです。後の時代に今のような画題がついたようです。モデルは友人の絹織物商人の娘のシュザンヌ・フールマンという若い女性ですが、ルーベンスはこの後の1630年に、この女性の妹で当時16歳のエレーヌ・フールマンと再婚をしています。ルーベンス53歳のときです。最初の妻のイサベラ・ブラントが、ペストで急死してから4年経っていました。

ルーベンスは歴史画や神話画において、とくに理想の女性美として、ふくよかな裸体をよく表現しています。丸まると重量感のある女性が、ルーベンスの絵画に登場する女性の特徴ともいえます。しかしこの作品では、ルーベンスも肩の力を抜いて、写実に心がけているようです。外形の表現より、友人の美しい娘さんであるシュザンヌの、何気ない表情からくる内面の表現に力を入れているようです。とくに眼の描き方、やや強めの眼差しに、この絵の重要なポイントを感じます。

とにかくこの絵はルーベンスの作品の中でも、大変人気の高い絵のひとつです。多くの人びとから好まれるのは、その近代絵画的な印象からくるのではないでしょうか。衣装の軽やかな筆使い、黒いドレスの微妙な色使い、透きとおるような肌のの輝き、そして一瞬見せる女性らしい表情を写し出していることからくるのでしょう。ルッサンス以来の名画によくみられる古典的なポーズの、平凡な女性の肖像画ですが、確かにマネやルノアールの作品と見まごうような近代性をもった名品です。








ピーテル・パウエル・ルーベンス作 「戦争の惨禍の寓意」1637-38/フィレンツェ・ピッティ美術館



1630年に16歳のエレーヌと再婚したルーベンスは、その後の晩年の10年間を穏やかで幸せな人生を送ったそうですが、絵画の制作意欲は衰えを知らず、さまざまな分野の絵画に挑戦を続けていました。とくに自分自身の私生活のための絵画、エレーヌと子どもたちの肖像画、家族と一緒に過ごした田園の風景画や風俗画に、新鮮な創作意欲を注いだようです。しかしながらここで注目したいのは、この作品「戦争の惨禍の寓意」のような政治的な意味をもった寓意画です。

ルーベンスは、家族の亡命先のドイツでの誕生から、国と国、宗教と宗教の争いに翻弄されています。16世紀半ばからネーデルランドは、北ネーデルランド(オランダ)の独立をめぐっての、宗主国スペインとの抗争、そしてプロテスタントとカトリックとの宗教争いと二重の対立関係にありました。フランドルの宮廷画家でありながらルーベンスは、ヨーロッパ各国へ外交官として平和工作の使者を務めたこともありました。生まれてから半世紀を経過しても、ルーベンスの生きた時代は平和には程遠いヨーロッパ情勢でした。

ルーベンスの晩年は画家としての実績や私生活から、十分満足できる状況だったと想像できますが、ルーベンスの心の中の払拭できない憂鬱は、故国フランドルを取り巻く不穏なヨーロッパ情勢だったように思われます。この作品に託してルーベンスは、どのように胸のうちを吐露しているのでしょうか。神話の神々が演じるの場面をドラマティックに描くことで、自分自身の考えを表現しています。戦争の本当の悲惨はどこにあるのか、ルーベンスらしい見方が現れているように思います。

まず画面中央の美しい裸婦が愛と美の女神ウェヌス(ヴィーナス)です。ウェヌスが引き止めようとしているのは、恋人の軍神マルスです。マルスを導いているのは復讐の神アレクトです。左の黒衣の女性は両手を上げて嘆き悲しむエウロパ(ヨーロッパ)です。戦いの神マルスの右下には死者が横たわり、母と子が蹂躙され、壊されたリュートを手にする女性が倒れています。この女性は音楽の擬人化で調和の象徴です。死者とみられるのはコンパスを持った建築家といわれてます。

ここでルーベンスが言いたいことは、愛の女神が止めようとしても、戦争は報復が報復を生み、調和(平和)を乱し、人びとの幸せな生活を蹂躙し、都市の建物も破壊される、ヨーロッパはそのような悲惨で絶望的な状況に陥っている、なんとかしなくてはいけないということです。それをルーベンスは、なんと激しいドラマティックな構図、動きで描いたことでしょう。

ルーベンスはさらに、マルスの足に踏みにじられている書物によって、文化遺産の破壊、文化活動の衰退についても大きな警鐘をならしています。外交官であり画家であったルーベンスらしい、政治的な主張が込められた作品です。









《ルーベンスの生涯》
1577年法律家を父とし、カトリック教国の南ネーデルランドからの、亡命先であるドイツのジーゲンで生まれる。
1587年父が亡くなり、母親とともにアントウェルペン(アントワープ)へ戻り、カトリック教会に復帰する。
1590年14歳のときラテン学校を中退し、貴族の小姓を経て画家の修業をする。
1598年画家組合に加入する。
1600年23歳のときイタリアへ渡り、マントヴァ公の宮廷画家となる。
1608年母の死をきっかけにアントウェルペンへ戻る。
1609年フランドルの執政、アルブレヒト大公と后イサベラの宮廷画家となる。そしてこの年最初の結婚をする。
1611年最初の大作「キリスト昇架」を完成させる。
1621年スペインとオランダの“休戦協定”が失効して、画家としてよりはむしろ外交官として活躍することになる。
1628年スペイン宮廷に外交官として派遣され、ベラスケスと親交をもつ。
1629年さらにイギリス宮廷に赴き、スペインとの和平工作をすすめる。
1630年37歳年下で16歳のエレーヌと再婚する。子どもも次つぎと生まれ、幸せな晩年を過ごす。
1640年死去。(享年62歳)
カテゴリ:バロック | 15:47 | comments(1) | -
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コメント
こんにちは。

ルーベンスとそのの絵画に対する詳しい解説、いろいろな視点でかかれてやられ大変勉強になりました。興味高く読ませていただきました。ルーベンスの生涯については知識がなかったのでこれも勉強になりました。

私もルーベンスの絵画の魅力について違った視点で書いてみました。ご一読いただき、ご意見などブログにコメントなどをいただけると感謝いたします。
| dezire | 2012/10/31 12:35 PM |
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