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破天荒の天才カラヴァッジオ

カラヴァッジオ作 「女占い師(ジプシー女)」1596-97/パリ・ルーヴル美術館



バロック絵画の先駆けといわれるカラヴァッジオは、光と影の明暗対比と動的な構図によるドラマチックな演出が作り出す印象的な絵画で知られています。しかしその根底には、徹底した自然主義、写実主義があり、作品の迫真性を支えているといわれています。15世紀から16世紀に栄えたルネッサンス美術の後、16世紀後半には大変動期のマニエリスムの時代が訪れます。カラヴァッジオはその時代に抜きん出た才能を発揮して、頭角を現しました。

この「女占い師」は、ミラノで修業の後ローマへ移住した25歳のカラヴァッジオが、デル・モンテ枢機卿の庇護下にあったときに制作された風俗画です。女占い師が身分の高い若者の手を取り、手相占いをしながら、若者の指から指輪を抜き取っているさまが描かれています。

若者の顔は上品な容貌で滑らかな肌をしています。羽飾りの帽子、しゃれた衣装、なめし皮の手袋、腰の剣など、いかにも身分が高そうな身なりです。しかし顔の表情からその若者は無邪気で無防備なようすが伝わります。一方、異国風の衣装をまとった女占い師は、若者の心の動きを探るような眼差しで見つめながら、若者の未来を口にしているのでしょう。

騙すものと騙されるものとの対比が、穏やかで上品なかたちで表現された教訓画です。作者は両者が着ている衣装の質感を、区別なく写実に徹して表現しています。異なるのは対比的な両者の顔の表現です。また光があたっている背景の壁には、暗い影の帯が映し出されていて、穏やかな雰囲気の絵にただならない印象を与えています。絵がいわんとする教訓を示唆しているのでしょう。

なおこの作品に先んじて、「女占い師」という同主題の作品が制作されています。制作年度はほぼ同時期か、1,2年前とも言われていますが、現在はローマのカピトリーニ美術館にあります。ただしカラヴァッジオの真筆を疑う説もあります。







カラヴァッジオ作 「聖マタイの召命」1600頃/ローマ・サン・ルイジ・デイ・フランチェージ聖堂



この作品は、ローマ、サン・ルイジ・デイ・フランチェージ聖堂のコンタレッリ礼拝堂のために制作された、聖マタイ3連作のひとつです。他に「聖マタイの殉教」「聖マタイと天使」があります。「聖マタイの召命」は礼拝堂の向かって左に、「聖マタイの殉教」は右に、「聖マタイと天使」は正面に掲げられています。とくに左右で向かい合う2作品はドランチックで生々しい表現が当時でも大評判をよび、多くの人びとが教会に押しかけたそうです。カラヴァッジオの宗教画としての出世作といわれています。

収税人であった12使徒のマタイが、キリストからの“私に従いなさい”の一言で、即座に改宗する場面が主題になっています。右端の窓の下の暗部から、弟子ペテロをともなったイエスが、マタイを指さしています。右の3人は突然のイエスの登場に気付きますが、左のふたりは金貨の計算に集中しています。中央のひげの老人が、自分を指差し驚くようすが描かれています。この後にマタイは立ち上がってイエスに従います。

描かれている若者たちは、同時代の服装をした普通の若者たちです。暗部のなかで横顔で描かれているイエスは、光輪があることでやっとイエスと識別できるほど普通の人物像です。しかしながらカラヴァッジオは奇跡的な出来事を光で演出しています。窓からの強い光の効果です。右の3人の動きを明らかにするとともに、ひげの老人マタイに鋭くまともな光線を当てて、この奇跡の瞬間を表現しているのです。

さてこの解釈とは別の新しい解釈があります。マタイがいちばん左端で金貨の計算に夢中になっている若者という説です。この説に従うと、中央の老人は左端の若者を指差し、イエスの求めている人物を確認していることになります。すなわちカラヴァッジオは、奇跡が起こる直前を眼に見える状況で表現し、真の奇跡はイエスが指差した瞬間に、若者マタイの内部に起こっていることを意図したという説です。

この時期のキリスト教は、宗教改革に対抗するカトリック教会の復興運動として、とくに宗教芸術の改革を中心に行われました。奇跡などの宗教説話を、庶民に分かり易く表現することが求められていました。カラヴァッジオはその写実主義で身近な世界を舞台に、キリスト教の深い宗教的な意味を、端的に表現しようとしたのです。新しい解釈では、表面的な描写で奇跡を説明することより、イエスの言葉のもつ真の意味をマタイは一瞬にして悟る、という内面の奇跡を観るものたちが発見し、感嘆する効果をカラヴァッジオは意図しているという説です。

その説にしたがって観なおしてみると、左端の若者の耳にはイエスの声が届き、次の瞬間この若者はすっくと立ち上がるかのように感じてしまいます。いかがでしょうか。










カラヴァッジオ作 「ロレートの聖母(巡礼者の聖母)」1604頃/ローマ・サン・タゴスティーノ聖堂



ロレートの町はアドレア海近くにあり、世界でもっとも重要な巡礼地のひとつとして知られていました。伝説によればナザレ(イスラエル北部の町)のイエスの家が、この地に13世紀末に出現したということです。この奇跡の“聖家”での聖母子の姿を描いて欲しいという、サン・タゴスティーノ教会からの依頼を受けて制作したようです。カラヴァッジオは当地に出向いて、奇跡を願う当時の巡礼者たちが履物を脱ぎ裸足で巡礼する光景を、眼にしたのではないかといわれています。

徹底した写実主義を宗教画に持ち込んだカラヴァッジオは、ここでも庶民的な母子を聖母子に見立てて描いています。聖母のあかしは微かに頭上の光輪に見られるだけです。巡礼者たちは貧しい身なりで、おそらく現地で観察したとおりに描いているものと思われます。しかしながら必死に聖母子を礼拝する巡礼者たち、毅然とした表情ながらも慈愛に満ちた眼差しを彼らに向ける聖母、祝福の手を挙げている幼子イエスの姿は、陰影のある描法と大胆な対角線構図によって、迫真的な聖ドラマを構築しています。

絵が完成してサン・タゴスティーノ教会の礼拝所に掲げられると、あまりの写実主義に、非難の声が上がったようです。巡礼者の頭巾がボロボロだとか、画面下に見える足の裏が土で汚れているとか、薄汚いさまが聖なる場所にふさわしくないというのが非難の原因でした。が、聖母のモデルが、カラヴァッジオの恋人で娼婦のマッダレーナといわれ、そのことも原因のひとつだったのでしょう。

しかし結局この絵は教会に現在も残っています。当時の非難は一部の知識人の非難、あるいはカラヴァッジオを個人的に攻撃するものの批判だったのでしょう。当時の民衆にとっては、聖母も巡礼者たちも自分たちと変わらない人間だ、奇跡は自分たちにも身近に起こることなんだ、という感情を強くいだかせてくれる絵が、すなわち信仰を強くしてくれる絵だったのです。その面では民衆の絶対的な信頼を、カラヴァッジオは得ていました。








カラヴァッジオ作 「聖母の死」1605-06/パリ・ルーヴル美術館



あまりにもリアルに聖母の死を描いたために、受け取りを拒否された作品です。ローマのサンタ・マリア・デッラ・スカーラ・イン・トラヴェステヴェレ聖堂から、1601年に依頼を受けて1605−1606年にようやく完成させたものです。ところが聖母マリアの死体が迫真的に過ぎて、聖堂という場所にふさわしくないという理由で受け取りを拒否され、他の作家の同じ主題の絵に取り替えられたとのことです。

聖母の死を昇天の序曲としてではなく、ひとりの女性の死を写実的に描き出したのです。画面前景で光を肩に浴びて、泣き崩れるマグダラのマリアも、集まってきたイエスの弟子たちも真に迫って哀しみをあらわにしています。死体は裸足で、浮腫みのある脚は死斑がリアルに浮き出ています。腹は膨らみ、死という残酷な現実に直面した聖母が画面の焦点です。

たしかに醜い死体には違いありませんが、高い天井から大きな赤い布が、聖母に向かって垂れ下がり、聖母が包まれている赤い衣装と呼応しています。これはいまにもキリストが聖母を昇天させることを暗示する、聖なる布ではないでしょうか。画面の上部を覆う大きなうねりに似た血の色の布地が、このドラマチックな瞬間をまるで演劇の一場面のように、激しく観るものの心を動かします。

この絵はまさにカラヴァッジオらしい描き方、考え方の凝縮した宗教画といえます。絵は受け取りを拒否されて、多くの収集家の注目を浴びたそうですが、マントヴァ公の使いでローマにきていたルーベンスが、主君に購入させたといわれてます。バロック最大の巨匠ルーベンスがまだ青年期のころに、バロック絵画を革命的に切り開いた天才カラヴァッジオに出会うという歴史的な出来事が、この一枚の絵を介して実現したわけです。



徹底した写実主義に加えて、神の愛としての光の扱い方、そして暗部の効果的な使い方、大胆で独創的な構図、とくに宗教画における革新性がカラヴァッジオ様式だとすれば、この様式は直ちにヨーロッパ中に広がり、他の偉大な個性と結びつきながら、バロック美術と呼ばれる大きな美術の潮流になったといっても過言ではありません。

5月2日にイタリア映画祭2008で映画「カラヴァッジョ」のプレミア上映されたそうです。2006年の制作ですが、日本ではまだ未公開です。噂では来年の冬に公開されると聞いていたのですが、最新情報では2010年に、没後400年を記念して公開されるとのことでした。波乱に満ちたカラヴァッジオの生涯と、名画の実写がどのように再現されているか楽しみな映画です。











《カラヴァッジオの生涯》
1571年ミラノ近郊のカラヴァッジオ村の石造建築業の父の長男として、ミラノで生まれる。本名はミケランジェロ・メリージという。
1582年から4年間ミラノの工房にて徒弟修業。
1592年ローマに移住し、画家の工房に入る。
1595年から、デル・モンテ枢機卿のもとで作品を制作。画家としての名を挙げる。
1599年サン・ルイジ・デイ・フランチェージ聖堂の礼拝堂のために「聖マタイの召命」「聖マタイの殉教」を制作。この作品の成功により一層名声が広がる。
1605年この年「ロレートの聖母」制作。女性問題で投獄され、ジェノヴァへ逃亡。
1606年「聖母の死」を完成するが、受け取りを拒否される。球技での諍いが原因で友人を殺害。ローマから逃亡。
1607年ナポリに逃れ滞在。ルーベンスがマントヴァ公のために「聖母の死」を購入。
1608年マルタ島に渡り滞在。諍いにより投獄されるが逃亡。
1609年シチリア島に滞在。同年ナポリに戻る。
1610年スペイン領ポルト・エルコーレ(トスカナ地方の港町)で恩赦を待つが、熱病のため死去。2週間後にローマ教皇の赦免状が発行される。(享年38歳)
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