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バロック絵画の異才エル・グレコ

エル・グレコ作 「聖衣剥奪」1577-79/トレド大聖堂



グレコは、スペインでの初仕事が、国王フェリペ2世の意に沿わず、宮廷画家にはなれませんでしたが、トレドの教会や貴族からは多くの注文を受け、数々の作品を残しています。トレドにおける初期の作品が、この「聖衣剥奪」です。

この作品の主題は、キリストが捕らえらて処刑される直前に、その聖衣を刑吏たちが剥ぎ取ろうとしている場面です。

キリストの左側の緑衣の男は、ロープを持ちながら聖衣をはごうとしています。キリストの後ろのふたりは顔を合わせ、分け前の相談をしているのでしょうか。さらに後方には槍が林立し、群集がひしめき合っています。下部右側では、磔の十字架に穴を空けている男がいます。左側には、3人のマリアたちが哀しみを込めて身を寄せています。

中心には真っ赤な聖衣を身にまとったキリストが堂々と位置を占め、父なる神を仰ぎ見ています。現実的で悲惨な状況の表現と、キリストの天上の愛を求める、神々しい心理的な表情との対比が鮮やかです。構図的には、キリストを交点にしての対角線の人物配置がみられ、色彩的には中心の赤い衣服に、精神的、宗教的な意味を与えています。

またグレコはここで、前景の人物から後方に向かって、画面では上方に向かって遠近を出しています。イタリア時代の、建築物や背景の風景による遠近表現から、このように群像の構成が縦長画面の上方に向かう遠近法に変化しています。この変化はグレコ芸術の特徴の最初の表れ、といってよいでしょう。

この作品は、聖堂側からクレームがついて、制作費の支払い金額で裁判沙汰になったと言われています。キリストの頭上に群集が位置しているとか、マリアが3人も描かれているとかの理由だったようです。

ところで、キリストの左側の人物は、グレコと同時代の立派な甲冑を身に着けて、観るものの方に眼を向けて描かれています。おそらく誰かの肖像を、グレコは描きこんだのでしよう。クレームの原因はここらあたりにもあったのでないでしょうか。







エル・グレコ作 「オルガス伯の埋葬」1586-88/トレド・サント・トメ聖堂



この「オルガス伯の埋葬」は、グレコの作品の中でも最高傑作といわれています。スペインに移り10年目の記念すべき作品でもあります。

オルガス伯爵は14世紀初めに亡くなった地元の騎士で、サント・トメ聖堂のために死後の財産を、聖堂に寄進した有徳の人物といわれています。グレコは自分自身の教区のサント・トメ聖堂から依頼されて、この作品を制作しました。

この絵の構成は上下ふたつに、大きく分割された構成が特徴です。下の部分はいわば集団肖像画の形をなしていて、肖像画の名手であるグレコの手によって、地元の名士たちがそれぞれ写実的に描かれています。一方上の部分は、オルガス伯爵の魂の昇天という抽象的な表現が、グレコ特有のスタイルとタッチで描かれています。

写実的な人物たちの画面下半分は、オルガス伯爵の鉄の甲冑や、ふたりの守護聖人の金糸で織り込まれた荘重な祭礼服などが、地上の重さを感じさせるのに対して、画面上半分は、天使やマリア、使徒たちが浮遊し、魂が天へ向かって上昇する無重力の非現実空間が、簡潔で、力強く表現されています。

そして観るものを画面の世界に誘う込むように、前景の少年がこちらを見ています。この少年はグレコの8歳の息子といわれています。またグレコ自身は、左側の聖人の頭の真上、手のひらの右斜め上に、描き込まれています。









エル・グレコ作 「トレド風景」1597-99/ニューヨーク・メトロポリタン美術館



トレドは、グレコにとっては第2の故郷といっていい存在です。36歳でこの地を踏んで以来、73歳で死ぬまで他の地へ行くことはありませんでした。トレドの風景だけを描いた作品は、これを含めてたった2点しか残っていません。もうひとつは、トレドのグレコ美術館にある「トレドの地図と景観」(1610-14年作)です。

さて、この「トレド風景」は、美術史上もっとも古い風景単独の作品といわれています。タホ川に囲まれた古都トレドの町を北側から描いています。当時のトレドは、つい数年前にフェリペ2世が宮廷をマドリッドへ移すまでは、スペイン王国の首都として、またカトリックの中心都市として栄えていました。

この作品は“嵐の中のトレド”とか“夜のトレド”とかの印象を受けますが、まさにグレコがイメージするトレドの町と理解するほうがよいでしょう。

肖像画の名手として名高いグレコですが、その人物の写実性よりも、その人物の精神性や人格を深くえぐりだすような描き方が特徴です。トレドを描く場合もおそらく、グレコは自らの心象に映し出されたトレドを描いたと思われます。

町の上空には、ただならない暗雲が垂れこもり、強い力に満ちた天上のようすを暗示しています。地面の緑は、それに呼応するかのように、いきり立ち、生命のほとばしりを感じさせます。大聖堂の尖塔やアルカサル、修道院、街の建物、川そして橋が描かれています。

超自然主義的に捕らえられたこの風景画は、印象主義や表現主義の作家が描いたような近代性を持っています。いかがでしょう。







エル・グレコ作 「羊飼いの礼拝」1614頃/マドリッド・プラド美術館



1600年代になると、グレコの宗教画はますます独自の様相を見せてきます。この最晩年の作品は、当時工房による作品が多い中で、おそらくグレコ自身が、息子ホルへ・マヌエルの手も借りずに、全て仕上げた作品といわれています。

主題はルカ書から採られていて、羊飼いが野宿しているときに天使からのお告げで、キリスト誕生の現場を、探し当てた話をもとに描かれています。ルネッサンス以来、数多くの画家が主題として取り上げている、いわば宗教劇の名場面です。

鮮やかな色彩を、神聖の象徴のように多用するグレコでしたが、この最晩年の作品はそれまでにもましてカラフルになっています。人物は彫刻的な立体感は最小限の抑えられていて、より細長くデフォルメされています。そして天上では、まるで宇宙遊泳のように、天使たちが祝福のために舞っています。

貧しい羊飼いたちの顔は、素朴で純真そうです。彼らの驚きと喜び、そして恍惚としたようすが、自然で好ましく感じられます。

御子から放たれた強い光と、背景の暗部とのコントラストのなかで浮びあがる、鮮やかな色彩、それも原色に近い色彩が、観るものを恍惚の世界に誘い込みます。これこそグレコ芸術の真骨頂でしょう。キリスト信者でなくても、その効果が理解できます。









《エル・グレコの生涯》
1541年ヴェネツィア共和国領であったクレタ島に生まれる。本名ドメニコス・テオトコプロスであるが、後にスペイン語でギリシャ人という意味のエル・グレコと称された。当地ではイコン画家であったという。
1567年頃ヴェネツィアに渡り、3年後にはローマに移る。ティツィアーノ、ラファエロ、ミケランジェロ、コレッジオ、ティントレットなどから影響を受ける。
1576年スペインに渡り、最初はマドリッドに、後にトレドに移り住む。
1579年トレド大聖堂のための「聖衣剥奪」を制作する。
1588年「オルガス伯の埋葬」を制作する。
1599年「トレド風景」を制作する。
1610年「ラオコーン」を制作する。
1614年トレドにて死去。(享年73歳)

カテゴリ:マニエリスム | 23:09 | comments(0) | -
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