<< ルネサンスの巨人ミケランジェロ(2) | main | 万能の天才レオナルド(2) >>
スポンサーサイト

一定期間更新がないため広告を表示しています

カテゴリ:- | | - | -
万能の天才レオナルド(1)
ルネサンス期において、絵画だけでなく、彫刻、建築、文芸、さらには科学技術分野においても創造的、天才的な業績を残し、万能の人とよばれた、レオナルド・ダ・ヴィンチの絵画について観ていきましょう。

レオナルドの絵画作品は、「モナ・リザ」をはじめ多くの作品が知られていますが、完成作として残っているものは少なく、寡作のひととして知られています。しかしながら、それぞれの作品は、500年前のひとびとだけでなく、現代のわれわれでさえも驚嘆するような芸術的完成度を示しています。

それでは主要な作品を観ていきましょう。








アンドレア・デル・ヴェロッキオ工房作 「キリストの洗礼」1472-75/フィレンツェ・ウフィッツィ美術館




この作品は、レオナルドが14歳の頃に入門したアンドレア・デル・ヴェロッキオの工房に発注され、ヴェロッキオとその弟子たちの共作になるとされています。レオナルド以外にサンドロ・ボッティチェッリも加わっているといわれています。

キリストが、洗礼者ヨハネから洗礼を受けている絵です。全体の構成はヴェロッキオが考え、主要部をヴェロッキオがテンペラで描き、弟子たちが部分的な場所を担当したようです。

絵の最上部には父なる神の手が伸ばされ、その下に聖霊のハトが翼を拡げ、洗礼を受けている神の子キリストとによって、三位一体が表現されています。傍らにはキリストの衣服を携えている二人の天使がいます。

キリストと洗礼者ヨハネは、ヴェロッキオ特有の表現がなされているといわれていますが、左端の天使や背景の風景描写はレオナルドが描いたものとされています。







「キリストの洗礼」(部分)




左端の天使の髪形は、写実的で自然な感じのヴェロッキオのそれと異なり、精妙で優雅な描写が見られます。また身体全体のしなやかなポーズ、着衣の滑らかで繊細な襞、美しい横顔にも、レオナルドの特長を見ることができます。

右の天使は、兄弟子のボッティチェッリが描いたとされていますが、髪の毛にはレオナルドの手が入っているとの説もあります。

若きレオナルドの卓抜した絵画技術を、師ヴェロッキオは目の当たりにして驚き、以後は自らは絵画制作を止め、彫刻に専念したという逸話が残っています。











レオナルド・ダ・ヴィンチ作 「受胎告知」1472-75/フィレンツェ・ウフィッツィ美術館




この作品は2007年春に来日しています。20歳そこそこの若きレオナルドの、いわば独立したてのデビュー作です。保存状態はきわめて良く、間近にレオナルドらしさを堪能できました。

大天使ガブリエルが、右手で祝福することによって、聖マリアに、聖なる受胎を告げています。聖マリアは、読書をやめ左手を上げて、驚きとともに厳粛な気持ちを込めて、その告知に応えています。

この聖なる出来事を、落ち着いた水平な構図と、ゆったりした空間構成で描くことによって、その静謐なる荘厳さ、揺るぎのない真実性を、観るものに訴えかけています。

天使と聖マリアの、髪の毛や着衣の細やかな描写、植物などの正確で鋭い描写、遠景の港と山々。正確な遠近法による画面構成と細部の精緻な表現、そうでありながら、人物の表情、しぐさからくる上品で優雅な雰囲気が漂っています。

レオナルドらしい持ち味が、随所に現れている傑作ではないでしょうか。











レオナルド・ダ・ヴィンチ作 「東方三博士の礼拝」1481-82/フィレンツェ・ウフィッツィ美術館



1481年にレオナルドは、サン・ドナート・ア・スコーペト修道院から、祭壇画の委嘱を受け、制作をはじめましたが、翌年にミラノに移住することになり、下描きだけで終わった作品が本作です。

この作品は、未完成にもかかわらず、構成や様式、表現法などにおいて、革新的な要素がいくつも見受けられるという点で、注目すべき“下描き”です。

この絵の主題は、マタイの福音書に記述のある話です。キリストの誕生の場に、東方の占星術の三人の博士が、新星に導かれて訪れる話です。三人はヨーロッパ、アフリカ、アジアの擬人化で、世界中が敬意を表しに来たという意味のようです。

中心となる聖母子と三博士たちが、円錐形(ピラミッド型)の安定した構図を形作っています。聖マリアの頭部がその頂点になっています。そしてその周りを群集が円陣になって取り囲んでいますが、中心の聖母子と三博士たちは明るく光りがあてられ、周りの大勢の人びとは暗い影の中の描写になっています。

そして円陣の外と背景からは、激しく動き回る人馬の騒々しさが伝わってきます。それに対し、前景の聖母子と三博士たちはその喧騒から隔絶したかのように、静かに落ち着いて、聖母子の神々しさが際立つように描かれているのです。

それまでの画家たちのように、聖書の説明的な描き方に終始するのではなく、構図と明暗、静と動の対比を絵画的に総合して、聖母子を中心とした神聖性をも表現しようとする、独創的、意欲的な制作姿勢が見られます。

未完成が惜しまれる作品です。











レオナルド・ダ・ヴィンチ作 「岩窟の聖母」1483-86/パリ・ルーヴル美術館




さて、レオナルドの最高傑作のひとつ、「岩窟の聖母」です。ロンドンのナショナル・ギャラリーにも同主題、同構図の異作があり、人物の特定に謎の多い絵としても知られています。

主題は、ヘロデ王の幼児虐殺を逃れてエジプトへの逃避行の途中、岩窟に身を潜めている聖母子、聖ヨハネ、そして大天使ウリエルといわれています。また大天使はガブリエルで、受胎告知、降誕、洗礼の三つの話を同時に構成している説もあります。

1483年に、ミラノのサン・フランチェスコ・グランデ聖堂の祭壇画として発注されたものですが、支払い代金のことで完成後も作品は依頼主に渡されることなく、経緯は不明ですが、フランス王宮に納められ、現在に至ってます。

人物は円錐形(ピラミッド型)を構成して配置され、それぞれが密接な関係を構築しています。人物それぞれの表情やしぐさから、観るものは、ここでの聖的な出来事を想起し、敬虔な気持ちに深く浸ることができるのです。

背景は洞窟内部、暗いごつごつした岩窟から、光りを浴びて浮かび上がる聖母子たち、静寂の中で湧出する宗教的な感情を、レオナルドは巧みに演出したわけです。

そのために説明的な描写を、できるだけ省略しています。聖なる光輪や、幼児ヨハネのアトリビュート(人物を象徴するもの)の十字架の杖や毛皮の衣が描かれていません。大天使の翼もよく観ないと解りにくくなってます。

そのためふたりの幼児は、どちらがキリストでどちらが洗礼者ヨハネか、解釈がふたつに分かれています。祝福の手を差し出している右側の子がキリスト。いや聖マリアの庇護を受けながら、洗礼を受けて手を合わせているのが左側がキリスト。ふたつの説がありますが、筆者は後者の説を採ります。

天使に関しては、大天使ウリエルが洗礼者ヨハネの守護天使として登場してるという説がありますが、筆者は大天使ガブリエル説を採りたいと思います。指をさしているのはキリストであり、受胎告知の大天使ガブリエルが妥当のような気がします。

祭壇画の依頼主とのいざこざは、おそらく金銭関係だけでなく、このようなレオナルドの先進的、独創的な人物描写にもあったのでしょう。










レオナルド・ダ・ヴィンチ作 「岩窟の聖母」1495-1508/ロンドン・ナショナル・ギャラリー




1483年に発注されてから、25年後の1508年に「岩窟の聖母」は聖堂側に渡されたといいます。これがそのときに渡された絵です。細部に違いはありますが、ほとんど前作と同じ絵です。

どちらがレオナルドの真筆か、が論争になったそうですが、現在では、ルーヴルのものが、レオナルドひとりの制作になるものとされています。こちらの作品は、レオナルドの指揮のもと、同じ祭壇画の両翼画の画家が描いたとのことです。

こちらの絵のほうが、明暗をさらに強調し、色彩を抑えたモノトーン調になっています。神秘性を強調したのでしょうか。大天使は指をさすポーズをやめています。左の幼児には十字架の杖と毛皮の衣が加わり、明らかに洗礼者ヨハネとわかります。また天使以外の三人には光輪が描かれています。

ところが十字架の杖と毛皮の衣、そして三人の光輪は、後から加筆されたとのことです。レオナルドは、基本的には自説を曲げることなく、祭壇画を納めたのですね。ただ天使の指さしポーズについては混乱を防ぐためか、修正しています。




レオナルドの偉大さは、その写実的な描法テクニックと、自ら編み出したスフマート技法(輪郭線をぼかし、対象を立体的に浮かび上がらせる描法)による人物像の自然な表出で、他の画家に抜きん出ているだけでなく、宗教的な感情などの精神活動をも惹起させるような、革新的な絵画を構想し、実践したことではないでしょうか。

理想を追求する姿勢があまりにも強く、しばしば未完に終わることが、レオナルドの創作活動において数多くみられます。その数少ない作品なかで、とくに宗教画、肖像画の最高傑作を眼にすることができる、現代のわれわれは、じつに幸運といわざるをえません。











《レオナルドの生涯》
1452年4月15日フィレンツェの西北約40キロにあるアンキアーノ村で生まれる。父はヴィンチ村の公証人で、レオナルドは庶子として誕生した。
1466年14歳で絵の才能を見込まれ、フィレンツェのアンドレア・デル・ヴェロッキオの工房に入門する。同門の先輩ボッティチェッリらと彫刻、金細工、絵画を学ぶ。
1472年フィレンツェの聖ルカ組合に登録し、一人前の技能者として認められる。
1482年ミラノ公国のルドヴィーコ・スフォルツァ(イル・モーロ)公に招かれ、ミラノに移り住み、独立する。
1483〜6年「岩窟の聖母」を制作。
1492年ミラノ、サンタ・マリア・デレ・グラーツィエ教会・修道院・食堂の「最後の晩餐」が完成する。
1499年ルイ12世率いるフランス軍のミラノ侵攻により、ミラノ公イル・モーロが敗走し、翌年レオナルドはミラノを去りマントヴァに移る。
1500年さらにヴェネツィアを経由して、フィレンツェに戻る。
1502年から教皇軍総指揮官チェーザレ・ボルジアの軍事技術顧問として従軍する。
1503年ボルジアが失脚し、再びフィレンツェに戻る。同年フィレンツェ政府からパラッツォ・ヴェッキオ大会議室の壁画「アンギアリの戦い」の制作を依頼される。またこの時期に「モナ・リザ」の制作を始める。
1508年フランス支配下のミラノに招かれ、ルイ12世の宮廷画家および技術者となる。
1510年「聖アンナと聖母子」を制作する。
1513年にはローマのヴァチカン宮殿に滞在するが、当時ラファエロやミケランジェロが活動していた。
1516年フランス王フランソワ1世の庇護を受け、王の居城のあるアンボワーズへ移住する。
1519年5月2日フランス・クルーにて死去。(享年67歳)


カテゴリ:ルネサンス | 15:32 | comments(2) | -
スポンサーサイト
カテゴリ:- | 15:32 | - | -
コメント
京都大学の斎藤泰弘教授(当時)の論文を読まれるとお分かりになると思いますが、発注者と係争になったのはロンドン版です。絵柄、構図に関して問題があったという記録なないそうです。
ルーブル版とロンドン版の多少の構図の違いを、係争点の一つにしている論説をよく見かけますが、誤りと言うことですね。

私は、最初に制作したのがルーヴル版だと思います。絵の上乗せ値段を決める評価会議の前に、ガブリエルの右手と目立つ尻に修正の要求が出て、レオナルドはやむなくロンドン版を新たに描き直し、それを評価会議に出した。しかし査定は上積み金額ゼロの800リラ。レオナルド側は400リラの上積みを求めて(都合1200リラ)係争となった。

これまで、多少の構図の違いのために、なぜ新しい板に描き直したのか、という理由を考えつかず、この説はあり得ないとされてきましたが、ガブリエルの右手はレオナルドにとってかけがえのない秘密を持っています。レオナルドはそれを崩すことなど到底できなく、別な新しい板に要求を組み入れた作品を手を抜いて描き、評価会議に出したということでしょう。ロンドン版には、これは私の2番目の作品である、というレオナルドのメッセ―ジが残されています。表面的には読みとるのは難しいでしょうが。
| 生江隆彦 | 2013/11/25 4:53 PM |
私も天使はウリエルではなくガブリエルだと思います。
その証拠は、
1.イエスの頭上にある天使の右手をよく見るとGに見える。

2.ガブリエルが指さしているのは洗礼者ヨハネである。ヨハネはイタリア語では Giovanniと書く。

3.そうすると、イエスもイタリア語ではGesuと言うじゃないかと言う反論が聞こえてきそうですが、イエスはガブリエルが作るGのイメージの足(=)縦線に当たります。イエスの左手がそうです。これはミサ通常文のなかのグロリアの歌詞、「・・・地上では善意に人に平和がありますように。」と言う祈願に対し、イエスが地に平和を与えているところを描いています。洗礼者ヨハネの祈願を聞いてやっているところとみるとぴったりでしょ(笑)。

4.ガブリエルの右手は縦軸音階のソ音(=G音)の位置を示す。この絵の縦軸には、アヴェ・マリア、グロリア、アニュス・デイという天使を除く3人の登場人物にちなむキリスト教賛歌の楽譜が隠されています。レオナルドは歌詞、読み方のヒントとともに音程の位置を知らせています。

ほかにもありますが、天使がガブリエルであることの証拠は十分でしょう(笑)。
| 生江隆彦 | 2013/11/25 4:31 PM |
コメントする