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ルネサンス哀しみの画家ボッティチェッリ
ルネサンス美術といえば、ボッティチェッリの「プリマヴェーラ(春)」や「ヴィーナスの誕生」を想い浮かべるひとが多いと思います。確かに、ルネサンスの三大巨匠、レオナルド、ミケランジェロ、ラファエロに比して、美術史上の重要性は少し低く見られるボッティチェッリですが、その人気においては勝るとも劣らないものがあります。

美しき女神は哀しみの表情を浮べ、描かれたすべての線は流麗な調べに乗り、画面全体に詩情豊かな旋律がいきわたります。そこにはおおらかな神話世界があり、日本人にとって、より素直に感情移入できる西洋絵画なのかもしれません。

それでは、「プリマヴェーラ(春)」と「ヴィーナスの誕生」を中心に、ボッティチェッリの初期と後期の作品を、時代をおって観ていきましょう。







サンドロ・ボッティチェッリ作 「東方三博士の礼拝」1475頃/フィレンツェ・ウフィッツィ美術館




ボッティチェッリが30歳のころの作品です。主題はキリスト教の宗教画として、よく採り上げられた「東方三博士の礼拝」です。

絵は、フィレンツェのサンタ・マリア・ノヴェッラ聖堂のガスパーレ・ディ・ザノビ・デル・ラーマの祭壇画として発注され、後にウフィッツィ美術館に納められたものです。デル・ラーマという人物は、為替商として財を成した、いわば成り上がりの人物で、ボッティチェッリに、メディチ家に連なる自分自身を画面に入れることを条件に、祭壇画を注文したようです。

当時のフィレンツェでは、メディチ家が隆盛を極めていて、家業の銀行業の力でヨーロッパ有数の大富豪となり、政治的にもフィレンツェ共和国を事実上支配する勢いでした。ピエロ・デ・メディチに見出され、同じような年齢の長子のロレンツォや、弟ジュリアーノと仲のよかった、若きボッティチェッリは、画家として人間として絶頂期にあったのかもしれません。

当代一流の画家フィリッポ・リッピやヴェロッキォから、いち早く技術を学び、その天性の才能を発揮し始めたボッティチェッリの、いわば出世作がこの作品です。

聖母子を中心に、礼拝する三博士と群集の構成は、ドラマティックな要素と、集団肖像画の要素を巧みに組み込んで、安定した構図なっています。聖母子の繊細な描写や、人びとの着衣が作り出すリズミカルで流麗な描線に、ボッティチェッリの特長がすでに現れています。

中央の聖母子にひざまずいている老人が、コシモ・デ・メディチ(祖国の父、ロレンツォの祖父)、手前中央の赤いガウンの人物が、ピエロ・デ・メディチ(ロレンツォの父)、左端の若者が、ロレンツォ・デ・メディチ(豪華王=ロレンツォ・イル・マニフィーコ)といわれています。





         
         「東方三博士の礼拝」(部分)


後ろの群集の中で、ライトブルーの衣服の白髪老人がこちらを見て指さしていますが、この人物が、絵の発注者のデル・ラーマといわれています。そして右端でこちらを見ているのが、ボッティチェッリ自身です。

左端の黒い衣服で、端整な横顔を見せているのが、後に、メディチ家のライバル、バッツィ家の陰謀で暗殺される、ジュリアーノ・デ・メディチ(ロレンツォの弟)です。他にも一族や、メディチ家の学芸グループのメンバーが描きこまれています。

その中でボッティチェッリが、自らを堂々と大きく描きこんでいるのをみると、いかに彼がメディチ家と親密であったかが分かります。












サンドロ・ボッティチェッリ作 「プリマヴェーラ(春)」1482頃/フィレンツェ・ウフィッツィ美術館




この作品は、「ヴィーナスの誕生」と並び、ボッティチェッリの代表作として有名な絵です。そしてルネサンスの代表的絵画でもあります。

どのような経緯で制作されたのでしょう。またその主題とその意味するところは、いったいどのようなものなのでしょうか。今となっては、正確なことはわかりませんが、有力な説にしたがって、さぐっていきましょう。

絵は、ロレンツォ豪華王の又従兄弟といわれる、ロレンツォ・ディ・ピエルフランチェスコ・デ・メディチの結婚を祝って、ロレンツォ豪華王がボッティチェッリに注文したといわれています。結婚を祝うわけですから、“愛の女神(ヴィーナス)の園に春の到来”という主題がまさにぴったしだったわけです。

中心に位置しているのがヴィーナスで、着衣姿であることから、裸身のヴィーナスが天上の愛を象徴するのに対し、世俗の愛を表すといわれます。左側には、ヴィーナスにつく三美神、「愛」「純潔」「美」の女神たち、そして若者は伝令の神メルクリウス(マーキュリー)です。

右側では、西風の神ゼヒュロスが、大地の精クロリスに春の息吹を吹きかけて求愛しています。クロリスはその左の、花の女神フローラに変身します。フローラはヴィーナスの園を花々をふりまき、花で埋め尽くします。

結婚することによって、愛の女神の園が花々で満たされるという、日本流にいえば寿画、じつにめでたい光景の絵画です。等身大に描かれたこの大作(203×314cm)が、その後のドミニコ会修道僧サヴォナローラの、いわゆる“虚栄の焼却”から免れたのは、奇跡的、まさに神がかり的です。

結婚祝いのための絵としても、主題はどうやら、、ある詩篇から発想されたようです。それは《ラ・ジョストラ(馬上槍試合)》といい、メディチ家の学芸グループの中心人物である、詩人のアンジェロ・ポリツィアーノが作った、ロレンツォ豪華王の弟ジュリアーノと、悲恋の相手シモネッタ・ヴェスプッチとの恋愛詩のようです。

シモネッタ・ヴェスプッチは、フィレンツェ随一の美女といわれ、フィレンツェの実業家マルコ・ヴェスプッチと15歳で結婚したといわれています。ボッティチェリが描いた彼女の絵を賭けて、メディチ家主宰の馬上槍試合があり、ジュリアーノが優勝し、彼女の愛を得たとされています。しかし1年後に、シモネッタは肺結核で死に、ジュリアーノも2年後には暗殺されます。

その悲恋の物語をもとに、ポリツィアーノは詩を作り、ボッティチェッリはその詩から構想した「プリマヴェーラ(春)」を描いたのではないかといわれています。

近年の絵の修復作業の結果、絵の草花は原寸大で写実的に描かれ、40種類以上あり500本も描かれていて、フィレンツェに現存する花が多いという報告があるそうです。また写実的に植物を、絵画の中に描くということを始めたのは、ボッティチェッリが最初の画家のひとりといわれています。






「プリマヴェーラ(春)」(部分)


この作品のほか、ラファエロをはじめ多くの芸術家が、三美神を絵画、彫刻に表しています。ボッティチェッリはここで、じつに優雅な三美神を描き出しています。

真ん中の「純潔」の女神は、左のメルクリウスをじっと見つめています。メルクリウスは、何も気付かずに、持っている魔法の杖で冬の暗雲を、追い払っています。何かストーリーがありそうです。





          
          「プリマヴェーラ(春)」(部分)


世俗の愛のヴィーナスは、愛の庭園の中心存在でありながら、他の美神に比べると、どこか地味な感じがします。それに、当時の衣服の描き方とはいえ、どこか妊婦姿を思わせます。ボッティチェッリは、結婚と出産のお祝いを重ねて描いたのでしょうか。

ヴィーナスの頭上のキューピッドが、愛の矢を射ろうとしています。それも目隠しをしてです。矢は誰を狙っているのでしょうか。筆者には、どうも真ん中の「純潔」の女神を狙っているように思えます。

もちろん、目隠しをしての、あやうい狙い方ですから、結果は予測できない、愛のいたずらなのでしょう。純潔の女性(新婦)が、キューピッドに愛の矢を射られて、若者(心労)と結婚することになった、というストーリーになります。いかがですか皆さんは。




          
          「プリマヴェーラ(春)」(部分)


さらに、絵の右側では、大地の精クロリス(花嫁)が、西風の神ゼヒュロス(花婿)に求愛されて、愛を受けたら、花の女神フローラに変身するという、これまた結婚を祝い表すストーリーになっています。

西風の神ゼヒュロスが、まるで死神のようで、これは結婚祝う愛の絵ではない、という説もあるようですが、ここはやはり常識的な解釈でいきたいと思います。














サンドロ・ボッティチェッリ作 「ヴィーナスの誕生」1485頃/フィレンツェ・ウフィッツィ美術館




この作品は、「プリマヴェーラ(春)」と並び、ボッティチェッリの2大傑作といっていいでしょう。一般的な人気はこちらのほうが、あるかもしれません。ヴィーナスだけを切り離して、ルネサンスあるいはイタリアを象徴するデザインとして、数多く利用されています。

この絵も、173×279cmの大作です。ウフィッツィ美術館に、対画のように掲げられています。「プリマヴェーラ(春)」を贈られたディ・ピエルフランチェスコが、絵をたいへん気に入り、ボッティチェッリに制作を依頼したという説がありますが、異説もあります。

ロレンツォ豪華王の弟のジュリアーノが、その恋人のシモネッタ・ヴェスプッチに愛を捧げるために、注文したという説です。この絵のモデルが、すでにこの世を去っていたシモネッタであるということが、この説の裏づけのひとつですが、絶世の美女といわれた彼女を、ボッティチェッリは肖像画ばかりか、ヴィーナスや女神のモデルとして数多く描いていますので、説得力に欠けます。

主題は、ギリシャ神話の美と愛の女神アフロディーテ(ヴィーナス)が、海で誕生して、貝殻に乗り、西風に吹かれて、浜辺に流れ着くという話からとられています。誕生したばかりのヴィーナスは、赤ちゃんではなく成人女性の姿で現れ、恥じらいのポーズをとっています。

この絵の具体的な情景は、やはり詩人のポリツィアーノが、古代ギリシャ詩人ホメーロスの詩から着想を得た詩、『アフロディーテ賛歌』から構想をえたといわれています。

画面左には、西風の神ゼヒュロスが、その妻花の神フローラとともに、花をまき散らしながら、誕生したばかりのヴィーナスを、浜辺へ打ち寄せています。浜辺ではホーラという、花柄のドレスの“季節の女神”が、普通には三姉妹ですが、ボッティチェッリはその一人を描き、ヴィーナスの裸身を大急ぎで、花柄のガウンで覆うような動作をしています。

愛の女神の誕生の瞬間ですが、どことなくおおらかで、恥じらいのしぐさや、ホーラの急いだ様子も、それほど緊迫感がなくて、ゆったりと気分で、まさに、ヴィーナス賛歌のひとコマに感じられます。




        
        「ヴィーナスの誕生」(部分)


「プリマヴェーラ(春)」とともに、ボッティチェッリはここでも、古代ギリシャ・ローマ世界、異教的な美を再現してます。しかしながら、ふたつの絵は、細部の描き方はかなり異なっています。

前作では、優雅な着衣や人物の柔らかい流麗な線がみられ、植物などは写実的な表現がされていましたが、この作品では、とくにヴィーナスにくっきりした輪郭線が描かれ、人体が背景から、くっきりと浮かび上がるようにしています。

全体に、表現が単純化されて、様式的な作風が目立ちます。ヴィーナスは、極端ななで肩、長すぎる首、彫刻的な肉体、の特長を持ちつつ、顔は哀しげな表情をしています。

ふりまかれる花なども文様化していて、衣服の花柄と同じようです。海辺の波も同様に、デザイン化されています。しかし全体をみれば、調和がとれた、美しい世界が展開されていると思います。













サンドロ・ボッティチェッリ作 「神秘の降誕」1501/ロンドン・ナショナルギャラリー




ボッティチェッリの晩年の作です。

1492年に、ロレンツォ豪華王が亡くなり、1494年には、メディチ家がフィレンツェから追放され、共和国の政治顧問にドミニコ会修道士サヴォナローラが就任します。ところが今度は、1498年には、ボッティチェッリも心酔していたサヴォナローラが、絞首刑、後に焚刑に処されて殉職しています。

ボッティチェッリは、人生の晩年にあって、すべてがひっくり返るようなフィレンツェの動乱期に遭遇したのでした。創作意欲を失い、活動も僅かになってしまいます。そのような時期の作品が、この「神秘の降誕」です。作風は以前の流麗で闊達なものから、前世紀の宗教画のように、硬質で細かく、小さい描写になっています。

画面上部には、ギリシャ語による銘文と、名前と制作年が記されています。この絵の主題はいわゆる“キリストの降誕”ですが、なぜ「神秘の降誕」と名づけられたのでしょう。

ギリシャ語の銘文には、「私アレッサンドロは、1500年の末、イタリア受難の時代、ひとつの時代とその半分の時代(1000年と500年)の後に、ヨハネの黙示録の第11章の預言にあるように、悪魔が3年半野放しになるという、黙示録の第2の災いの最中に、この絵を描いた。そして第12章にあるように、悪魔は鎖につながれ、地に落とされるのを、この絵で見るとよい。」というような内容が記してあります。

キリスト降誕の宗教画に、一般には難解なギリシャ語で、黙示録にある災いと勝利が描かれていると、銘文で示しているのですが、確かにその銘文がないと奇妙で、難解な部分がこの絵にはあります。

画面に眼を移すと、天空では天使たちが、オリーブの枝を持ち、祝福の輪舞を華麗に舞っています。右手には、礼拝に訪れた2人の羊飼い、左側には東方三博士たち、屋根の上には、オリーブの枝を持つ3人の天使。そして厩の中には、聖マリアと救世主イエス、まどろむヨセフが大きく描かれています。

最後に、画面下部に、抱き合っている三組の天使と若者が描かれ、よくみると小悪魔というかドラゴンが逃げ散り、地の穴に隠れようとしています。これがどうやら、黙示録の12章の部分を表しているようです。






「神秘の降誕」(部分)


抱き合っている三組の天使と若者の、真ん中の組です。

組み合っている二人の間に、悪魔らしきものが、穴に隠れようとしているのが判ります。ところで、この天使と若者の抱擁は、近代の抱擁と異なり、レスリングの組み手のような抱擁です。とくに一番右の組は、引き合っているようにも思えます。

ともかく天使と人間が抱き合って、喜びを分かち合っているのでしょう。救世主の降誕により、悪魔が支配する時代が去り、神の世界が訪れるという、喜びの抱擁と理解しましょう。

時代の混乱に翻弄されたボッティチェッリの願望が、この宗教画に込められているのでしょう。





ボッティチェッリの晩年の創作活動は、サヴォナローラの焚刑後3年経って制作された「神秘の降誕」に象徴されるように、「プリマヴェーラ(春)」や「ヴィーナスの誕生」の時代と大きく異なり、思索的、神秘的な傾向になっていきました。

しかしながら、生涯を通じては、神話画の官能的な女神たちだけでなく、宗教画においても、繊細で愁いを帯びた聖マリアや天使たちを描き続けて、後続の画家たちに大きな影響を与えました。そして現代においても一般に人気のある、ルネサンスの巨匠画家のひとりといって間違いありません。









     
      ボッティチェッリ作 「美しきシモネッタ」1480-85/東京・丸紅コレクション




日本に存在する唯一のボッティチェッリの作品です。それもかの名高き美女シモネッタの肖像画です。

シモネッタ・カッタネオ・ヴェスプッチは、1453年に商人の娘としてジェノヴァに生まれ、15歳で、フィレンツェの実業家マルコ・ヴェスプッチと結婚し、フィレンツェに住みます。ボッティチェッリに見出されて、絵のモデルをして、一躍美女として名を馳せたそうです。

彼女の夫、マルコ・ヴェスプッチは、アメリカの名のもとになった、探検家アメリゴ・ヴェスプッチの従兄弟ですが、22歳で若死にしたそうです。シモネッタが、ジュリアーノと実際に知り合ったのはいつ頃か、はっきりしませんが、二人の仲が、馬上槍試合でフィレンツェ中の話題になったころは、未亡人になっていたように思いますが、どうでしょう。

ジュリアーノと恋に落ちて1年後に、シモネッタは肺結核で亡くなります。23歳のときです。そしてジュリアーノも、その2年後に暗殺されます。シモネッタの遺体は亡くなった日の翌日、教会に安置されましたが、フィレンツェ中の教会の鐘が、その死を悼んで鳴らされたそうです。

そして生前にもまして、シモネッタをモデルにした詩や絵画が作られたそうです。あのレオナルド・ダ・ヴィンチは葬儀のときに、彼女の素描を描き残し、ボッティチェッリは9年後に、彼女をモデルにした「ヴィーナスの誕生」を完成させたといわれています。

さて、この肖像画も、彼女の死後4〜9年経ってから制作されたようですが、現在、丸紅コレクションのひとつとして、大切に保管されて、めったに一般公開されていません。しかし、幸運なことに今年の年末に、丸紅の創業150周年記念行事として、他のコレクションとともに、展覧会があるようです。

『丸紅コレクション展』〜衣裳から絵画へ 美の競演〜、会期:2008年11月22日(土)から12月28日(日)、会場:損保ジャパン東郷青児美術館、です。












《ボッティチェッリの生涯》
1444/45年フィレンツェの皮なめし職人の子として生まれる。本名はアレッサンドロ・ディ・マリアーノ・フィリペーピ というが、兄が太っていたことから「小さな樽」という意味のボッティチェッリといわれた。
年少の頃に、15歳上の金細工師の兄の工房に入門、さらに父の友人の金細工師の工房に見習いとして入る。
1460年15歳で、フィリッポ・リッピの工房に弟子入りする。
1465年20歳のときに、ヴェロッキオの工房に移る。
1472年フィリッポ・リッピの息子、フィリッピーノ・リッピを弟子にして、自分の工房を開く。メディチ家に目をかけられ、とくにロレンツォ、ジュリアーノ兄弟とは仲がよく、メディチ家の学芸サークル、アカデミカ・プラトニカ(プラトン・アカデミー)に出入りした。
1481年教皇シクトゥス4世にローマに招かれ、システィーナ礼拝堂の壁画制作にたずさわる。
1482年ころ「プリマヴェーラ(春)」を制作する。
1485年ころ「ヴィーナスの誕生」を制作する。
1492年ロレンツォ・デ・メディチが亡くなり、1494年にはドミニコ会修道僧のサヴォナローラの指導のもと、フィレンツェに共和制が復活する。ボッティチェッリも彼を支持し、異教(ギリシャ・ローマ)的な絵画制作をやめる。
1498年サヴォナローラが失脚し、焚刑に処せられる。ボッティチェッリは、創作意欲をなくす。
1504年ミケランジェロの「ダヴィデ像」の設置場所を定める委員会に、レオナルド・ダ・ヴィンチらと出席する。
1510年生涯独身のまま、フィレンツェにて死去。(享年65歳)

カテゴリ:ルネサンス | 17:05 | comments(4) | -
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コメント
「ヴィーナス誕生」の制作時期は、1488年です。この絵は、ロレンツォの長男ピエロがローマのオルシーニ家からアルフォンシーナを嫁に迎えるときの祝婚画です。母クラリーチェに続き、オルシーニ家からの嫁です。なんで二代も続けてかというと、オルシーニ家はローマの大貴族で、この時までに二人も教皇を輩出しています。ロレンツォは次男ジョヴァンニを教皇にするために、オルシーニ家の力を必要としたのです。この絵はメディチ家からの教皇輩出を祈願する占星術的魔術の護符です。
その証拠は、キュプロス島に上陸するヴィーナスに、時の女神ホーラが衣服を着せかけようとしています。その上にはオレンジの木の枝が、不自然に長く伸びています。字数が足りないのであとは想像してください。
| 生江隆彦 | 2013/11/25 3:41 PM |
「春」の制作時期は、1477年頃から1482年だと思います。なぜ、そんなに時間がかかっているかというと、もともとはロレンツォの弟のジュリアーノとセミラミーデ・アッピアーニの結婚の祝婚画として用意されたものだからです。ジュリアーノは1478年に暗殺されてしまい、その後のパッツィ戦争終結後、ロレンツォはふたたびアッピアーニ家と結婚による同盟を結びます。死んだジュリアーノの代役として、ロレンツォ・ディ・ピエルフランチェスコが、1482年にセミラミーデと結婚します。ジュリアーノ用に用意された「春」は、代役のロレンツォ・ディ・ピエルフランチェスコ贈られました。
 また、「春」がジュリアーノ用に描かれたと断言できるのも、「春」のなかにその証拠が隠されているからです。それは、ポリツィアーノのラ・ジョストラ(馬上槍試合)の第68節の末尾3行を歌詞とするジュリアーノとシモネッタを讃える歌が登場人物の手足(=音符)でG,d,Mの順で示されているからです。
つまり、Giuliano de' Medici!
ラ・ジョストラとは、1475年の和平更新記念の馬上槍試合の主役のジュリアーノとその愛人シモネッタを歌い上げた長編詩です。
| 生江隆彦 | 2013/11/25 3:29 PM |
春についての解説中々良いと思います。クピドが「炎の矢」を射るというのは、この絵だけだと思います。誰かほかの人のためでなく、クピド自身の恋のために矢を射るのでしょう。
ゼフュロスが青いのはやはり死の影が強いのではないでしょうか。とすると、関係者は二人います。エロスのプシュケーとシモネッタということです。画面の中の人々の足を見ていますが、その足は、どの一人も極め付きのストップモーションにあるように見えます。何かの一突きによって人々が動き始めてしまうという強い緊張感を感じます。もしクピドが「炎の矢」を射てしまうと、これをきっかけにして絵の中の人々が動き始めてしまい、画面が総崩れ・・・・・が心配になります。
| 石山 | 2013/05/14 9:19 AM |
長いので印刷してゆっくり読ませてもらいます。
「アンジェロ・ポリツィアーノ」で検索をかけたら
辿り着きました。
ヴィーナス誕生は、今まで何も疑問に思いませんでしたが、
確かに生まれたばかりのヴィーナスが女児ではなく成人女性っていうのは不思議ですね。
「春」の解釈はさまざまで頭が痛くなりますが、
自分の好きな説をとるしかないですね・・・。
シモネッタとジュリアーノは、馬上槍試合の時点で不倫だとばかり思っていたのですが未亡人という事は、どうどうと恋人でいい立場だったのですか・・・。
この恋愛話の見方が大きく変わる話で驚きです。
| 猫のプリンちゃん | 2008/12/28 5:00 PM |
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