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神の手を持つ画家ヤン・ファン・エイク(1)
初期ネーデルランド絵画、の大家、写実主義絵画の先駆、そして油絵技法の完成者として、美術史上にその名をとどめているヤン(ヨハンセンとも記される)・ファン・エイクです。

残存する作品は数少なく、真筆として確認されているのは、晩年期に制作された10数点しか確認されていません。しかしその影響力は、当時のイタリアはじめヨーロッパ中に行き渡り、デューラー、レオナルドらの巨匠たちを大いに刺激したのでした。

中でも「ヘントの祭壇画」は、画家である兄、フーベルト・ファン・エイクの未完の作品を完成させて、北方ルネサンスの金字塔ともいうべき評判を勝ち取ったのです。ではまずその「ヘントの祭壇画」から観ていきましょう。









ファン・エイク兄弟作 「ヘントの祭壇画」1432/ヘント・シント・バーフ大聖堂




「ヘントの祭壇画」は、「ゲントの祭壇画」(Ghent Altarpiece)とも称され、ベルギー第3の都市へントのシント・バーフ大聖堂にある祭壇画です。ユドークス・ファイトという、裕福な商人で資本家のヘント市の実力者が、フーベルト・ファン・エイクに注文したものです。制作途中の1426年にフーベルトが他界し、制作は中断しますが、6年後に弟のヤンが完成させます。

内部に12面、外部に12面の計24面のパネルで、内部中央パネルに描かれた“神秘の子羊の礼拝”を主題にした、多翼祭壇画です。全体の構想と内部中央の4面の絵はフーベルトが描き、他はヤンが描いたとされていますが、多少の異論もあるようです。

内部の上段は、中央に父なる神、そして聖母マリア、洗礼者ヨハネが描かれ、その両脇のパネルでは天使たちが賛美歌を歌っています。さらに両端は、左にアダム、右にイヴが裸体で描かれています。合計7枚のパネルです。

内部の下段は、中央に主題の“神秘の子羊の礼拝”が、両翼には左から、正義の審判者たち、キリスト騎士団、右には、隠者たち、巡礼者たち、合計5枚のパネルが描かれています。







「ヘントの祭壇画」(内部下段、中央部分)


内部下段、中央の大きなパネルに描かれている、この絵の主題は、新約聖書のヨハネの黙示録のキリストの受難からとられています。聖なる血を胸から流す生贄の子羊が、中央の祭壇の上に立ち、天には聖霊の鳩が翼を広げ、聖なる7本の光線が放たれています。

子羊の周りには、14人の天使たちが跪き礼拝しています。手前には生命の泉が噴出し、その泉の左には、聖書をもったユダヤ人の預言者たちが跪き、後ろには、もろもろの宗教の聖者たち、哲学者たちが、世界中から集まってきています。

泉の右には、12人の使徒、そして教皇と聖職者たちが群れています。左奥には、男性の殉職者たち、右奥には、女性の殉職者たち、大勢が礼拝のために訪れています。






「ヘントの祭壇画」(内部上段、中央部分)



主題画の真上のパネルには、父なる神が御座に坐しています。法王のような冠をかぶり、足もとには王冠を置き、宗教と政治の王をも超越した天の絶対存在者を表しています。

黒いひげを蓄えていて、顔立ちも東方のひとびとの容貌に似せているようです。左右の聖母と洗礼者ヨハネも同様で、衣服や装飾品なども聖書の記述に忠実な表現されています。神の姿に似せて創られた人類ですから、神も人間のような姿で、写実的に描かれているということなのでしょう。






「ヘントの祭壇画」(内部上段、左右部分)



内部上段、左右のパネルには、天使たちが、左では賛美歌を歌い、右では楽器を奏でています。オルガンを弾いているのは、聖セシリアで音楽家の守護聖人です。

楽器や天使たちの衣服は精緻を極めた描写です。ポリフォニー(多声音楽)で歌われている賛美歌は、歌う天使たちのそれぞれの表情が異なっていて、何を歌っているのか、専門家が判別できるほど、写実性にこだわっているそうです。



上段の左右両端には、左にアダム、右にイヴが、人類最初の男女として登場していますが、完全な裸体としては、西洋美術としても最初のことだそうで、19世紀には、教会が、着衣のアダムとイヴに取り替えたそうです。イヴは妊娠した身体で表現されています。

アダムとイヴの上のパネルには、彼らの子のアベルとカインが描かれています。アダムの頭上には供物を神に捧げるアベルとカインが、イヴの頭上には嫉妬したカインがアベルを殴り殺そうとしている旧約聖書の場面が、グリザイユ(モノクロの灰色やセピアで浮き彫りのように描く)手法で、まるで彫刻飾りのように描かれています。

下段の左端のパネルには、正義の審判者たちが描かれていますが、このパネルは、1934年に盗難に遭い、そのまま未発見のままです。現在のパネルは、1945年にコピーをもって補充されています。









「ヘントの祭壇画」(翼を閉じた状態)


閉じられた翼の外部パネルの12面のうち、下段の4つのパネルでは、左右の両端に寄進者とその妻が彩色されて描かれていますが、、中央の洗礼者ヨハネと福音記者ヨハネは、グリザイユ手法で描かれて、それぞれが、飾りアーチの4つの壁がん(壁などのくぼみ、彫刻などを飾る)に納まっています。




その上の4枚のパネルは、4枚でひとつの部屋を表現し、受胎告知の場面が描かれています。左には大天使ガブリエルが、人差し指を立てて、聖マリアに聖なる受胎を告知しています。指先からラテン語による祝福の文字(AVE GRA PLENA ・・・気高きマリア様、主は貴女とともに)が連なっています。



「ヘントの祭壇画」(外部、中段右部分)


右のこのパネルでは、聖マリアの頭上に聖霊の鳩が舞い降りています。これは、神の子を宿した、ということを表しているそうです。

聖マリアは、天上を見つめて言葉を発していますが、やはりラテン語で、口から連なる逆さ文字(ECCE ANCILLA DNI ・・・見守り給え、主のしもべを)が描かれています。







「ヘントの祭壇画」(外部、中段中左部分)


アーチ型の窓から、街の建物が見えます。おそらくヘントの町の風景でしょう。上部に天使ガブリエルの祝福の文字の、その一部が描かれています。




「ヘントの祭壇画」(外部、中段中右部分)


こちらは室内の様子が見えます。左には白いタオルがかかっています。壁がんには水差しと洗面器があり、洗面コーナーになっているのがわかります。これらの身を清める道具が描かれているのは、聖マリアが清潔、つまり純潔を表している意味だそうです。





受胎告知の部屋の上部には、預言者のザカリアとミカが、半円形のパネルに描かれていて、その間にある、細長い半アーチ形のパネルには、巫女たちが描かれています。いずれもキリストの誕生を予言した人物たちです。




この巨大(350×460cm)な祭壇画には、その外側枠に以下のような銘文が残されているそうです。

『歴史上最大の画家フーベルト・ファン・エイクは、その困難な仕事に着手したが、死亡した。彼の死後にユドークス・ファイトの要請により、1432年5月6日、才能において彼に及ばない弟ヤンが、これを完成した。』

兄に対する敬意を込めての銘文と思われますが、確かに、この兄フーベルトが構想した祭壇画の成功によって、ヤンは歴史に残るような活躍をする機会をえられたといってよいでしょう。そういう意味でも、偉大な兄の業績は大きいといえます。

この「ヘントの祭壇画」は、写実的な技法を導入し、さまざまな事物の細密でリアルな表現、とくに人物の細やかな表情を表現することにより、ゴシック期の象徴的、観念的な宗教体験から、具体的、感覚的な感動をもった宗教体験への、大きな変換をもたらしたのです。











ヤン・ファン・エイク作 「ターバンの男の肖像」1433/ロンドン・ナショナル・ギャラリー



この肖像画も、ヤン・ファン・エイクの傑作のひとつで、有名な作品です。

個人の肖像画は、「ヘントの祭壇画」などの寄進者の肖像や、宗教画の群像のひとりとして描かれている肖像が、独立した肖像画へ発展したものと考えられますが、当時の富裕層が自己顕示の目的で、発注されたのではないかと思われます。

「ヘントの祭壇画」で示されたように、写実表現の飛びぬけた技を持つヤン・ファン・エイクに、多くの人が、きそって肖像画を注文したとしても不思議ではありません。そしてヤン・ファン・エイクは、肖像画の開拓者と呼ばれるほどに、肖像画の絵画としての価値を高めたのでした。

当時の富裕人や知識人が、よく被っていた赤い頭巾を、まとめて頭の上に置いている男を描いているそうです。頬骨が出た立体感のある顔、しっかり筋の通った鼻、肌の質感、目じりの細かい皺、襟元の毛皮の毛並みまで、写実的に描かれています。

とくに赤い頭巾の布の襞がリアルです。暗い背景から、人物だけを光りで浮び上がらせているためでしょうか、人物の顔にまで、赤い色がうつっています。

さて、この「ターバンの男の肖像」は、ヤン・ファン・エイクの肖像ではないかといわれています。

もちろん他の高貴な人物の肖像だ、とする説もあります。しかし、自画像説を主張する側は、こちらをじっと見詰めている眼の表現が、鏡を見ながら自分を描いているから、という理由を挙げて、自画像説の根拠にしているようです。真剣な目つきから、筆者もその説を採りたいと思います。

フィリップ善良公から、“画家および従者”に任ぜられていた、ヤン・ファン・エイクは外交使節として、秘密の使命を帯びて出かけることがあったようです。いわば現代でいうところのスパイですが、この絵の人物も只者ではない眼光を放っているように感じます。ますます自画像説を信じたくなりますが、公にはいまだに「ターバンの男の肖像」です。




油彩技術の革新者であると同時に、その技術を使い、さまざまな事物を迫真的に表現したヤン・ファン・エイクは、絵画を通していったい何を訴えたかったのでしょう。

いろいろな考え方の中で、このような意見があります。

神がこの世界、森羅万象を創造されて、自らに似せて人間をも創られた。この世の生きとし生けるものすべてを、そのままに絵に描き出すことが出来れば、直接に神の意図するところを表現できるのではないか。あるいは、隠されたメッセージを探し出せるのではないか。

そこまで考えたか分かりませんが、人間が勝手に観念的に考えるより、身近な事物に、人間に、神の意図が見えるとの考えが生まれてきても不思議ではありません。また当時のネーデルランドが、ローマ法王の勢力から遠く離れ、その宗教政策に批判的な土地柄だったことと無縁ではないでしょう。

イタリア・ルネサンスとは異なる、現世の肯定的な見方が、市民文化の隆盛とともに、ここネーデルランドにも出現したということです。イタリア・ルネサンスでは、古代ギリシャ・ローマの科学、哲学を、また発掘された彫刻の人体表現を取り入れて、正確な遠近法や理想の人体表現を目指す傾向がありました。

しかしネーデルランドの絵画は、細部へそして写実へ向かっています。まさに“細部に神宿る(God is in the details.)”ということなのでしょうか。ネーデルランド(北方)・ルネサンスは、ヤン・ファン・エイクから始まったといっても過言ではありません。後世のヒエロニムス・ボスやピーテル・ブリューゲルたちも、その伝統を担って、精密にこだわる描法と、批判的な精神にあふれています。














《ヤン・ファン・エイクの生涯》
1387年頃ネーデルランド(ベルギー、オランダ)のリンブルク地方(現オランダ領)に生まれる。
1422年ネーデルランド領内のホラント伯ヨハン・フォン・バイエルンの宮廷画家となる。
1425年当時フランドル地方を支配していたブルゴーニュ公国のフィリップ3世(善良公)の“画家および従者”に任命され、以後寵愛される。
1426年画家の兄フーベルト・ファン・エイクが死去。
1428年フィリップ善良公により外交使節として、スペイン・ポルトガルに派遣される。
1432年「ヘントの祭壇画」が完成する。
1433年結婚する。「ターバンの男の肖像」を制作。
1434年「アルノルフィーニ夫妻の肖像」を制作。
1435年頃「宰相ロランの聖母」を制作。
1441年7月9日フランドルのブルッヘにて死去。(享年54歳)
カテゴリ:ルネサンス | 11:31 | comments(2) | -
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コメント
天使が人間界に描かれていることによって、少し親近感がわくような気がします。見れば見るほど様々なものが見えてきますね。
| 真生 | 2012/01/17 8:12 PM |
何か初めてみたけどすんばらしいとオモイマシタ。
| 彩海 | 2009/07/03 12:14 PM |
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