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ブロンズィーノの「愛の勝利の寓意」
 


今回は、前回前々回よりさらに多くの謎にあふれる艶やかな名画、「愛の勝利の寓意」です。マニエリスムの画家、アーニョロ・ブロンズィーノの有名な傑作です。





アーニョロ・ブロンズィーノ作 「愛の勝利の寓意」1540-45/ロンドン・ナショナル・ギャラリー




ミケランジェロがシスティーナ礼拝堂の大壁画「最後の審判」を描きおえたのは、1541年のことですが、その頃に描かれたこの絵は、トスカーナ大公のコジモ1世から、フランス国王フランソワ1世へ贈られたものです。

この絵のタイトルは、「愛の勝利の寓意」、あるいは「ウェヌス、クピド、時、愚行のアレゴリー」とされています。画面の中心にいる美しい裸の女性が、愛と美の女神のウェヌス(英語でヴィーナス)で、その左にいるのが、ウェヌスと軍神マルスとの間に生まれたクピド(キューピッド)で、愛や欲望を象徴する神です。ウェヌスは黄金のリンゴ持ち、クピドは背に翼があることから、それぞれが判別されます。母であるウェヌスに、クピドはみだらな行為に及んでいます。作者な何を言いたいのでしょう。







右側の元気のよさそうな男の子は、愚行の擬人像とされていますが、愛(欲)の象徴であるバラの花びらをウェヌスとクピドに投げつけようとしています。その顔には、いかにも悪戯っぽい表情にあふれています。





男の子の左奥に、美しい少女が顔を出していますが、虚ろな表情をしています。この少女は、欺瞞の擬人像といわれています。





少女は、右手に蜂の巣(蜂蜜)を持っています。甘い蜜を差し出してるのでしょう。




左手には、画像でははっきりしませんが、サソリを持っています。毒と蜜を左右の手で持っていることになります。いったい、どちらを差し出そうとしているのか。

しかし右手は左の手の形を、左手は右の手の形をしています。右手が正義、左手が邪悪を表す西欧の伝統的な風習で考えると、これもまた、虚々実々の欺瞞を表していると思われています。少女の身体は、ウロコでおおわれ、下肢は獅子の脚になっています。半獣半人の姿、ドラゴン(キリスト教では悪魔の象徴)を表現しているともいわれています。







クピドの左奥で頭をかきむしり、苦痛にあえいでいる老婆は、嫉妬の擬人像といわれています。





画面の上部左端には、真実とも忘却ともいわれる擬人像が、青い布をはがしして、ウェヌスとクピドの姿を、白日のもとに晒そうとしているように見えます。真実ならば、暴こうとする行為になりますが、忘却ならば、覆い隠そうとするのかもしれません。しかしその顔は、仮面のように無表情で、どちらとも正体を明らかにしていません。

画面上部には、砂時計を肩にのせ、背に翼のある、筋骨隆々の老人の姿をした時の神が、青い布で覆い隠そうとしているさま、あるいは暴こうとしているさまが、力強く描かれています。





画面の右下には、男女の仮面らしきものが置かれています。これは偽りの男女関係の寓意を表しているとのことです。また左下のつがいの鳩は愛欲を表しているとのことです。



さて、このウェヌスとクピドの禁じられた悦楽をめぐるアレゴリー(寓話)の解釈は、さまざまに考えられています。多くの寓意が、複雑に入り組んでいて、謎を解く決定的な解釈は現在のところないようです。そうとあれば、観る者が、その謎解きに参加する楽しみも可能といえます。皆さんも自由に想像してみればいかがでしょう。

当時は、ルネサンスの自由な風潮に対する、カソリック改革による粛清も次第に激しくなりつつある時代でした。この絵についても、建前上は、上流階級の性風俗の乱れを揶揄し、倫理的なアレゴリーで主題をまとめているかに見えます。しかしながら、ここはやはり、ブロンズィーノの描く艶やかな美しい裸婦を、トスカーナ大公コジモ1世が、フランス国王フランソワ1世にプレゼントした、とするのが自然なのではないでしょうか。多くの寓意は、知的な謎解きというオマケのようなものだったと思います。
 
複雑に入り組んだ数多くの寓意を、ブロンズィーノは、構図的にも輻輳した画面に作り上げていますが、中心のウェヌスの裸身とクピドの肉体は、艶やかに白く光り輝いています。






アーニョロ・ブロンズィーノ(Agnolo Bronzino)は、1503年頃にフィレンツェで生まれ、1572年に同地で亡くなっています。ブロンズィーノはイタリア語で青銅の意味で、本名はアーニョロ・ディ・コジモ・ディ・マリアーノ・トーリといいます。トスカーナ大公コジモ1世の宮廷画家として活躍し、マニエリスムの画家として知られています。

マニエリスム(Maniérisme)は、盛期ルネサンスとバロック美術の間の美術をさし、手法とか様式を意味する、イタリア語のマニエラ(maniera)が語源とされています。とくにラファエロやミケランジェロの手法を、最高のものとして、絵画に多用する様式をいい、イタリアで多くみられました。

コジモ1世(Cosimo I de' Medici)は、1519年に名門メディチ家の一員として生まれ、1574年亡くなっています。18歳でフィレンツェ公を継いで、領土を拡げ、初代のトスカーナ大公の地位を得ています。ヴァザーリやブロンズィーノらを宮廷画家として迎え、ルネサンス文化をフィレンツェに再興させたとされます。

フランソワ1世François Ier de France)は、1494年に生まれ、1547年に亡くなっています。フランス国王在位期間は、1515年から1547年です。レオナルド・ダ・ヴィンチを招聘して、ルネサンス文化をフランスに導入したことでも知られています。








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