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オーブリー・ビアズリーの「サロメ」
 
今回は、純粋の絵画ではなくイラストレーション、挿絵です。オスカー・ワイルドの戯曲『サロメ』のために、オーブリー・ビアズリーが描いたイラストレーションです。筆者が青春時代に、とくに愛好した作品のひとつでもあります。




  
オーブリー・ビアズリー作 「クライマックス」1894/オスカー・ワイルド作・戯曲『サロメ』の挿絵より



白い大きな満月を背景に、ユダヤの王女サロメが宙に浮んでいます。両手で、ヨカナーン(洗礼者ヨハネ)の生首を持ち上げ、接吻しようとしています。生首から滴り堕ちる血は、真っ黒な池となり、その地獄の池からは白百合が、いままさに花開こうとしています。

サロメの最期の台詞は、「お前の口にくちづけしたよ、ヨカナーン、お前の口にくちづけしたのだよ。お前の唇は苦い味がした。血の味なの? いや、きっと愛の味よ。・・・」ですが、 この戯曲の終焉のクライマックスを、ビアズリーは、このようにインパクトの強い、鋭い線と白黒の、幻想的で詩的な映像で表現したのでした。

新約聖書のヨハネの福音書にある、洗礼者ヨハネの処刑にいたる顛末を、オスカー・ワイルドは、少女サロメの洗礼者ヨハネへの激しい想いが、最後の衝撃的な結末へと導くという、悲恋の物語として戯曲化しました。相手を殺しても、愛を貫くという魔性の女(ファム・ファタール)として、サロメは世紀末に好んで題材となっています。絵画では、ギュターヴ・モローの「出現」(2009年8月20日付け既出)が代表的です。

その『サロメ』の戯曲を、ビアズリーは退廃的、背徳的に、またエロティックに視覚化したのです。ワイルドとの確執からか、戯曲の筋立てとは直接関係のない挿絵を何点か入れたり、ワイルド自身を戯画化して画面に登場させたりしています。結果として、たしかに二人の才能が交錯し、火花が散るような、挿絵入りの戯曲『サロメ』になっていますが、明らかに、ビアズリーの画像のインパクトが、作品の性格付けに大きく寄与していると思います。






「お前の口にくちづけしたよ、ヨカナーン・・・」 1893/ステューディオ誌・創刊号より


戯曲『サロメ』の初版は、フランス語で1893年に出版され、翌年に英語版が出版されますが、その際に挿絵が添えられることになり、ワイルド自身がビアズリーを挿絵画家に推薦したそうです。すでにビアズリーは、フランス語版に着想を得て、この「クライマックス」の元絵ともいうべき「お前の口にくちづけしたよ、ヨカナーン・・・」を、絵入り総合芸術誌のステューディオ誌の創刊号に掲載していました。これがきっかけで、ビアズリーは英語版『サロメ』の挿絵を正式に依頼されたということです。





オーブリー・ヴィンセント・ビアズリー(Aubrey Vincent Beardsley)は、1872年にイギリス南部のブライトンで、金銀細工師の息子として生まれ、1898年に結核のため、転地療養先の南仏コートダジュールのマントンで、25歳の若さで亡くなりました。画家、詩人、小説家として、世紀末のイギリスを代表する芸術家で、白黒のペン画による鋭い描写が特徴です。6歳から絵を描き始めますが、7歳には結核の兆候があらわれます。1888年にロンドンに移住し、測量事務所、保険会社に勤めるものの、喀血のために休職します。1891年に本格的に絵を学び、次第にプロとしての挿絵画家の仕事に専念します。1894年創刊の絵入り文芸誌、『イエロー・ブック』を中心に活躍します。病状が悪化し、1897年末に南仏マントンに転地しますが、翌年に死亡します。


オスカー・フィンガル・オフラハティ・ウィルス・ワイルド(Oscar Fingal O'Flahertie Wills Wilde)は、1854年にアイルランドのダブリンで、外科医の父と詩人の母の間に生まれ、1900年にパリで亡くなっています。世紀末のイギリス・ヴィクトリア朝時代の作家、劇作家として活躍しました。童話『幸福な王子』や長編小説『ドリアン・グレイの肖像』、戯曲『サロメ』が代表作です。1895年に同性愛事件を起こし、重労働2年の刑で服役し、1897年に出所しますが、1900年、貧困のうちにパリで死去します。


ファム・ファタール(仏 Femme fatale)は、フランス語で「運命の女」、あるいは「魔性の女」という意味です。カルメンやサロメ、女スパイのマタハリなどがその例として挙げられています。また「悪女」とか「妖婦」と訳される場合があります。


ステューディオ誌(The Studio)は、1893年から1919年まで、ロンドンで刊行された、《純粋美術と応用美術のための絵入り雑誌》です。26年間にわたって国際的に影響力をもち、幅広く美術工芸の領域を扱った、総合芸術誌として評価されています。当時の日本美術、工芸、文化一般の論評を数多く掲載したり、ウイリアム・モリス率いるアーツ・アンド・クラフツ運動を支援したことでも知られています。















カテゴリ:象徴主義 | 15:29 | comments(0) | -
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