<< アメデオ・モディリアーニの「座るジャンヌ・エビュテルヌの肖像」 | main | オディロン・ルドンの「キュクロプス」 >>
スポンサーサイト

一定期間更新がないため広告を表示しています

カテゴリ:- | | - | -
エドヴァルド・ムンクの「叫び」
 
今回は、有名なムンクの傑作「叫び」です。世紀末に活躍した表現主義の画家エドヴァルド・ムンク。そのムンクという名前と「叫び」の絵は、強く結びつき、一体化されたイメージの“ムンクの叫び”として、われわれの意識に深く刻まれています。





エドヴァルド・ムンク作 「叫び」1893/オスロ・国立美術館



この有名な「叫び」は、《生命のフリーズ》というムンク独特の連作、22点のシリーズ画のひとつとして、ムンクが30歳のときに描かれています。《生命のフリーズ》は4つのセクションからなり、この絵は、“生の不安”というセクションの中の一枚です。時代は世紀末、退廃的な風潮と新世紀に対する期待と不安が、人びとの心に渦巻いていました。そのような時代背景とともに、ムンク自身の精神状態が、色濃く反映された作品として解釈されています。

ムンクは母を5歳のとき、姉を14歳のときにともに結核でなくしています。医者であった父親も、母親が亡くなってから、精神がおかされました。1888年、26歳のときににパリに出て、ゴッホや世紀末の芸術家たちから刺激を受け、病気や狂気、死にとりつかれたような、不安な精神状態をあらわした作品をいくつか制作しています。パリでの経験のあと、ムンクは“息づき、感じ、苦しみ、愛する、生き生きした人間を描く”ことを自らに課していったのです。

さてこの作品をよく観てみましょう。画面の上3分の1は、真っ赤に渦巻く血のような空が描かれています。ノルウェーのフィヨルドの湾でしょうか、舟が2艘浮んでいます。湾を取り囲むように、黒っぽい紺色の陸地がうねり、前景から左上へ、桟橋でしょうか、ずっと奥まで続いています。遠くから人物が二人、近づいてきます。手前には、単純化され、それこそペルーのミイラのような人物が、悲痛な面持ちで、口をゆがめて叫んでいるかのようです。しかし本人は叫んでおらず、周りの自然からの、えもいわれぬ“叫び”に、両手で耳を塞ぎ、苦痛に耐えているさまを描いている、とのことです。

美術史的な評価にかかわらず、この絵が、現代におけるさまざまな不安を抱える人びとから共感を得ているのは、画面全体に表現された、インパクトの強い“不安”の視覚化にあったのでしょう。そして口を大きく開け、両耳を塞いでいる頭蓋骨だけのような特異な人物に、ある種の愛着を感じる人が数多くいるからではないかと思われます。この絵が、多くの現代人に愛好されている理由は、むしろ後者かもしれません。







エドヴァルド・ムンク作 「不安」1894/オスロ・ムンク美術館



この絵は、「叫び」と同じく《生命のフリーズ》の4つのセクションのうちの“生の不安”のセクションにある作品です。ずばり「不安」と呼ばれています。「叫び」と同じ場面設定になっていて、異なるのは、正装した大勢の人びとが、無表情で、こちらに向かってぞくぞくと渡って来るのが描かれていることです。そこでは自然からの叫び声はなく、不気味な空とねっとりとした海岸線があるだけです。人びとの不安は、押し殺されて胸の中にしまわれているのでしょうか。






エドヴァルド・ムンク作 「叫び」1893/オスロ・ムンク美術館



「叫び」は、ヴァリエーションがあり、4点制作されているそうですが、この「叫び」は、ムンク美術館のものです。耳を塞いでいる人物は、さらに単純化されて、背景のうねりとさらに同調しています。このムンク美術館の「叫び」は、2004年に「マドンナ」とともに盗難に遭っていますが、オスロ国立美術館のほうの「叫び」も、1994年にやはり盗まれています。しかし幸いにも、両作品とも無事に発見されています。








エドヴァルド・ムンクEdvard Munch)は、1863年にノルウェーの南部、へードマルク州に軍医の息子として生まれ、1944年にオスロ郊外のエーケリィで、80歳で亡くなっています。幼年期に母を、少年期に姉をともに結核で亡くし、病気と死そして生に真剣に立ち向かう青春期を過ごしました。17歳のときに画学校に入学し画家を志ます。1889年から3年間、政府の奨学生として、パリに留学し、ゴーギャン、ゴッホから影響を受けます。1892年にベルリンへ移り、「叫び」などを制作しました。当地での作品発表が論争となり、後にベルリン分離派を生むことになります。1894年に「思春期」を制作。各地で個展を開催し、主としてドイツとノルウェーで活動します。1902年、ベルリン分離派展に『生命のフリーズ』の22点を発表。1908年、44歳のときに女性とのトラブルから、総合失調症を発病し、療養生活を送ります。翌年ノルウェーに戻り後半生を過ごしますが、作風は世紀末時代の不安や狂気を描くことなく、健康的な作風に変化しています。この頃の代表作にオスロ大学講堂の壁画があります。


表現主義(Expressionism)は、広くは芸術の各分野において、感情表現を優先させて作品に反映させる、とくに不安や葛藤を表現する傾向をさしています。狭くは、20世紀初頭にドイツで生まれた芸術運動をさし、ドイツ表現主義と呼ばれています。20世紀以降、ヨーロッパ全般に広く発展し、現代の大きな芸術活動の潮流になっています。絵画では、ゴッホやムンクが、その先駆者とみなされ、第2次大戦後のアメリカにおける、抽象表現主義もその流れとして挙げられています。


生命のフリーズ(frieze of life)は、ムンクの一連の作品群で、愛、死、不安をテーマとし、「叫び」、「マドンナ」、「接吻」などの代表作が含まれています。フリーズとは、建築用語で横に連続して連なる装飾をいい、ひとつのシリーズの意味をもたせています。1902年のベルリン分離派展に22点が出品され、4つのセクション、《愛の芽生え》《愛の開花と移ろい》《生の不安》《死》に分けて展示されました。ムンクは、「生命のフリーズ」を一連の絵画として位置づけ、全体をひとつの作品として見て欲しいと、明言しています。






カテゴリ:20世紀芸術 | 09:43 | comments(0) | -
スポンサーサイト
カテゴリ:- | 09:43 | - | -
コメント
コメントする