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アルフォンス・ミュシャの「ジスモンダ」
 
今回の作品は、絵画ではなくポスターです。アルフォンス・ミュシャの「ジスモンダ」という舞台公演のための広告ポスターです。アールヌーボー様式のグラフィックデザインの第一人者、ミュシャの出世作であり代表作でもあります。







アルフォンス・ミュシャ作 「ジスモンダ」1894/三浦コレクション・川崎市市民ミュージアム、ほか各地





チェコ出身のアルフォンス・ミュシャが、ウィーン、ミュンヘンを経てパリに出てきたのが25歳。それから8年、細々と美術関係の仕事や印刷所の校正をしていたミュシャに、偶然の幸運が訪れました。

1894年のクリスマス休暇、大女優のサラ・ベルナール主演の芝居、「ジスモンダ」再演の広告ポスターの依頼が、印刷所に入り、元日までに大急ぎで制作することになりましたが、デザイナーはミュシャひとり。ミュシャは、早速その翌日、実際の舞台を観てスケッチをしたため、次の日には彩色して劇場に届けたそうです。幸いにもサラ・ベルナールに気に入られ、ポスターはすぐに印刷にかかり、元日にはパリ中の広告掲示板に貼られました。ポスターは、人びとのあいだで大評判となり、次つぎと剥がされ、持ち去られるという事態が生じたそうです。

ポスターは、リトグラフで213×75cmという大きなサイズです。中央に大きくジスモンダ役のサラ・ベルナールが威風堂々とした姿で描かれています。衣裳は細かいアラベスク文様が施され、頭部には豪華な花飾り、右手には棕櫚が一枝、左手は十字架飾りを胸に当てています。上部の演劇のタイトル、主演女優名、下部にはルネサンス劇場と、モザイク模様で造形されています。ビザンティン風な雰囲気と、細やかで豪華な装飾に包まれたサラ・ベルナールは、いかにも光り輝く存在感で、パリの人びとにアピールしたのでしょう。

当時アールヌーボー様式は、建築や装飾、生活調度品、宝飾分野で発展していましたが、このポスターの出現が、グラフィックアート分野での先駆けとなり、ミュシャは、アールヌーボーの旗手といわれるようになりました。本人はそう呼ばれることに抵抗感を抱いていたようですが。

このポスターにより一躍脚光を浴びたミュシャは、流行の先端を行くグラフィックデザイナーとして、不動の地位を得たのですが、50歳になっていたサラ・ベルナールも、再び注目され、「椿姫」「メディア」「トスカ」など大作に次つぎと主演し、大女優としての名声を大いに高めました。このポスターは二人にとってまさに幸運のポスターだったのです。






アルフォンス・マリア・ミュシャ(Alfons Maria Mucha)は、1860年にオーストリア帝国のモラビア(現チェコ)に生まれ、1939年にチェコで亡くなっています。享年78歳でした。ミュシャという呼び名は、フランス語での発音で、チェコ語ではムハあるいはムッハとなるそうです。19歳でウィーンに出て、舞台装置工房で働きながら夜間の画学校に通い絵の勉強をしました。1885年頃にエゴン伯爵の援助を受け、ミュンヘン美術院に入学し、1888年、28歳のときにパリに出て、アカデミー・ジュリアンで美術を学びました。美術家としての出世のきっかけは、1894年、時の大女優サラ・ベルナール主演の演劇「ジスモンダ」の広告ポスターでした。そのアールヌーボー様式のグラフィックアートは、評判を呼び、この分野での第一人者となり、ポスターはじめ、挿絵、版画、装飾など幅広く活躍しました。1910年に故国のチェコに帰り、本格的な絵画の連作「スラブの叙事詩」を制作します。1918年にオーストリア帝国が崩壊し、チェコスロヴァキア共和国が成立すると、故国のために紙幣や切手のデザインを無報酬で請け負ったといいます。1939年ナチスの侵略により、厳しい迫害を受け、同年亡くなっています。





サラ・ベルナール(Sarah Bernhardt)は、1844年にパリで生まれ、1923年に同地で亡くなっています。享年78歳でした。本名はアンリエット・ロジーヌ・ベルナール(Henriette Rosine Bernard)といい、売春婦の私生児として生まれたそうです。カトリックの修道院で育ち、後に援助を受け、国立音楽演劇学校に入学しています。1862年から舞台女優をつとめ始め、1870年代にはヨーロッパで名声を得ていたそうです。上掲の写真は20歳代前半の写真と思われます。ちなみに撮影は有名な写真家、ナダールです。1900年には無声映画にも出演。1914年に、フランス最高勲章のレジョン・ドヌール勲章を受章し、1923年に亡くなったときには、国葬の礼を受けています。


アール・ヌーヴォー(仏 Art Nouveauは、19世紀末に、ヨーロッパを中心に興った美術運動をいいます。フランス語で「新しい芸術」を意味しますが、花や植物、昆虫などをモチーフにして、曲線を特徴とする装飾的な図案を用います。建築をはじめ、生活用品、ゲラフィック作品と幅広く展開しています。ヨーロッパ各国でそれぞれの呼び名で、同じような芸術運動が興りましたが、フランスではパリやナンシーを中心に鉄や銅、陶器、ガラス、木製による、自然界の曲線や形を採り入れた作品が多く制作されました。グラフィックアートの分野では、ミュシャによる「ジスモンダ」のポスターが、大きな影響力を発揮して、版画や雑誌の挿絵、書籍の装丁まで商業美術で、模倣するイラストレーターを数多く生み出しました。




なお、2009年11月10日(火)から12月23日(水)まで、『ロートレック コネクション』展が、《渋谷Bunkamura ザ・ミュージアム》にて開催されていますが、その中で本作品が展示されています。ご興味のある方は、どうぞお出かけください。












カテゴリ:象徴主義 | 20:26 | comments(0) | -
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