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エヴァ・ゴンザレスの「イタリア劇団の桟敷席」
 

さて、今回は前回のベルト・モリゾにつづき、同じ印象派の女流画家エヴァ・ゴンザレスの作品です。エヴァ・ゴンザレスは、マネの忠実な弟子として人生を全うした画家といわれています。




エヴァ・ゴンザレス作 「イタリア劇団の桟敷席」1874/パリ・オルセー美術館


2010年4月に新しくオープンした、三菱一号館美術館の開館記念展として『マネとモダン・パリ』が、4月6日から7月25日まで開催されています。マネの数々の傑作とともに、この作品も展示されています。ご覧いただいたように、マネの作品と見紛うばかりです。マネのスタイルを見事に踏襲しています。

この作品の制作年、1874年には第1回印象派展が開催されています。ベルト・モリゾは「ゆりかご」を出展していますが、ゴンザレスは出品していません。以後も参加せず、師のマネと同じ行動をとっています。またこの年、ベルト・モリゾはマネの弟ウジェーヌと結婚し、マネの絵のモデルになることを止めています。代わりに、エヴァ・ゴンザレスが、しばしばモデルをつとめています。マネが、敢えてモデルを替えたのか、モリゾの方から引いたのか、はっきりしませんが、マネがゴンザレスを画家として認め、指導していたことは確かなようです。




エドゥアール・マネ作 「エヴァ・ゴンザレスの肖像」1869-70/ロンドン・ナショナル・ギャラリー


エヴァ・ゴンザレスは、1869年マネに弟子入りするとともに、絵のモデルになることを要請され、最初に描かれたのが、この作品です。マネは相当に意気込んで描き始めましたが、何度も描き直し、完成したのは次の年になったそうです。この絵をみて、ベルト・モリゾは、絵を描くゴンザレスをマネが描くことで、マネから画家として認められているゴンザレスに、おおいに嫉妬したそうです。

しかし、この作品の2年後にマネは、ベルト・モリゾをモデルに「スミレのブーケをつけたベルト・モリゾ」を制作します。いっきに描かれたそうですが、マネの傑作のひとつになっています。モデルとしての魅力は、モリゾの方が勝ってたのかもしれません。





エヴァ・ゴンザレス作 「朝の目覚め」1876/ドイツ・ブレーメン美術館


この絵は、エヴァ・ゴンザレスが、妹のジャンヌをモデルに制作したものです。朝のまどろみから目覚めて、安らぎに満ちた少女の眼差しが印象的です。画面全体の柔らかなタッチと色彩が、いっそう幸せに満ちた雰囲気を醸し出しています。白い夜具とベッド脇のスミレの花は、清潔感と乙女の清純さを強調しています。爽やかな朝の風さえ感じさせます。エヴァ・ゴンザレスの傑作のひとつでしょう。

                   ◇ ◇ ◇

1879年にエヴァ・ゴンザレスは、アンリ・ゲラールという画家と結婚しますが、1883年に男の子を出産後に、34歳という若さで亡くなります。ちなみに亡くなった日は、奇しくも師のエドゥアール・マネが亡くなってから6日後だったそうです。長生きしていれば、ベルト・モリゾのように、あるいはそれ以上に、多くの傑作を残していたかもしれません。




エヴァ・ゴンザレス (Eva Gonzalèsは、1849年にスペイン系の作家を父に、ブルジョワ階級の娘としてパリに生まれ、1883年に34歳の若さで亡くなっています。10代から絵を学んでいましたが、1869年にマネに紹介され、モデルを依頼されるとともに、画家としてマネに弟子入りします。翌年には、サロンに出品します。印象派の女流画家として注目されましたが、マネと同じく印象派展には、作品を出展することはありませんでした。それでも印象派画家たちの絵のモデルになることもありました。1879年に30歳で画家のアンリ・ゲラールと結婚。1883年、男子を出産後に急死します。享年34歳でした。





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