<< エヴァ・ゴンザレスの「イタリア劇団の桟敷席」 | main | レンブラント・ファン・レインの「自画像」 >>
スポンサーサイト

一定期間更新がないため広告を表示しています

カテゴリ:- | | - | -
メアリー・カサットの「自画像」
 
今回は、ベルト・モリゾ、エヴァ・ゴンザレスにつづいて、印象派の女性画家メアリー・カサットが描いた「自画像」です。カサットはアメリカ出身ですが、印象派グループの主要メンバーとして活躍し、アメリカへ印象派絵画を広めた人物でもありました。





メアリー・カサット作 「自画像」1878/ニューヨーク・メトロポリタン美術館



メアリー・カサットは、アメリカ・ペンシルベニア州のブルジョワ階級に生まれ、若い時期から絵を勉強し、1866年22歳のときにパリで本格的に修業を始めました。普仏戦争のために、1870年にいったん帰国しますが、翌年再びヨーロッパに渡り、各地の美術館を巡った後に、パリでドガの絵に偶然出会います。感激したカサットは、1874年にドガとの対面を果たした後、ドガを師と仰ぐだけでなく、印象派の活動にも参加するようになります。

この自画像の制作年の翌年の1879年に開催された第4回印象派展に、カサットは、ドガのすすめもあり、11点の作品を出品します。その後、第5、6、8回の印象派展覧会に出品し、印象派のメンバーがばらばらになった後も、ドガやベルト・モリゾたちと交流していたそうです。

この自画像は、印象派の画家たちと交流していたころの作品です。衣服や顔に当たる光の陰影を強調して描かれています。頭部の華やかな飾りの帽子とまっ白いドレスが印象的です。自画像というより、自分自身をモデルにして、当時のブルジョワ階級のひとりの女性を描いた作品といえるでしょう。







メアリー・カサット作 「青い肘掛椅子の少女」1878/ワシントン・ナショナルギャラリー



この作品は、ドガの友人の娘をモデルに描かれたそうです。右手前のソファーに、少女のリラックスした姿態、左のソファーには子犬。奥には二つのソファーが交互に描かれ、部屋の奥行きを構成しています。通常の肖像画と異なり、だらしなく足を投げ出している少女像、あまりにも日常的な場面構成が、当時としては斬新過ぎたのかも知れません。パリ万国博覧会のアメリカ部門への出品を断られています。

この時期、メアリー・カサットとドガは、お互いにその制作姿勢を認め合う間でしたが、技法的には、当然ながらドガが指導する側だったようで、この作品についても、背景などに助言を与えたばかりでなく、ソファーの模様に直接加筆したりしたそうです。残念ながら当時は評価されなかったですが、、130年前の作品とは感じられないほど、現代的な印象を受ける作品です。




メアリー・カサット作 「髪を洗う女」1890-91/シカゴ・シカゴ美術研究所


カサットは、1886年の最後の第8回印象派展覧会に出品した後、印象派の画家たちの手法といったん離れて、独自の技法を探るべく試行錯誤します。1890年にエコール・デ・ボザールで開催された日本の浮世絵展に刺激をうけて、この「髪を洗う女」を含む、多色版画の連作画10枚組を制作します。ご覧いただいたように、まるで現代の日本人画家の作品といってもおかしくないほどに洗練されています。

女性の柔らかな身体を、シンプルな曲線で表わす一方、渋く抑えられた色彩が全体を支配し、しっとりとした味わいを醸し出しています。印象派的な手法と対極をなすような作画です。印象派と決別していたドガは、数多くの湯あみする女性たちを描いています。後ろ姿の女性らしい身体の線を追究し、女性の背中の美しさを表現することに専心していました。そのドガを驚かしたのが、この一連の版画、とくにこの作品における女性の背中の表現だったようです。ドガでなくとも、われわれ日本人もびっくりです。






メアリー・カセット作 「子どもの入浴」1892/シカゴ・シカゴ美術研究所



「髪を洗う女」を含む、一連の多色刷り版画を仕上げたカサットは、油絵の大きな作品においても新境地の傑作を生み出しています。「子どもの入浴」はその代表的な作品です。斜め上方からの視点は、もちろん既にドガによって数多く試みられてはいますが、このようなテーマ、母親が子どもに湯あみさせているテーマ、においてはとくに新鮮に感じられます。母親が子どもの足先を洗う、子どももその様子を見つめている。無言の場面ながら、ひとつの時間の流れが想像できます。

母親の身体と交錯するように、子どもの身体が配置され、二人の緊密な関係が画面に構成されています。また模様のはっきりした衣服の母親と、ほとんど裸身の子どもの対比が見事なまでに立体感を出しているように思います。足を洗う水音だけが画面から聞こえてくる、そのような静謐な雰囲気が感じられます。

カサットは一生涯独身で子どもを産むことはなかったのですが、女性が本来もっていると思われる母性からか、絵のテーマに母と子を選ぶことが多くなり、母と子を題材にした代表作が数多くあります。この作品は、その中でも最も有名な傑作として知られています。

                         ◇◇◇

マネのモデルから、印象派の画家として主要なメンバーとなり、光の変化と日常の情景を画面に捉えようとしたモネやルノワールと、最後まで一緒だったベルト・モリゾ。マネの弟子として、印象派グループと行動を共にしながら、絵のスタイルは忠実にマネを踏襲し、若くして亡くなったエヴァ・ゴンザレス。そしてドガに導かれて、印象派に途中から参画したアメリカ出身のメアリー・カサット。3人3様の印象派女性画家としての生涯でした。

カサットはその中で、印象主義的な技法にいったんは染まりながら、独自の画境に行き着いた画家といえるような感じがします。もちろん、印象派の画風とは終始一線を画したドガの影響は見逃せませんが、ドガの影響をも最終的には乗り越えているように思います。

とくに後半生期に追究した母と子のテーマ、斬新な構成と伝統の再生。そして到達した画境は、自らの経験にない、母と子の絆、心のつながり、命の絆を視覚化することでした。多くの作品で、さまざまに表現された“母と子”が、そのことを証明しています。これからも多くの人びとに永く愛される、母子像のかずかずだと思います。





メアリー・スティーヴンソン・カサット(Mary Stevenson Cassatt)は、1844年にアメリカ・ペンシルべニア州の現在のピッツバーグに、富裕な家庭に生まれています。17歳になると美術学校に通い、親の反対にもめげずに、プロの画家になることを目指します。1866年、22歳の時にパリに渡り、本格的に修業をはじめましたが、普仏戦争のために1870年帰国、しかしその翌年には再びヨーロッパに渡り、各地の美術館で名作、名品に触れます。1872年にパリに戻り、カミーユ・ピサロのもとで学び、サロンにも挑戦します。あるときエドガー・ドガの作品に衝撃的な感動を受け、1874年にドガと直接対面した後は親しく交流し、お互いに影響しあう関係になります。1879年の第4回印象派展覧会に、11点の作品を出品、以降第5回、6回、そして1886年の最後の第8回印象派展にも参加します。その間、母親や姉妹の病気のために、印象派のメンバーとは疎遠になり、絵の制作も中断しますが、ドガやベルト・モリゾらとは、交流を保っていたそうです。1890年にエコール・デ・ボザールで開催された、日本の浮世絵版画展に大いに刺激され、翌年にオリジナルの多色版画の連作を発表します。それを境に独自の制作姿勢を示し、とくに母子をテーマに、情景、構成、筆致に新境地を開くことになります。またアメリカの若い画家たちの相談相手や、美術コレクターたちのアドバイザーになり、印象主義の絵を広くアメリカに紹介したそうです。1904年にフランス政府より、レジオン・ドヌール勲章を受けます。1914年には、白内障のために絵を描くことを断念します。そして1926年パリ近くの町で、息を引き取ります。享年82歳でした。




カテゴリ:印象派 | 07:55 | comments(0) | -
スポンサーサイト
カテゴリ:- | 07:55 | - | -
コメント
コメントする