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ヨハネス・フェルメールの「真珠の耳飾りの少女」
 
今回は皆さんよくご存じの、ヨハネス・フェルメールの「真珠の耳飾りの少女」です。フェルメールのファンは大勢いますが、多くの方がこの作品を、一番好きな作品に挙げているようです。





ヨハネス・フェルメール作 「真珠の耳飾りの少女」1665頃/ハーグ・マウリッツハイス美術館



真っ黒な背景から、少女が浮かびあがり、上部はターバンの青の帯、下部は白い襟を介した黄土色の上着、柔らかい光を浴びた少女の顔は、若々しい色つやに満ちています。半開きの唇と、意識的にこちらに向けた両眼は、観るものに何かを問いかけるような、一瞬の表情をみせています。唇と両眼、そして耳飾りの真珠には、鈍い光沢とともに巧みな光の点描がみられます。それらが、生々しい現実感をこの少女に与えています。フェルメールの計算された演出と技法が際立った傑作といえます。

現代の画家たちは、作品を誰かに依頼されることなく、自らの意志で制作、創造していますが、近代以前は、教会や王侯・貴族、大金持ちたちが、宗教画や歴史画、肖像画を画家に注文していました。画家は、できるだけ注文主の意向に添うように作品を仕上げます。芸術家であるよりも職人である必要があったのです。とくに肖像画では、注文主の要望が強く反映されます。

「青いターバンの少女」とも称される、この「真珠の耳飾りの少女」は、画家の娘を描いたという説もありますが、確証はありません。誰かの肖像画という証左もないようです。17世紀半ば、バロック美術の時代に、このような少女像が描かれることは、たいへん稀なことです。フェルメールの美へのあくなき追究心が、このような作品を生みだしたものと思われます。フェルメールは、自らの美意識に従って絵を描く、近代的な意味での芸術家といっていいでしょう。

1506年頃に描かれた、天才レオナルド・ダ・ヴィンチの「モナ・リザ」は、はじめはフランチェスコ・ダ・ジョコンド夫人の肖像画でしたが、レオナルドは生涯この絵を注文主に渡すことなく、永遠の美を追究した、未完成の作品ともいわれています。現代に至っても、“モナ・リザの微笑み”は、多くの人を魅了し続けています。この「真珠の耳飾りの少女」も、北欧のモナ・リザといわれるように、美しい一少女の肖像を超えた、永遠の魅力を備え持っているように思います。




フェルメールの確認できている作品は、30数点あるとされていますが、この「真珠の耳飾りの少女」と同じような上半身少女像が、もう一点あります。ニューヨーク・メトロポリタン美術館にある「少女」です。



ヨハネス・フェルメール作 「少女」1666〜67/ニューヨーク・メトロポリタン美術館



「真珠の耳飾りの少女」と同様に、黒い背景から少女の上半身が浮かびあがっています。身体は画面に直角、顔はこちらを向いているのもほぼ同じ設定ですが、前作では、不安な様子でこちらに顔を向けているのに対して、しっかりと、口を一文字に結んでこちら側を優しい眼差しでみています。可愛らしく、魅力的な少女像ですが、地味な印象です。

この少女については、フェルメールの長女という説があります。長女だとすると、この少女の年齢は12歳から14歳位の年齢になり、少し若いかもしれませんが、額が広く、眼窩の浅い、特徴のある顔ですので、特定のモデルがいたに違いありません。

前作が、動きのなかの一瞬の美を描いたのに対し、この作品は、穏やかでゆったりとした静の美を追究したように思えます。しばらく観賞しているうちに、その穏やかな表情に徐々に引き込まれていくようです。飽かずに眺められる作品です。人気や知名度、一般的評価は、前作には及びませんが、柔らかで癒されるような、不思議な魅力をもっています。







ヨハネス・フェルメール(Johannes Vermeer)は、1632年にオランダのデルフトに生まれています。父親は、絹織物職人で、居酒屋兼宿屋、画商も営んでいたようです。1642年に父親が宿屋の「メーヘレン」を購入し、そこに移り住みます。1653年に20歳で結婚、同時にプロテスタントからカソリックに改宗。画家のギルドである聖ルカ組合に加入し、画家として活動しています。翌年には、長女が生まれ、生涯に14人の子どもに恵まれたようです。1662年と1670年に、聖ルカ組合の理事に選出され、画家として評価されていたことをうかがわせます。風俗画家として活躍しますが、寓意画、歴史画、神話画、風景画など幅広く手がけました。1675年に、生活困窮のなかデルフトにて死去します。享年43歳でした。

生前から画家しての評価が高かったフェルメールですが、死後急速にその名を忘れ去られます。再び脚光を浴び始めたのは、19世紀になってからでした。当時は70点以上の作品が、フェルメール作とされていましたが、調査が進むにつれて別人の作が多くあり、現在確認されているフェルメールの作品は、36点とも37点ともいわれています。またオランダの画家、ハン・ファン・メーヘレンによる贋作事件が知られています。ナチス・ドイツに、オランダの国宝ともいうべきフェルメールの絵を売ったということで、戦後に告発されましたが、メーヘレンは自分が描いた贋作であることを告白して話題を呼びました。さらにメーヘレンによる多数の贋作が、すでに売買されていることが判明し、スキャンダラスな事件になったのでした。またフェルメール作品の盗難事件も多く、「恋文」「ギターを弾く女」「手紙を書く女と召使」「合奏」などが受難の作品として知られています。





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