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ジャン=オーギュスト=ドミニク・アングルの「パフォスのヴィーナス」
 今回は、19世紀フランス新古典派の巨匠ジャン=オーギュスト=ドミニク・アングルの「パフォスのヴィーナス」です。



ジャン=オーギュスト=ドミニク・アングル作 「パフォスのヴィーナス」1852頃/パリ・オルセー美術館


この作品は、19世紀前半に新古典派をダヴィッドから引き継ぎ、ドラクロアのロマン主義絵画に対抗し、大いに新古典主義絵画を盛り上げたアングルが、72歳頃に描かれ86歳で亡くなるまで手元に持ち続けた作品として知られています。同じ様に画家が死ぬまで手元において大切にしていた作品に、レオナルド・ダ・ヴィンチの「モナ・リザ」やラファエロ・サンティの「ラ・フォルナリーナ」があります。アングルのこの作品にも、彼らのような大きな思い入れがあったのでしょうか。

この裸婦像は、海の泡から生まれ、キプロス島のパフォスに流れ着いた美の女神ヴィーナス(アフロディーテ)として描かれています。果物に触れている愛の神キューピッドや、左上に白いパフォスの神殿を描き加え神話画としての体裁を整えています。ボッティチェルリの「ヴィーナスの誕生」は、大きな帆立て貝に乗って、パフォスの海岸に今まさに漂着した場面ですが、この「パフォスのヴィーナス」は、上陸した後のヴィーナスなのでしょう。

19世紀の最も偉大な画家のひとりであるアングルの作品にしては、不完全で微妙な表現が見られます。キューピッドがおぼろげで不明瞭です。左腕もしっかり描かれていないばかりか、長過ぎるように思います。右腕の手首と肘の間に、薄く透けている手の跡が見えます。そして最も不思議なのは、左上半身が大きく前方に盛り上がり、不自然です。顔や背景の植物を除くと、アンバランスな身体であったり、未完成な箇所が目立ちます。

この作品は、絶世の美女といわれたアントニー・バレイ夫人という貴婦人の肖像画でしたが、完成前に夫人がパリを離れ、中断された絵をヴィーナス像に描き直した作品といわれています。アングルが長らく未公開のまま手元に置いていたり、美しいバレイ夫人の顔をそのまま残したのは、夫人へのひそかな想いがあったのでは、ともいわれています。

アングルの描くヴィーナス、すなわち理想の美人像は、黒い瞳と濃い茶の髪で、夫人ほど面長な顔立ちではありません。たとえば「泉」に描かれたヴィーナス像がそれです。この作品も長期間にわたって、手を入れながら完成に至った、アングルの入魂に傑作です。



ジャン=オーギュスト=ドミニク・アングル作 「泉」1820-56/パリ・オルセー美術館


アングルは、ローマ賞を得てイタリア留学をしますが、1806年から18年間ローマ、フィレンツェに滞在して、古代ローマの古典からラファエロやミケランジェロなどルネサンスの巨匠を研究して、1824年に帰国します。アングルの代表作であり、新古典主義の裸婦像を代表するこの作品は、1820年にフィレンツェで制作が開始され、36年後の1856年、アングルが死ぬ2年前に完成させています。

均整のとれたポーズは、古典的で破たんがなく、滑らかな大理石の彫刻のような裸婦像です。にもかかわらず裸の少女は、生身の人間としての印象も観るものに与えています。この不思議な調和は、水瓶から流れ落ちる水が、音を立てずに緩やかに落下するのを目にすることで、さらに強調されているように思います。身体の理想化による硬直した印象を避けて、みずみずしい女性像を、アングルは表現したかったように思います。アングルが考える古典主義的な裸婦像のひとつの結論なのでしょう。

                  ◇      ◇      ◇

一方「パフォスのヴィーナス」においては、古典的、理想的ではなく個性的で魅力的なヴィーナスを追究したのではないでしょうか。若いころにアングルは、ロマン主義的な題材の「横たわるオダリスク」(1814年、パリ・ルーヴル美術館)を制作しています。人体像は厳密な均整にとらわれず、妖しげで魅惑的な背中の表現を優先させています。「パフォスのヴィーナス」もまた、バレイ夫人の魅力の表現を、古典的な規範にとらわれずに試行錯誤したのではと思われます。とくに上半身の不思議な描き方に、その一端が観られます。

19世紀は写真技術の発展が著しい時代でした。とくに写実の優位性は際立ったものがあり、画家は肖像画の受注が激減したそうです。風景や裸体表現においても新しい価値観をもたらしました。しかしアングルは、写真の正確で写実の力は認めつつも、自らの美意識にしたがって表現するという、若いころに踏み入った方向に再び立ち戻り、新たな絵画の価値を追究したと思います。その姿勢や野心的な作品が、19世紀末から20世紀にかけての現代絵画に、大きい影響を与えています。



ジャン=オーギュスト=ドミニク・アングル(Jean-Auguste-Dominique Ingres)は、1780年に、フランス南西部のムースティエという小さな町で、美術装飾の職人を父に生まれ、1867年にパリで亡くなっています。享年86歳でした。幼少時より絵画を学び、12歳でトゥールーズのアカデミーに入学、1797年にパリに出て新古典主義の巨匠ジャック=ルイ・ダヴィッドのアトリエに入門します。1801年にローマ賞を受賞し、5年後にローマに留学、とくにラファエロから大きい影響を受けます。1820年にはフィレンツェに移り、滞在中も母国のサロンに出品しています。「浴女」や「横たわるオダリスク」などがあります。1824年にフランスに帰国。レジオン・ドヌール勲章を受賞し、アカデミー会員に推挙され、ダヴィッド失脚後の新古典主義のリーダーとして活躍します。1835年から1841年にかけて再びイタリアに滞在しますが、帰国後はフランス最高の画家として美術界の要職を歴任します。若い画家たちを指導するとともに、80歳を過ぎても創作意欲が衰えず、「泉」「トルコ風呂」などの傑作を数多く制作します。





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