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点描画の天才スーラ

ジョルジュ・スーラ作 「アニエールの水浴」1883-4/ロンドン・ナショナルギャラリー



パリ近郊のセーヌ川で水浴をする人びとを描いています。

明るい夏の日の光のなかで、のんびりと水浴びや日光浴を楽しんでいる光景です。

画面の上三分の一が空、下三分の二は陸地と川面が斜めにそれぞれ半分に分割され、全体にしっかりとした構図で構成されています。

鮮やかな色彩で明るい外光と透明な空気が、印象派的な筆致で表現されていますが、まだいわゆるスーラの《点描画法》で描かれてはいません。

人物に動きがないせいか、不思議な静けさが画面全体を支配しています。

この作品はスーラの最初の大作ですが、サロンに落選しアンデパンダン展に出品されたものだそうです。

次の大作「グランド・ジャット島の日曜日の午後」で、スーラは《点描画法》を完成させます。





ジョルジュ・スーラ作 「グランド・ジャット島の日曜日の午後」1884-6/シカゴ・アート・インスティテュート



この作品はスーラの最高傑作といわれています。

縦2メートル、横3メートルの大画面をすべて微細な色の点で描いています。

セーヌ川の河畔で日の光を受けながら、日曜日の午後を人びとがゆったりと楽しんでいる光景ですが、「アニエールの水浴」に比べて構図はより複雑になっています。

近景から遠景にわたって登場する人物が多くなり、画面手前の大胆な木陰と画面奥の明るい日差しの河畔との対比、大小のパラソルのリズミカルな配置、小動物たちの遊ぶ様子など、いっそう深みのある画面になっています。

作者の気迫が伝わってくるような力作です。

スーラはたびたびグランド・ジャット島に出かけて、いくつもの人物像をスケッチして持ち帰り、アトリエであらためて造形しなおし構成したそうです。

色彩理論を応用して完成させた《点描画法》によるこの大作が、第8回印象派展(最後の印象派展)とアンデパンダン展に出品されると評判の話題作となったのです。

この絵を発端にある批評家が評した《新印象主義》が、新印象派グループの形成を促し、その新印象派たちの活動が後の芸術運動に大いに影響を与えたのです。

一般市民の日常生活の見慣れた一場面を、スーラは堂々とした絵画、芸術に仕上げました。

そして120年を経た現在では、歴史的名作のひとつとして多くの人に愛されています。






ジョルジュ・スーラ作 「サーカス」1891/パリ・オルセー美術館



この作品はスーラの生涯最後の作品です。未完成の作品です。

前の二つの作品に比べて動きのあるモチーフを多く配置しています。にもかかわらずバランスを重視するスーラは、動きの躍動感を落ち着きのある構図の中に組み込んでいます。

会場の賑やかなざわめき中で、演技するさまざまな演技者たちの熱気が伝わってきます。

仕上げにはまだいくつかの色彩による点描を施す必要があるのかもしれませんが、作品としての完成度は高いものを感じます。

作品としての最終仕上げを果たさないまま、作者は過労から風邪をこじらせて31歳の若さで亡くなったそうです。








《スーラの生涯》
1859年パリの裕福な中産階級の家に生まれる。
1878年エコール・デ・ボザールに入学。
1884年最初の大作「アニエールの水浴」をサロンに出すが落選、アンデパンダン展に出品。
1886年最大の大作「グランド・ジャット島の日曜日の午後」を第8回印象派展に出 品。話題となり《新印象派》の名称をつけられる。
1891年死去。(享年31歳)

カテゴリ:印象派 | 23:42 | comments(0) | -
無意識の天才ルソー

アンリ・ルソー作 「私自身 肖像=風景」1890/プラハ・国立美術館


1889年のパリ万国博覧会の翌年に仕上がったこの作品には、セーヌ川にかかる橋と万国旗でしょうか満艦飾の船が、また遠くには完成したばかりのエッフェル塔、空には気球が描かれています。

そして中央には画家自身が堂々と誇らしげに配置されています。

まだ税関吏の仕事をしながらの日曜画家ルソーですが、画家としての自信のほどをさし示すかのように、黒スーツにベレー帽をかぶり、筆とパレットを持った威厳ある姿で立っています。

このほほえましく明るい素朴な絵は、3年後に税関吏を辞職し画業に専念するルソーの決意表明のように思われます。





アンリ・ルソー作 「眠るジプシー女」1897/ニューヨーク・近代美術館


夜の砂漠に眠るジプシー女性、満月とライオン、異国情緒あふれた幻想的な絵です。

なぜライオンが女性に迫っているのか、楽器と壷になにか意味はあるのか。

それにしても女性の着衣と敷物の縞柄の鮮やかな色彩のうねり・・・。

不思議な印象を残す忘れがたい作品です。





アンリ・ルソー作 「蛇つかいの女」1907/パリ・オルセー美術館


熱帯の密林のなかで蛇つかいの女が、満月の逆光に裸体を思わせるシルエットで表現されています。身体に蛇を巻きつけ、妖しく横笛を吹いています。

そして眼だけは白く鋭く、画面のこちら側から観るものを凝視しています。

なんとも神秘的で幻想的なムードに驚かされます。

ほほえましく明るいそして稚拙ともいえる素朴な画風から、幻想的で詩的なルソー独特の世界を構築するに至ったといっていいでしょう。





アンリ・ルソー作 「夢」1910/ニューヨーク・近代美術館


ルソーの最後の大作です。最高傑作とも言われています。

熱帯の原始林のなか、丸い月の薄明かりに照らされて、蛇つかいの女が吹く笛の音色が妖しく響き渡る、幻想的な世界に唐突に裸の女性がソファーに横たわって登場しています。

タイトルに「夢」とあるように、この裸の女性の夢の世界が画面いっぱいに描かれているということでしょう。

1910年のアンデパンダン展に出品されたこの作品は、詩人アポリネールのこの絵にまつわる詩がそえられ、多くの批評家から賞賛を受けました。

しかしながら画家としての栄光に包まれつつ、ルソーはその年の9月に病死します。






《ルソーの生涯》
1844年仏ブルターニュ地方に生まれる。
1880年頃パリで税関吏として働きながら絵を描き始める。
1886年からアンデパンダン展に出品。以後欠かさず出品。
1893年税関吏を退職し画業に専念する。
1905年サロン・ドートーヌに出品。
このころからピカソやアポリネールら多くの画家、文人たちの評価を受ける。
1910年死去。(享年66歳)



カテゴリ:印象派 | 00:47 | comments(0) | -
色彩の魔術師ピサロ

カミーユ・ピサロ作 「小枝をもつ少女」1881/パリ・オルセー美術館


ピサロは印象派画家たちの中心的存在でした。
8回開催された印象派展に欠かさず出展した唯一人の画家です。

この「小枝をもつ少女」は第7回に出品された作品です。
この時期、それまで風景画が多かったピサロが農村の人びとを数多く描いています。
中でもこの作品はもっとも存在感のある傑作ではないでしょうか。

自然を光輝く色彩で緻密に描き上げるピサロ独特の印象派的な技法が、人物に対しても丁寧に適用されています。

少女は、農村の日常生活ののどやかな時間と暖かい空間に包み込まれ、うっとりと幸せな気持ちで満たされているかのようです。

観るものもほのぼのと幸せな気分になってきます。





カミーユ・ピサロ作 「耕作地にいる女」1887/パリ・オルセー美術館


印象派展も最後の展示会の第8回ではそれまでのメンバーから、ピサロやモリゾー、ドガらを除いて他は新しいメンバーに入れ替わります。

ゴーギャン、スーラ、シニャック、ルドンたちがそのメンバーです。後期印象派、新印象派、象徴派と呼ばれる新しい運動の画家たちです。

この頃にはピサロも、色彩を分割して描くことで明るい画面を獲得した印象派の技法を、さらに進化させた新印象派の理論による新しい技法を模索することになったのです。

スーラやシニャックたちは色彩学の理論に基づいて、点描画法を完成させましたが、ピサロもまた彼らしい方法で「耕作地にいる女」を描いています。

昼下がりの太陽の光が、緑の畑に木々の影を映し、野良仕事の女性を照らしています。さらに明るく青い空と、レンガ色のの家々がモザイク画のように構成され、午後の一瞬の時間を止めたような透明感、静寂感が漂います。

しかしここで見るピサロの絵の本質は、画面全体のほのぼのとした暖かい空気、そして家々や野良着の女性から感じられる人びとの日常の生活感ではないでしょうか。

1890年代からピサロは原点に立ち戻り、印象派の巨匠として数多くの風景画、人物画、静物画を数多く残しています。





カミーユ・ピサロ作 「立ち話」1881頃/東京・国立西洋美術館


この「立ち話」も一番最初の作品「小枝をもつ少女」と同じく第7回印象派展に出品されたものです。

東京の国立西洋美術館に常設展示されていますから、ご覧になった方も多いと思います。

斜めの木柵をはさんで立つふたりの農家の女性が、夕暮れでしょうか日中の仕事を終えた時刻に、世間話に興じている様が描かれています。

人物は見事に周囲の自然と同化しています。
毎日の日常的なひとときが画家の温かい眼で映し出されています。

風景画にしても人物画にしてもピサロのこの温かい眼を感じざるを得ません。






《ピサロの生涯》
1830年カリブ海のデンマーク領サン・トマ島に生まれる。
1855年渡仏し本格的に画家の修業を始める。
1864年サロン入選。その後モネ、ルノアール、マネ、シスレーらと親交。
1874年第一回印象派展に出品。以後8回の印象派展に唯一人出品続ける。
この間、ゴーギャン、セザンヌと親交。
1885年よりスーラ、シニャックら新印象派と親交。
1903年死去。(享年73歳)
カテゴリ:印象派 | 01:08 | comments(0) | -
風景の抒情詩人シスレー

アルフレッド・シスレー作 「サン・ドニの島」1872/パリ・オルセー美術館


シスレーは印象派の代表的な画家として、空と水そして自然の木々を描きわけた風景画を数多く残しています。

この「サン・ドニの島」も、画面の上部3分の2を占める空が明るい色彩で描かれ、川の水面と点在する緑の木々、建物が心地よく配置された美しい風景画です。

水平線が下方に配した伝統的なバランスの風景画ですが、鮮やかな色彩による光と空気の表現が印象派らしい作品に仕上がっています。

オルセー美術館では、この作品の右横にピサロ、そしてその横にモネの風景画とぴったりと3作品が横一列に並べられ、ひとつの枠に展示されています。

印象派を代表する3人の画家の同じ時期の風景画を、詳しく見比べることができるようになっています。





アルフレッド・シスレー作 「ポール・マルリーの洪水」1876/パリ・オルセー美術館


この作品はシスレーの代表作として知られています。

パリ近郊の村ポール・マルリーの洪水の様子を描いていますが、当時のセーヌ川は治水が完全ではなかったのでしょう。広い地域が冠水しているのが分かります。

灰色の低い雲で覆われた空、セーヌ川の水があふれたてできた広範な水面、人びとの生活の拠点である商家、人と舟、そしてわずかな木々などが絶妙なバランスで描かれています。

タイトルを見るまでは、ヴェネチアのような水の街の一風景と誤解していました。安定した構図とやさしい色使いが、自然災害に遭遇したという悲惨さを感じさせない印象を与えたのだと思います。

画家は、突然の大きな自然現象とそれに包み込まれるようなささやかな人間の営みを、あるがままの風景として描き出したのでしょう。






アルフレッド・シスレー作 「サブロンの森のはずれ」1883/パリ・オルセー美術館


晴れた秋の日の午後、木々の影が草原に長く伸びています。空は青々としていて日暮れにはまだ時間がかかりそうです。

木々の葉や草は茶色く色づき、秋の到来を思わせますが、植物の生命力はまだまだ衰えることなく強い息吹を感じさせます。

画面の中央に小さく二人の人物が、向かい合って話しをしているのを見ることができます。

前の二つの作品にも、中央部近くに小さく何人かの人物を見出すことができます。シスレーの作品には自然の風景の中に、必ずといっていいほど小さく人物が描き入れられています。

ここでも主人公は自然の風景でありながら、その中にささやかな人物の存在を忘れてはいないのです。

人びとの話し合う言葉が風にのって仄かに聞こえてきそうな、懐かしく親しみのある風景がシスレーの描く風景画の真価ではないでしょうか。









《シスレーの生涯》
1839年パリに生まれる。国籍はイギリス。
1862年画家を志す。モネやルノアールらと知り合う。
1874年第一回印象派展に出品。
イギリス、フランスの各地、とくにセーヌ河畔を転々として風景画を残す。
1899年死去。(享年59歳)
カテゴリ:印象派 | 23:03 | comments(0) | -
印象派の先導者マネ

エドゥアール・マネ作 「草上の昼食」1863/パリ・オルセー美術館


1863年のサロンに落選して落選展に展示された作品です。

140年以上昔の作品ですが、オルセー美術館で実際に目の当たりにしても、裸の婦人がなにか生々しく異様な感じがします。

当時のひとびとの衝撃がなんとなく分かります。

作者の目的はアカデミックな審美観に対する挑戦なのでしょう。古典的なテーマを意図的に、当時の実生活の場面として再構成しています。



ティツィアーノ作 「田園の奏楽」1511頃


たとえばティツィアーノの「田園の奏楽」を念頭に「草上の昼食」を描いたといわれています。

古典的な神話上の裸婦に対して、現代風俗に当てはめた裸婦を描くことによって、より現実性を強調したのではないでしょうか。

そのような現実描写がマネ芸術の本質のひとつなのでしょう。





エドゥアール・マネ作 「オランピア」1863/パリ・オルセー美術館



「オランピア」は1865年にサロンに出品された作品ですが、「草上の昼食」を上回る物議をかもしたようです。

この作品以前にも裸婦像の傑作は数知れず、なにが悪かったのでしょうか。

裸婦がそれまでのように女神やニンフではなく、タイトルの「オランピア」が示すように、当時の娼婦像が描かれていたからといわれています。

そのこと自体が、芸術を冒涜する不道徳なものと批判されたのです。

画面の右端にまるで観るものを挑発するかのように、黒ネコが尾っぽを立ててこちらを凝視しているのが判るでしょうか。




ティツィアーノ作 「ウルビーノのヴィーナス」1538


この「ウルビーノのヴィーナス」が「オランピア」の下敷きになっているといわれている作品です。

素直に観察すれば、その身体の丸み、肌の色、そしてこちらを見る眼差しを比べれば「ウルビーノのヴィーナス」のほうがエロティックでさえあります。

にもかかわらず「オランピア」が不道徳と批判を受けたのは、単に娼婦を題材にしたことばかりではなく、マネの挑戦的な姿勢とそのリアルな表現が、その批判を決定的なものにしたのでしょう。

このようにしてマネは芸術における表現の自由を自ら実践し、当時の一部の若い芸術家たちのリーダーとなっていったのです。

その若者たちが印象派と呼ばれ、近代絵画の潮流を形成していったのです。





エドゥアール・マネ作 「笛吹く少年」1866/パリ・オルセー美術館



「笛吹く少年」は美術の教科書でなじみ深い作品のひとつです。

まさにタイトルのように楽隊の制服を着用した笛を吹く少年が、まるで写真館での記念撮影のようにポーズしておさまっています。

背景は省略されて、笛を吹く少年の輪郭がくっきりと鮮明に表現されています。

ズボンの赤と上着の黒、そして肩帯の白が大胆に配色され、印象深い人物像となっています。

スペイン画家ベラスケスや日本の浮世絵の影響がいわれていますが、マネ独特の表現形式として完成した珠玉の作品といってよいでしょう。






《マネの生涯》
1832年パリに高級官僚の子として生まれる。
1850年画家として修業を始める。
1861年サロンに初入選する。
1863年落選展へ出品した「草上の昼食」が不道徳として評判となる。
1865年サロンに展示された「オランピア」がさらに大きな物議をかもす。
1860年代後半から印象派グループの中心的存在となる。しかしながら印象派展への出品は拒み続けた。
1874年イタリア・ヴェネッチアを訪れる。
1883年死去。(享年51歳)
カテゴリ:印象派 | 23:47 | comments(0) | -
踊り子の画家ドガ

エドガー・ドガ作 「舞台の踊り子」1878頃/パリ・オルセー美術館


1874年の第一回印象派展に出品して以来、ほとんどの印象派展にドガは参加していました。

しかしながらモネを中心にした印象派の画家たちが外光を取材したのに対し、ドガは古典主義的な人物像の描き方を追究していました。

この美しい絵では、舞台上で舞う踊り子がフットライトを浴びて、生き生きと描かれています。

なにか今日の映画のワンシーンかのように、上からのカメラアングルを思わせます。ドガの他の作品も多くは斬新で現代的な視点や、一瞬の動作や表情の描写を大胆な構図で表現されています。

とくに踊り子のしなやかな肢体と軽やかな動き、そして体全体から発光しているかのような踊り子の華やかさに魅了されます。

そこにはドガ独特の美の世界が繰り広げられています。





エドガー・ドガ作 「アイロンをかける女たち」1884頃/パリ・オルセー美術館


ドガはまた当時の現代生活を描くことに熱心な画家でした。

この絵はアイロンがけの仕事をする女たちを描いてますが、左の女性はワインのビンを持ち、眠気のせいでしょうかアクビをしています。

斜めに切り取られた作業台の左手前のアクビの女性と、右奥の力を入れて仕事に精を出す女性を対比させています。

単にアイロンがけをする女を描くだけでなく、その人たちの生活ぶりまで想像されるような描き方です。

ドガが描く庶民の日常の真実のすがたに、ほのぼのとした親しみを覚えます。






エドガー・ドガ作 「浴盤」1886/パリ・オルセー美術館


裸婦像は、古代から現代にいたるまで多くの芸術家たちにとって、大切なテーマのひとつとして創造活動の対象となっています。

ドガにとってこの絵の裸婦像は、古典主義の画家たちが描く浴女たちと同じく、美しい女性の姿態を現代的な場面で捉えたものといって良いでしょう。

ドガは神話世界のニンフを、パリの庶民の湯浴みの女として描いています。

女性のしゃがんで髪を洗うポーズや大胆な構図、こまごまとした小道具に、ドガの真実追究の姿勢が読み取れます。

オルセー美術館の展示室では、パステル画の劣化を防ぐために薄明かりのライトで展示されています。

そのせいもあって、当時のほの暗い部屋での湯浴みの様子を覗き見するような迫力があります。






《ドガの生涯》
1834年パリに銀行家の息子として生まれる。
1855年エコール・デ・ボザールに学ぶ。
1856年イタリアで古典芸術を研究。
1865年サロンに入選。
1874年第一回印象派展に出品。
1880年代には視力が衰え、パステル画や彫刻を主に創作活動を行う。
1917年パリで死去。(享年83歳)
カテゴリ:印象派 | 22:18 | comments(0) | -
近代絵画の父セザンヌ

ポール・セザンヌ作 「りんごとオレンジ」1850-1890/パリ・オルセー美術館


セザンヌは偉大な画家のひとりとして、世界中のひとに認められています。近代においてもっとも影響力のある芸術家とも称されています。

しかしゴッホやモネ、ルノアールの絵と異なりその魅力が、私にとってはすぐに理解することができませんでした。

ところがオルセー美術館のおいて、この「りんごとオレンジ」に相対したとき、複製画でよく目にしていたときとはまったく違う感覚にとらわれたのです。

たくさんのりんごとオレンジが、白い布地と模様の布地の上や、白い皿あるいは果実入れに不規則におかれている絵なのですが、何か全体が生き生きと輝いて見えるのです。

白地に鮮やかな赤、オレンジ、黄、緑の色の対比のせいばかりではないような気がします。

白い布のずれ落ちそうな様子、皿や果物入れの不自然な傾きやゆがみ、そしてなによりも丸い果物それぞれの光のあたり具合が異なり、今にもこぼれ落ちそうに描かれていたりする・・・そのような不安定な、動きのあるバランスを組み入れた構成にもよるのではないでしょうか。

それらが見るものに動的な感覚を呼び起こしているようにと思います。

それにしてもなんという生き生きした輝きであり迫力でしょう。

セザンヌ以前の静物画とは印象がまったく異種の感動があります。





ポール・セザンヌ作 「松に木のあるサント・ヴィクトワール山」1887/パリ・オルセー美術館


素直に美しい風景画ではないでしょうか。古典的な構図と色鮮やかな色彩、とくに緑と青が自然の爽やかな空気を感じさせます。

近景の松の枝葉は柔らかく円を描くように、中景の田園は単純化された方形の緑と黄土で表現され、わずかに水道橋が具体的に描かれています。

遠景のサント・ヴィクトワール山は、地面からうねり盛り上がる山の勢いを感じさせます。

セザンヌは1880年代半ばから晩年にかけて、サント・ヴィクトワール山をさまざまな表現方法で描いています。

中には実体としての山を、必要最小限の色と形で表現する試みをしているのがあります。見るものの想像力が極度に試されているものもあります。

この絵についていえば見るものを選ばない、誰もが美しいと感ずる作品ではないでしょうか。




ポール・セザンヌ作 「カード遊びをする二人の男たち」1890-1895/パリ・オルセー美術館



さてこの二人がカードに興じている様子は見たとおりです。

しかしながらどちらがゲームに勝っているのか、単に暇つぶしでやっているのか、カードを楽しんでいるのか伝わってはきません。

静かに向き合ってセザンヌのためにポーズをとっているかのようです。実際そうなのでしょうが。

左側が下がっているようにみえます。テーブルの下の二人の脚のつながりが不自然です。
左の男性の帽子が小さくて頭の大きさと合っていません。二人は正面を向き合っているようにも、ずれて向き合っているようにも見えます。

二人の男性の体はしっかりと形をなしていて、左右にシンメトリカルに配置されているにもかかわらず、それらのデフォルメによって柔らかなとでもいおうか、緩やかな動きが感じられます。

不思議な絵です。




《セザンヌの生涯》
1839年裕福な銀行家の息子としてエクス・アン・プロヴァンスに生まれる。
1862年画家を志してパリに出る。
1874年第一回印象派展に出品。
1882年サロンに入選。
1886年父の死により故郷エクス・アン・プロヴァンスに帰る。
1906年死去。(享年67歳)
カテゴリ:印象派 | 17:11 | comments(0) | -
女性の画家ルノアール

ピエール・オーギュスト・ルノアール作 「ムーラン・ド・ラ・ギャレット」1874 /パリ・オルセー美術館


モンマルトルの丘のダンス場に、休日でしょうか、大勢の男女がダンスに興じている様子が描かれています。

まだ日差しが強く木陰から陽の光が洩れています。音楽や人びとのおしゃべりが聞こえてきそうな情景です。

ここで印象派の画家ルノアールは、人びとの楽しげな賑わいを「自然の光と影」の中で描ききろうとしています。

画家の企てはじゅうぶんに達成されていると思いますが、どうでしょう。

自然の風景を明るい光の反射として描こうとした印象派画家たちの中にあって、ルノアールは人物とくに女性たちの肢体や肌の色、まなざしを描くことに熱心でした。

二人の女性たちを画面の中心に置き、念入りに描いているのがよくわかります。

ルノアールの代表作のひとつのこの絵でも、終生描き続けることになる女性たちが、やはり主役をつとめていました。





ピエール・オーギュスト・ルノアール作 「ピアノをひく少女たち」1892 /パリ・オルセー美術館


1880年代になりルノアールは、アルジェリアやイタリア旅行を機に次第に印象主義的な画風から遠ざかり始めます。

人物の輪郭がはっきりするようになり、平面的に塗られた薄めの色合いで画面を構成するようになってきました。主題にしても古典主義への回帰を試みる時期が訪れます。

そのためか一時期は、明るく表現された自然光がなくなり、画面の下地あるいは人物の肌がうっすらとした淡い色調が目立ちました。

1890年代のこの絵はその時期を脱して、ルノアール本来の明るく輝くような色調が画面いっぱいに満ちています。

この絵では画面のすみずみまで光が当たっているようですが、それは自然光ではなく画家が下地から導き出した光です。

少女たちがピアノに向かっているこの情景は、全体にいきわたる色鮮やかな明るいトーンによって二人の少女がどんなにこのひとときを心楽しく過ごしているか、見るものに伝えてくれます。

この頃になると、立体的な表現がますます目立つようになります。とくに人物の肢体表現は実在感が増してきます。

明るい豊な色調とともに、このふくよかな表現がこれ以降の芸風の特徴となってきます。そしてそれらの特徴が、ルノアール芸術の到達点へとつながることになります。




ピエール・オーギュスト・ルノアール作 「浴女たち」1918 /パリ・オルセー美術館


ルノアール最晩年の作といわれるこの「浴女たち」は、まさにルノアール芸術の集大成といえます。

もちろんこの印象派の巨匠は、風景画をはじめ静物画、人物画の傑作を数多く残しています。しかし初期のころから少女や女性を描いた作品は、発表当時から多くの人びとに愛されてきました。

この作品の裸婦たちは、ルノアールの追究した末の究極の女性像といえるのではないでしょうか。

豊満な肉体は神話世界の女性の理想であり、自然の楽園の中でゆったりと横たわる浴女たちの様子は、見るものを平和と幸せに満ち溢れた世界へ誘い込みます。

赤い肉色で誇張された巨大な肉体は、ルーベンスのそれのようですが、もっとしっかりした形態描写によって彫刻のような実在感を感じさせ、肉塊の迫力に圧倒されます。

この絵の記憶は美術館で出会った後でも、強烈なイメージで眼底に残っています。女性の画家ルノアールの結論は、このような永遠の理想郷の生き生きした活写だったように思います。







《ルノアールの生涯》
1841年ルモージュに生まれる。
1844年一家がパリに移住。
1862年エコール・デ・ボザールへ入学、本格的に絵を学ぶ。
1874年第一回印象派展に出品。
1881年イタリア旅行。
1883年頃印象主義から離れ、独自の画風へ。
1890年代以降、暖かい色調と豊満な肉体表現が特徴となる。
1919年死去。(享年77歳)
カテゴリ:印象派 | 01:18 | comments(0) | -
光の巨人モネ



クロード・モネ作 「睡蓮」1916〜26  /パリ・オランジュリー美術館


2006年に再オープンしたパリ・オランジュリー美術館には、モネ芸術の集大成とも言うべき「睡蓮」が二つの楕円の展示室に、モネ自身が望んだように天井からの自然光の中で陳列されています。

ジヴェルニーの庭の池の睡蓮や柳の木そして水面が、時間の流れに応じて変化する様が大きな横長の画面で描かれています。

そしてそれらが柔らかい自然の光の中で、見る人を包むように設計されていて、モネの世界に浸りきることができます。

一目で全体を見ることが出来ない構造ですが、楕円の部屋の中を一周し細部の残像を重ねながら鑑賞し、最後に中心部で全体を大きく見渡すようにすると、自然の草木や水面が光の中で揺れ動いているかのように感じられます。

不思議な気持ちにとらわれ、一瞬我を忘れます。

上段の写真の右部分にモネの姿が浮び上がっていると、美術館の監視員が教えてくれました。

そのように見えますでしょうか。





クロード・モネ作 「ロンドン・霧の国会議事堂」1904 /パリ・オルセー美術館


霧の中で浮かび上がる国会議事堂のシルエット、その上に太陽が光を放ってはいるが霧のせいで赤い光線が全体に拡散し、テムズ川に反射しています。

濃い霧状の湿気が感じられます。光と空気と水がシンプルな構図の中で一体となっています。

英国の画家ウィリアム・ターナーを彷彿とさせる作品ですが、光の行方の精緻な描き方はモネ独特の境地ではないでしょうか。

1870年に戦争を避けるためにロンドンに滞在していますが、その4年後に有名な作品「印象・日の出」が発表されています。

それから30年を経たこの作品には、モネの一貫した光の追究に対しての結論が示されているように思います。

光は地上の事物に反射するのではなく、ことごとく空気中の細かい水滴に反射する、その中をかいくぐって黒い影の建物と赤く光を放つ川面が浮びあがっています。

印象派の巨人が現代美術の抽象画へ導く、ひとつの成果のようにも思えます。






クロード・モネ作 「日傘をさす女性」1886 /パリ・オルセー美術館




オルセー美術館にはもうひとつ右向きの「日傘をさす女性」があります。同じ時期に同じ女性をモデルにして描かれたものです。






日差しの角度も風の方向もほぼ同じです。画面の中の光は、まず空と草原の輝きとして表わされ、日傘の内側の緑色の影と人物の白いドレスの影によって強く表現されています。

2作品ともスカーフやドレスそして草が風にたなびく様が、そして空と地面を表す筆のタッチが、さらに光の暖かさと風の爽やかさを感じさせます。

優雅な若い女性が明るい光と爽やかな風を受けて草原の中でたたずんでいる、これは風景画でもなく肖像画でもない、現代のファッション画ともいえる新感覚の絵画ではないでしょうか。




これらの作品の10年前に、若くして死別した妻と子をモデルに「散歩」と題する作品がありますが、構図といい光と風の感じがよく似ています。



クロード・モネ作 「散歩」1875 /ワシントン・ナショナルギャラリー


モネにはかずかずの連作があります。「藁積」「ポプラ並木」「ルーアン大聖堂」「睡蓮」などなど。探究心の強いモネの大きな特徴のひとつです。

これらの作品が亡き妻への追慕の気持ちから生まれたのか、探究心からか知る由もありません。



いずれにしてもモネは印象派のメンバーの中でも長生きし、現役の期間も長かった人です。作品も膨大な数に上り、次代の画家達に大きな影響を与えたことでしょう。

印象派の中で次世代に大きな影響を与えた画家といえばセザンヌがあげられますが、モネもまたそのひとりとして名前をあげるべきです。

彼の探究が「光」という無機質なテーマによったところに、抽象絵画へのつながりがみえるような気がします。

しかしながらモネのいちばん偉大なところは、そのような美術史上の貢献もさることながら、今なお世界中に熱烈な愛好家が数多くいるということではないでしょうか。




《モネの生涯》
1840年パリに生まれる。
1845年一家がノルマンディーのル・アーヴルへ移住。
1860年パリに出る。
1870年普仏戦争を避けロンドンに滞在。
1874年第一回印象派展で「印象・日の出」を発表。
1890年ジヴェルニーに土地を購入。
1898年「睡蓮」の連作を始める。
1926年ジヴェルニーにて死去。(享年86歳)

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ゴッホの魔力

フィンセント・ファン・ゴッホ作 「オーヴェールの教会」1890 /パリ・オルセー美術館


この有名な絵を見るたびに、深い青の空をバックにねじれるように浮かび上がってくる教会に圧倒されます。
まるで生きているように迫ってきます。

美術館や展覧会の中でたくさんの絵を見ながら歩いていると、突然光り輝いて見える作品があります。
この絵がそのような作品のひとつです。

眼を見開かれる、近づいて見てしまう、時間を一瞬忘れてしまう、この感動がこの絵の美の本質ではないでしょうか。

晩年のゴッホが最後の2ヶ月を過ごしたオーヴェール・シュール・オワーズの村、この村の精神的中心である教会を、正面から見据え、集中して描いた様子がうかがえます。

この絵の完成のあと1ヶ月余りの後にゴッホは自殺します。






フィンセント・ファン・ゴッホ作 「ガシェ医師の肖像」1890 /パリ・オルセー美術館


ガシェ医師はゴッホの精神科医として、治療のためにゴッホを南フランスの精神病院からパリの北の静かな村、オーヴェールに移し、絵の制作に専念させた人です。

しっかりした画面構成、赤と青のバランスのなかで、医師の苦悩する内面を表してるように思えます。

医師の深刻な悩みを、やわらかくそして強く演出しています。

やはりゴッホは医師に強い信頼と深い愛情を、感じていたのではないでしょうか。

ところで赤いテーブルの上で、医師の左手に添えられている花はいったいなんの花なのか。






フィンセント・ファン・ゴッホ作 「自画像」1890 /パリ・オルセー美術館


ゴッホにはたくさんの自画像があります。

この自画像は上の2作品より前、すなわちオーヴェールに来る前に描かれたといわれています。

画面の背景と自画像全体が淡い緑色におおわれています。

このような緑色をわれわれ日本人は穏やかな落ち着いた雰囲気として感じますが、西洋人にとっては、病的な印象を強く与えるようです。

さらにひきしまった表情と鋭い眼光がいっそうただならぬ緊張感を漂わせています。

やはり病の中で必死に制作に励む、ゴッホ自身の心の中が反映されているのでしょう。

斜め右を向いているのは、耳を切り落とした側を隠すためでしょうか。

鏡に映る像を見ながら描くため、右耳を隠しているように見えますが、実際は反対の左耳が切られているのです。




ひまわりの絵であれ、糸杉と星空の夜景であれ、人物像であれゴッホの絵はひとめでゴッホの作品と分かります。

そして絵の中から魔力光線が放たれて、ヒトを引き寄せているように思います。

そうされても決して悪い気はせず、懐かしい気分でまた会えましたね、と絵に向いあってしまうのです。

それがゴッホの魔力です。




《ゴッホの生涯》
1853年オランダ、ズンデルトに生まれる。祖父と父が牧師だった。
1869年美術商グーピル商会に就職するが、1876年に解雇される。
     その後牧師をめざすが、1879年に伝道師の仮免許を剥奪される。
1880年ブリュッセルの美術学校に入学する。
1886年パリに出て画家として活動する。ゴーギャンとの交友をはじめるが別れる。
1890年オーヴェール・シュール・オワーズで自殺する。(享年37歳)




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