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肖像画の大家フランス・ハルス

フランス・ハルス作 「聖ゲオルギウス市民隊仕官たちの宴会」1616頃/ハールレム・フランス・ハルス美術館



17世紀初めの北ネーデルランド共和国(オランダ)は、南ネーデルランドから亡命してきたプロテスタントやユダヤ人たち中産階級によって経済的な繁栄を実現しました。アムステルダムとともにハールレムも富裕市民層が多く、肖像画や風俗画の需要が高まっていましたハールレムで肖像画家として名を成し始めたハルスにとって、初めてといってよい大作がこの集団肖像画です。そしてこの作品はオランダの革新的な集団肖像画として評価され、ハルスの最高傑作のひとつになっています。

当時の集団肖像画は人びとが水平に横に並ぶ構図が多く、集団記念写真といったおもむきでした。ところがこの作品では、宴会のテーブルを囲むかたちで人物が配置されています。テーブル左端を起点に、右肩あがりの山型で群像が構成され、中央上部の隊旗が斜めの線を強調しています。

この大きな山型の構図からくるダイナミックな印象と、隊員たちの変化に富んだ姿勢、いきいきとした表情が、画面全体にヴォリューム感を与えていると同時に、この作品が単に集団肖像画にとどまらず秀逸な群像絵画になりえている理由のように思います。

市の要人たちはそれぞれ軍隊組織の階級に任命されていて、絵の中でも階級による秩序は守られています。テーブルの左端の真ん中に隊長が坐り、その周りを幹部士官たちが並び、立っているのは階級の低い士官のようです。しかし全体は和気あいあいの雰囲気で描かれています。

さらにテーブルの上におかれている飲食物をはじめ窓の外の風景まで、細部にわたって行き届いた描写が施されています。オフィシャルな集団肖像画でありながら、このような気取りのない暖かい印象を受けるのは、ハルスの人に対する愛情深さと細やかな神経からくるものなのでしょうか。








フランス・ハルス作 「リュートを弾く道化師」1623頃/パリ・ルーヴル美術館



ハルスの肖像画は評判を呼び、単身の肖像画以外に、子どもたちの集団、母と子、結婚記念のカップルなどの肖像画の注文が数多くありました。しかしハルスは肖像画だけでなく、実生活上で見かける子どもたちや、役者、音楽師、よっぱらいなどを題材にした作品を多数残しています。

この作品もそのひとつで、ハルスの絵の特長がよく現れている傑作です。

リュートを弾く道化師が、リズムを取って演奏するその一瞬を写し取ったかのようなライブ感のある絵になっています。道化師のコスチュームを着たモデルが演奏のポーズをとって、絵の制作に当たったという印象がまるで感じません。それこそ本当に演奏している道化師をスケッチして、仕上げたかのようです。

ハルスの絵の特長は、登場する人物の自然な表情、とくに笑顔が多いことです。肖像画でも人物が笑顔で描がかれていることがありますが、とくにこのような単身の風俗画においては、笑い顔が多く、酔っ払って大笑いしているのさえあります。

このようなことからハルスは、“笑いの画家”ともいわれています。この作品でも道化師の陽気な笑顔が見られます。観るひとを幸せな気分にさせてくれる、楽しい作品です。








フランス・ハルス作 「ジプシー娘」1628-30/パリ・ルーヴル美術館



この作品はハルスの代表作として有名な作品です。

タイトルの“ジプシー”は後世に付けられたもので、ハルス自身が付けたわけではありません。ハルスは1620年ころから約10年間、風俗画の単身画によく取り組んでいました。前掲の作品も同様のものですが、この作品のモデルは実際のジプシー娘なのかどうか、いずれにせよ下層の庶民の娘をモデルに描いたものと思って良いでしょう。

無邪気な笑顔と、一瞬の表情、一気呵成の筆のタッチが特長です。娘は微笑みながら、視線をちょっと横にそらしています。その何気ない表情が、絵にいきいきとした生命感を与えています。粗い筆致が一瞬の印象をより強めています。

この作品に見られる素描的な画法は、後の印象主義に先駆けするものといわれています。注文作品にはこのような大胆な筆致はみられませんが、豊かな表情をとらえようとする画家の姿勢は変わりません。








フランス・ハルス作 「養老院の理事たち」1664/ハールレム・フランス・ハルス美術館


フランス・ハルス作 「養老院の女理事たち」1664/ハールレム・フランス・ハルス美術館



ハルスの最晩年の傑作です。これらのふたつの集団肖像画は一対として、元養老院で現在のフランス・ハルス美術館に掲げられています。

ふたつとも褐色の背景に黒色の衣装と白い襟飾り、色味の少ない顔で描かれていますが、これはハルスのとくに晩年になるほど多く見られる表現スタイルです。黒色にさまざまな色を混ぜて、黒の表現に多様性を持たせています。後にゴッホがこのハルスの黒の技法を称えています。

そして勢いのある筆のタッチは、襟飾りなどわずかな部分に限られ、全体に軽快な感じは影をひそめ、荘重で威厳のある雰囲気を出しています。

とくに「女理事たち」の一人ひとりの表情、それぞれに個性的な顔立ちをよく表現しています。左から会計士、理事長補佐、理事長、秘書、寮母が描かれています。中央の理事長には、知的でありながら優しそうな眼差しを感じます。ハルスは表情を的確に描くことに習熟した後、ここで対象人物の内面性、精神性をも描き出そうとしているようです。

「男理事たち」のほうは「女理事たち」に比して、どこか精神面で気迫に欠ける感じの人たちのように思えてなりません。ハルスは、とくに晩年は飾り気のない写実を心がけていたようですので、これは実物の理事たちのほうに問題があったのかもしれません。




17世紀のオランダから、ハールレムの《フランス・ハルス》、アムステルダムの《レンブラント》、デルフトの《フェルメール》の3巨匠が美術史上に輩出しました。3っつの都市は僅か70km以内に点在しています。またハルスの最初の大作の完成は1616年ころ、いちばん若いフェルメールが死んだのは1675年、僅か60年の間に多くの傑作が生まれたことになります。これはまさに美術史上の奇跡といってよいでしょう。







《ハスルの生涯》
1580年頃現ベルギー、アントワープ(アントウェルペン)に織物職人を父に生まれる。
1585年頃スペイン軍の攻撃により、オランダ、ハールレムに亡命する。
1610年ハールレムの聖ルカ組合に登録。
1616年「聖ゲオルギウス市民隊仕官たちの宴会」
1617年2度目の結婚。
1644年聖ルカ組合の理事に選任される。
1662年ハールレム市より年金を支給される。
1666年ハールレムにて死去。(享年86歳)
カテゴリ:バロック | 09:28 | comments(0) | -
光と闇の巨匠レンブラント

レンブラント・ファン・レイン作 「トュルプ博士の解剖学講義」1632/ハーグ・マウリッツハイス美術館


この作品はバロック美術の巨匠レンブラントの出世作です。

生地のライデンで画家として頭角を現し、オランダ第一の都市アムステルダムに出てきたのはレンブラント25歳のときでした。そのきっかけになったのが、本作の依頼だといわれています。

完成後、絵はアムステルダムの外科医会館に飾られ、その出来栄えが評判を呼び、アムステルダムの都市貴族や大商人たちから大量の注文を受けました。そしてまもなく画商の親戚で都市貴族の娘サスキアと結婚し、30代前半にしてレンブラントは人生の絶頂期を迎えます。

レンブラントはこの作品を集団肖像画として受注しました。トュルプ博士を中心に外科医たちが資金を出して注文したものです。博士が腕の筋をカンシではさみ上げて説明しています。画面右下の暗部には医学書が開かれています。書物と実際を見比べながらの講義情景です。

17世紀イタリアの鬼才カラバッジオの影響下で、オランダのバロック美術は開花しましたが、レンブラントもその明暗手法と写実主義を取り入れていました。

しかしレンブラントは単に外科医たちを、記念写真的に並べて描くのではなく、緊迫した人体解剖の場面を設定して描きました。当時としては異色のもので、その後の集団肖像画に大きな影響を与えたといわれています。

医学の専門家からは、腕と手の指の骨と筋の付き方が、解剖学的にみておかしいという指摘があります。そのあたりの詮索は専門家にお任せしますが、描かれた人物の視線で腑に落ちないところがあります。

それはトュルプ博士の視線です。他の人物の視線はそれなりに合点がいきますが、博士はいったい何を見つめているのでしょう。医学書を見るか、カンシの先を見るか、それこそ絵を観るこちら側を見つめるか、どうしてレンブラントはそのような視線を選んだのでしょう。どなたかご教示くだれば幸いです。








レンブラント・ファン・レイン作 「夜警」1642/アムステルダム・国立美術館


レンブラントは画家としても生活のうえでも絶頂期にありました。そのような時期に注文をされたのがこの作品です。前掲の作品から10年が経過しています。

通称「夜警」、正式な画題は『フランス・バニング・コック隊長の市警団』です。当初依頼を受けたときから完成まで数年を費やした大作です。その後のさまざまな経緯により、完成時の大きさから多少小さくなってますが、363×437cmのまさに大作なのです。

当時のオランダは貿易と産業で大変豊かな国で、アムステルダムにも富裕な市民が多くいました。市警団、正式には“火縄銃手組合”が市民を守っていました。組合の新会館の広間を飾る集団肖像画を分隊別に6人の画家に依頼し、その一枚をレンブラントに依頼したようです。

この「夜警」(夜景と思われそうですが実は昼間で外部からの陽の光が射しています。それに夜回り警護はずっと時代が下ってからです。)は他の作品と大きく作風が異り、劇的な迫力を持った集団肖像画になっています。

とくに気になるのは、メンバー以外の人物がいろいろな身なりで登場していることです。中心に明るくスポットライトを浴びたように描かれている少女がいます。どこの誰で、どのような役割を演じているのかよく分かりません。

しかしレンブラントは、今まさに出動するという場面を、光のあたる部分と暗い部分、静けさと動きでドラマチックに描いています。肖像画の枠を超えたといっていいでしょう。金を出して描かれた当人たちに不満があろうとなかろうと、作品は評判を呼び、絵の注文は絶えなかったようです。

2008年1月にピーター・グリーナウェイ監督『レンブラントの夜警』が公開されました。「夜警」の謎を監督一流の解釈で解き明かしていく映画です。予備知識がないと難しい映画ですが、美しい画面構成で、レンブラントの作品の再現と思われる場面が数多く出てきます。








レンブラント・ファン・レイン作 「バテシバ」1654/パリ・ルーヴル美術館


前掲の作品よりさらに10数年経過して描かれた作品です。円熟期の作品といっていいでしょう。正式な画題は“ダビデ王の手紙を手にしたバテシバの水浴”といい、聖書の物語を題材にした作品です。

古代イスラエルのダビデ王は水浴をする人妻バテシバを一目見て恋に落ち、夫である将軍ウリヤを戦地に送り戦死させ、自らの妻にしてしまいます。神がそのことを善しとせず、ダビデ王の子どもの命を次つぎと奪います。悔い改めたダビデ王は退位し、バテシバとの第2子ソロモンに王位を譲るという話です。

絵はダビデ王からの手紙を手にして哀しみに沈むバテシバを描いています。等身大に描かれたバテシバは画面の多くを占め、非常に迫力のある存在感で観るものを圧倒します。

モデルは2人目の妻となる、20歳年下の召使のヘンドリッキエ・ストッフェルスといわれています。暗い部屋の中で白く浮びあがった健康な若い女性が、少しうつむき加減で視線を下にして、手紙によってもたらされた複雑な心境を思い悩んでいるようすがよく表されています。

絵のエックス線写真によるとレンブラントは、当初は頭部を上向きにして描いていたそうです。内面の深い感情をより強く描きたいという画家の志向が、絵の修正を促したのでしょう。








レンブラント・ファン・レイン作 「自画像」1669/ロンドン・ナショナルギャラリー


レンブラントは自画像をたくさん残しています。作品数は30とも50ともいわれています。20歳前後の自画像から最晩年の63歳のものにまであります。この作品は最晩年の自画像です。

歴代の画家のなかで、このように多くの自画像を残した画家は稀ではないでしょうか。画家自身の姿で描いたものばかりでなく、歴史上の人物、聖人、哲学者に扮した自画像もしばしば見受けられます。

何故多くの自画像を描いたのでしょう。記録のためでしょうか、習作のためでしょうか、それとももっと深い意味がその行為にあるのでしょうか。

この最晩年の作品を観察して、皆さんはどのような感想を持つでしょう。63歳の齢相応の風貌をまず感じると思います。さらにこの人の人生はどんなであったのか想像するでしょう。画家の生涯を知っていれば、その口元に堅い意志を、眼差しに何者をも見通す眼力を、頭髪と顔の皺からは波乱に満ちた人生を感じ取れることでしょう。

人物を描くことがもっとも難しい画技といわれています。それは観るものが必ず描かれた人物を鋭く瞬間的に観察し、善悪、快不快、好き嫌いなどの判断をもつからです。確かに性格や人間性を、ある程度なら顔立ちから判断できるような気がします。とはいえ顔を中心に描くことだけで、その人物の人となりを表現することは至難の技といえます。

レンブラントは自らの精神を表現することを、生涯を通して追求し続けたのでしょうか。見方によれば、最晩年の自画像にある種の満足感を、感じ取れるような気がします。











《レンブラントの生涯》
1606年オランダ、ライデン(レイデン)において製粉業者を父として生まれる。
1620年ライデン大学を中途退学して画家の修業を始める。
1631年画才を認められアムステルダムに移住する。
1634年有力画商の姪サスキアと結婚する。
1639年画家として成功し、豪邸に居住する。
1642年代表作「夜警」が完成する。同年妻サスキアが死ぬ。
1643年頃から版画を手がけはじめ、いっそう人気が高まる。
1656年破産を申請して許可される。
1669年アムステルダムにて死去。(享年63歳)
カテゴリ:バロック | 23:21 | comments(0) | -
静謐と光の画家フェルメール

ヨハネス・フェルメール作 「牛乳を注ぐ女」1658頃/アムステルダム・国立美術館


17世紀のオランダ絵画の代表的画家フェルメールの傑作のひとつです。2007年の秋にオランダの風俗画とともに来日しています。

フェルメールの作品のなかでも人気では1,2を争う作品です。

明るい柔らかな光を浴びて、テーブルの上にはたくさんのパン、食器には新鮮な牛乳が注がれています。召使いは働き者で、健康そのものです。観る者を豊かな気分にさせてくれる絵です。

人気の理由はそれだけでしょうか。もっと隠された理由があるような気がします。

たとえば、窓の格子で分かるように厳密な遠近を感じさせている一方、奥の白壁と銅器が細かくピントが合っていて、人物はややぼかし気味になっています。そしていちばん前のパンは白い点描で光の反射を強調しています。

通常の遠近感とは異なる不思議な感覚があります。

よく観察すると、テーブルの形も正方形や長方形でもなく、台形か五角形かのように見えます。パースペクティヴの錯覚を感じます。

そうした不思議な部分も、全体の統一された調和の中でひとつの起伏のような役割を担っているのでしょう。一見では不自然さは感じません。

しばらく眺めているうちに、人物が動いたように感じたり、手前のパンがキラッと光ったり、壁の表面が気になったりします。

時間が静止した静かな空間として表されているにもかかわらず、生活する現場の温かい空気を感じさせるような実在感を感じます。

それぞれ観るひとによって、感じ方はいろいろあっていいのでしょう。とにかく魅力のある絵です。








ヨハネス・フェルメール作 「デルフト眺望」1660頃/ハーグ・マウリッツハイス美術館


美しい風景画です。フェルメールの風景画はこの作品を含めてたった2作品しか残存していません。

特に空が美しく描かれています。空と川の間にフェルメールの故郷の町デルフトの中心部が、そして手前の川原には二人の女性が話合っています。さらに左には4人の人物が描かれています。

雲間からの光が街の建物を照らし、水面には建物と係留されている船が大きく影を落としています。澄み渡った大気と街の息遣いが感じられます。

フェルメールはこの絵を仕上げるにあたって、あえて現実の建物の向きを変えているとか、右端の川面に映る影が実際より長いとかいわれています。フェルメールにとっての理想の風景画を作り上げたのでしょう。

完成当初から評判が高く、高値で取引されたそうです。また20世紀のフランス文学を代表する作家プルーストは、この絵を観て絶賛したそうです。作品『失われた時をもとめて』の中にも登場しています。








ヨハネス・フェルメール作 「真珠の首飾りの少女」1665頃/ハーグ・マウリッツハイス美術館


この作品もまたフェルメールの有名な人気作品です。別名「青いターバンの少女」ともいわれています。3,4年前にはこの絵にまつわる映画が公開され、話題になりました。

民族風の衣装のあどけない少女が、ふとこちらに顔を向けた瞬間を捉えています。

何故こちらを向いたのか、何を思っているのか、いったい誰なのか、大きな真珠の首飾りとターバンは何を意味するのか、絵を観た刹那にさまざまに想いがめぐります。

このような謎めいた感想が、少女の愛らしさとあいまって世界中の人を魅了することになったのでしょう。

ニューヨークのメトロポリタン美術館に、この作品と同じポーズであどけなく笑みを浮かべた少女の頭部像がありますが、この作品ほどの強い印象はありません。







ヨハネス・フェルメール作 「レースを編む女」1670頃/パリ・ルーヴル美術館


フェルメールの現存する34〜6作品でもっとも小さい(24×21cm)作品です。スペインの鬼才ダリを始め、印象派の巨匠たちがこの絵を絶賛しています。

実際にサイズが小さいが故にこの作品を観るわれわれもまた、画枠のなかに意識を集中して、レース編みに集中している少女を覗き見るかたちになります。

さらに画面のなかでは、まず前景でクッションから白と赤の糸が流れ出しています。中央では少女が指先をそろえて慎重に糸を通しています。そして背景は質感のある壁が優しい光で少女の輪郭を際ださせています。

日常生活のありふれた情景を凝縮しています。そして少女の息を詰めた一瞬を印象深く表現しています。

「牛乳を注ぐ女」やこの作品が、勤勉に家事をこなすという教訓画とも受け取られますが、フェルメールは日常のありふれた場面を切り取り、自身の理想の美の世界を再構築しているように思えます。

はたして小さい画面でこのようなモチーフを扱うことで、フェルメールが観るものをコントロールしているのか知る由もありません。








《フェルメールの生涯》
1632年オランダ、デルフトに生まれる。父は画家たちの聖ルカ組合に画商として参加していた。
1653年結婚するとともに聖ルカ組合に加入する。
1662年聖ルカ組合の理事に選出される。
1663年引き続き聖ルカ組合の理事に選出される。
1670年聖ルカ組合の理事に選出される。
1671年引き続き聖ルカ組合の理事に選出される。
1675年デルフトにて死去。(享年43歳)
カテゴリ:バロック | 00:14 | comments(1) | -
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